ああ、フランク
ゴールディンウィークというのに出かける予定のない私は普段はおろそかにしているCDラックの整理をしていた。ラックには一コマ二十六枚ものCDが収納されており、コマは全部で三十コマ。つまり七百八十枚ものCDが収められていることになる。私が所有している音楽財産はCD以外にも、カセットテープ、MDがあり、それらを含めると千枚はくだらないだろう。しかし、中には新たにCDを購入したり、持ち歩くためテープやMDに録音したものもあり、九百枚ぐらいかもしれない。
ロックに目覚めた十代の頃、ポータブルカセットプレイヤーを買いに秋葉原にある電器店へ行った。プレイヤー一台一台をじっくり吟味していると、店員がやってきてこう言った。
「うーん、一番音楽を聴くのが楽しい時期だよね。これからいっぱい音との出会いがあるよ。だったら、これがお薦めだよ」
差し出してくれたのは、真っ黒いボディのカセットプレイヤーだった。洗礼されたデザイン、そして何よりも懐の侘しい私にとって金額が気に入り、即決した。
今はもうとっくに壊れて捨ててしまったが、この店員の言葉どおり私はすてきなミュージック・ライフを送っているわけだ。数多くの音楽に触れ合い、ライブ会場へ足を運び、ラジオの音楽番組にリクエストやメッセージを送り、恥ずかしながらときどき読まれたりもした。
ところが最近は仕事に忙殺され、入手するのが難しいとされているアーティストのチケットをパアにしてしまうほど、音楽とは縁遠い生活を送っている。そんな縁遠さを物語るようにCDケースの上には薄っすらとほこりが積もり、一枚一枚取り出しては心の中で謝罪をしながら取り除いている。
あまりにも地道な作業のせいか惰眠を覚え、追い払おうとピクシーズの「ドリトル」をかけている。久しぶりに聴くバンドのボーカルであるフランク・ブラックの声は、変わらずに迫力があり、その勢いはスピーカーを通り越して唾しぶきが飛んでくるようだ。実際は彼も年齢を重ね、このアルバムを録音したときに比べ精力は衰えているかもしれない。ただネットのニュースで流れてきた動画を見た限りでは、その存在感の大きさに圧倒され、この頃と変わりなかった。
スピーカーからはいよいよ最後の楽曲となる「カウジ・アウェイ」が流れてくる。私はこの曲を聴くたび、いつも寂しさを感じている。それはアルバムが終わるという寂しさからくるものか、自分の将来に対する不安を思い出すせいかはわからない。そんなことをぼんやり考えていると、円盤が空回りする音がしCDは停止された。
ふと窓の外へ目をやると、ペイントされたような青い空が広がり、雲ひとつない快晴であることに気付く。そろそろ休憩でも取ろうと思い立ち、作業を中断して近所にある神社へ出かけてみることにした。駐車場まで来ると、白やシルバーなどの乗用車がびっしりと収まっており、青い服を着た警備員が車や人の誘導をしていた。この異様なまでのにぎわいを訝しげながら進むと、反対側からピンク色のビニール袋を持った幼い女の子が両親に手をひかれ歩いてきた。まるで正月や七五三のような雰囲気にたじろいでしまう。気分転換のための散歩なのに、下手したら人酔いをしてしまいそうだ。そうかといって今さらコース変更をしたり、自宅に戻るつもりもない。私は意を決し、このまま突き進むことにした。
参道へ入ると赤や青の暖簾を下げた屋台が建ち並んでいた。その先には紅白の提灯が並び、ようやくこの時期に藤祭りが行われていたことに気付く。
私は藤棚を横目で眺めながら、真っ先に参拝を済ませることにした。手水舎は家族連れがちょうど去って行ったばかりで、老夫婦のみでありがたいことに私のためにスペースを空けてくれた。柄杓を取って身を清め、いざ本殿へ向かう。先ほどの家族が正面を陣取っており、小学生くらいの男の子が熱心に祈っている最中だった。彼の邪魔をしないようにそっと賽銭を投げ入れ、ニ拝ニ拍手一拝をしたところで、思い留まる。はて、祈願したいことなど、あったかな? と。隣りで拝んでいた男の子が離れ、先ほどの老夫婦の気配を感じ、無難に家内安全を祈ると素早く辞去した。本殿の脇に設置してあるおみくじを先ほどの男の子が引いているのを横目で見ながら、メインである藤棚に移動する。
藤の根元に設置してある立て札には、県指定天然記念物とあり、樹齢およそ二百年余りと書かれており、さぞかし立派な藤だろうと視線を上げた瞬間、言葉を失った。それはかなり残念な藤で、ひと房の花はまばらで空きっ歯だらけだった。例えるなら顔の象形は整っているのに、笑った瞬間歯が一本どころかニ、三本欠けている美男か美女といったところだろうか。きっと、長年台風や大雪、突風、猛暑、大雨に堪え忍んできたせいかもしれないが、これではあまりにもむごい仕打ちだ。きっと遠方から交通費やガソリン代をかけてやってきた人たちの怒りが目に浮かぶようである。気を取り直して棚下にある神池をのぞくと川面に映る藤の合間に大きくて立派な錦鯉がゆうゆうと泳いでいた。残念な藤と華やかな鯉のコラボレーションに満足した私は帰宅の途に着くこうと、再び参道へ出た。すると、屋台からはソースの匂いが流れ、目をやると髪を栗色に染めたおばさんが鉄へらを持ってそばを炒めている最中だった。そこには焼きそば四〇〇円と手書きしている。ソースの匂いは食欲をそそるが、脂っこいのはちょっとなと思いつつ歩を進めると、鮎の塩焼き、焼きとうもろこし、その横は今川焼き、その向かいは水ヨーヨーと続く。さらにりんごあめ、わたあめ、射的と並び、その昔、スナイパーばりに射的をやった男のことを思い出してしまった。一泊二日の温泉旅行へ二人きりで出かけ、酔った男は「まあ、見てろ」と自信満々に射的に挑んだまではよかったが、結局ひとつも的に当たることなく終わってしまった。肩透かしを食らった男に冷やかしの言葉を投げかけたが、浴衣の袖からのぞく筋肉質な腕に欲情してしまったことは私だけの秘密だ。 そのときの男は今頃、せっせと家族サービスをしているに違いない。
そして、懲りずに射的に挑戦し、子供たちから「パパぁ~、下手くそ!」とののしられているのではないだろうか。そう想像しただけで、ひとりでに頬が緩んでしまう。私を捨てた罰だ。ざまあみろ!
停止させていた時間を再び取り戻すと、黄色い幕下にチョコレートでコーティングされ、ピンクや緑などのカラースプレーがつけられたバナナが立っていた。そのどぎつい色目にぎょっとしながら、鼻先に脂ぎった匂いをかすめる。
その主な源はソース臭ではあるが、わずかに肉の焼けるを嗅ぎわけた。テントに目をやると、焼きそば五百円と書いてあり、先のところよりも高い。もしや一パックの量が多いのだろうか。それとも、紅しょうがや青のりの量が多いとか。
それだったら嫌だなと思いつつ、通り過ぎようとした。焼きそばの脇に切りこみの入った細長い茶色の物体が四、五本ほどごろんと転がっている。焼きそばの値札からやや離れたところに、フランクフルト三百円と消え入りそうな細い字で書かれてあった。早速、テントの後ろに回って持ち合せを確認すると、銀色に輝く百円玉四枚と、濁った土色の十円玉三枚があった。このうちの銀三枚を取り出して、表へと出た。そして、屋台にいる小太りのおじさんに、「あ、あのう~、フッフッ、フランクフルトをください!!」と切羽つまった声で注文をした。おじさんは「あいよ!」と何食わぬ顔で返し、鉄板のソーセージを一本取り上げると赤いチューブと黄色いチューブを同時にかけた。私の手には、三百円と引き換えに焼きあがったばかりのフランクフルトがやってくる。喜びをひた隠しながら、先ほどのしょぼい藤棚へ移動し、空いているベンチに腰を下ろした。そして、手に入れたばかりのフランクフルトをまじまじと観察する。 焼きあがったばかりのそれは、肉汁を含んだ湯気が立ちあがり私の鼻腔を刺激する。脂の浮いた表面はテカテカに光り輝き、汗ばんでいる。まるで夏に海へ出掛け日焼けする人の肌みたいだ。私は小さく「いただきます」を言い、早速肉棒をひと口かじってみる。ソーセージに含まれた塩気と凝縮された肉のエキスが口いっぱいに広がり、鼻を通り抜けていく。
「ああ、フランク」幸福感に包まれ、思わずため息がもれてしまう。
私の口腔内は豚の脂とスパイスに満たされ、心が解けていく。次第に喧騒は消え失せ、スピーカーから流れてきたフランクのがなり声が聞こえてくる。
もう一度、肉棒を口に含ませパリッとした歯ざわりとともにトマトの酸味、マスタードのピリッとした辛さが舌に伝わる。私は想像をしてみる。一心不乱にフランクをしゃぶり、噛みつく姿を。パリッパリッ……。噛みちぎった断片から脂がにじみ、私の口もとは血のように赤いケチャップが滴り落ちる。ぽとり、ぽとりと。笑いが止まらない。
欲望の権化となった私は、フランクの骨に行きつく。それはとても細い骨で太さは鉛筆ぐらい。か細い骨を見た瞬間、私の欲望はしぼんでいく。
そしてフランクの怒鳴るような歌声は消え、子供のぐずる声が聞こえてくる。
私の手にあるのは木芯だけになり、現実世界へと着地する。腰を上げて購入した屋台へ行き、「ごちそうさま」と爽やかに声をかけると用済みになった木棒をごみ箱へと投げ入れた。
こうして私は参道を通り抜け、警備員の立っている駐車場へと踊り出た。空を見上げると、薄雲が広がっている。急いで家に帰り、CDラックの整理をしなければ。
今度のBGMは、フランク・アンド・ウォルターズの「グランド・パレード」にしようと思った。