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第四話 見知らぬ世界は(後)

 お見合いに指定された場所は、ちょっとお洒落な程度の喫茶店だった。ルロッタが新調してくれた服を着て、お気に入りの靴を履いて出かけた瑠美子は、想像していたものとの違いに目を丸くする。もっと仰々しいものを思い描いていただけに、その差に首を傾げるばかりだった。

 そのこぢんまりとした店は、家からさほど離れていない距離にあった。美味しそうなデザートの名前が連ねてあるのを、以前彼女も見かけたことがある。少し値段が高めだが、一度入ってみたいと思って目をつけていたのだ。しかしそこがお見合いの場所になるとは、さすがに予想もしなかった。

 素朴な色遣いの、華美すぎない内装。しかもカウンターの奥にいる女性の笑顔は、温かくて心地よいもので。白いテーブルの上には小さな花瓶があり、控えめに花が飾られていた。とにかく可愛らしい作りの店だ。女友達と来たらお喋りが弾むことだろう。

 しかし彼女の前にいるのは、一度も会ったことのない青年だった。ルロッタの話によれば年は二十一。ヌオビアでは一般的な栗色の髪は、ノギトの色合いとよく似ていた。また青の瞳も、やや深い色合いということを除けばさほど珍しくはない。

 ただ白を基調とした服はどこか煌びやかで、瞳にあわせたのか青のボタンが妙に目を惹いた。そんな派手な物がどこで売っているのかと、つい首を傾げたくなる。瑠美子の縹色のワンピースもここらでは珍しいが、彼の方が上だ。

 しかし何より、始終笑顔のままひっきりなしに喋り続けているところが、彼女にとっては驚きだった。

「ルミコさんは、綺麗な瞳をしてるね」

「は、はあ」

「黒い髪に黒い瞳だなんて、神秘的だよ。僕の周りにはいなかったなあ」

 とにかく手当たり次第に褒めてくる姿勢は、瑠美子にとっては居心地の悪いものだった。彼――カハティスというのが名前らしいが――は、どうやら裕福な家の息子らしい。女性の扱いには慣れているらしく、もう何度も見合いをしているという。いや、これは見合いというよりはデートとでも言うべきだろうか。

 瑠美子は知らなかったが、ヌオビアで見合いというのはかなり軽いもののようだ。とにかく縁さえあれば会ってみる、というのが習わしらしい。ならば早く見合いをしろとルロッタが言い張っていたのも、納得できることだ。もっとも、それを好ましいと思うかどうかは別の話だが。

「僕の周りには、ろくな人がいなくてね。いつも苦労しているんだよ」

「そうなんですか」

「姉さんは美人なんだけれど、性格がきつくてね。いつも叱られてばかりなんだ」

 嘆息するカハティスに、どう答えてよいかわからず瑠美子は微笑んだ。話題を探さなくていいのは楽だが、とにかく彼は愚痴が多い。会ってから一時間も経たないうちに、その話は日々の文句へと移り変わっていった。見合いが失敗する理由はそれではないかと、勘ぐりたくなる。

「それに比べて、ルミコさんはなんておしとやかなんだろう。あなたみたいな人と見合いができて、僕は嬉しいよ」

 愚痴の次に妙な持ち上げをするのが、彼の常套手段のようだった。逆効果だろうなあ、と思いながら、瑠美子はまた曖昧な微笑を浮かべる。誰かを貶めながら褒められても、ちっとも嬉しくはない。

 ひたすら彼の話を聞き続ける、この時間は苦痛だった。癒しとなるのはせいぜい、目の前にある美味しい紅茶くらいか。内装と同じくシンプルな柄のカップからは、温かな湯気が上っている。香りも強すぎなくてちょうどよかった。

「ああ、そうだ。もっとひどい人がいたよ。向かいに住むペロニハーラって女性なんだけれど、変な名前だろう? 僕よりも二つ年上なんだ。彼女がとにかく口うるさい人でね。いつも変なことばかり言うなと思っていたら、どうやら異世界人らしいんだ。道理でって、納得したよ」

 意気揚々と話すカハティスは、大げさに肩をすくめるとカップへ手を伸ばした。ゆっくり口元へ運ばれていくそれを、息を呑んだ瑠美子は目で追う。立ち上る湯気がゆらりと、彼の青い瞳を揺らがせた。

「弱虫だって僕のことを罵るんだよ。ひどいだろう? 異世界人の癖に大きな顔をしてさ。この間なんか、人一倍大きな花束を道端に置いちゃって。自分は何一つこの国に貢献してないのに、図々しい奴だよね。そう、本当に図々しい女なんだ」

 何か昔のことでも思い出したのか、彼のまなじりは釣り上がっていた。瑠美子は唇を強く噛むと、視線を窓際へと逸らす。心臓の高鳴りが痛い。少しでも心を落ち着かせるようにと、彼女はゆっくりカップを手に取った。

 異世界人。何一つ貢献できていない異世界人。突き刺さる言葉に息苦しくなり、彼女はかろうじて紅茶を一口含んだ。彼に悪気がないことはわかっているが、それでも動揺は押し殺しきれない。せっかくの味も香りも、今は全く味わうことができなかった。

「みんながみんな、役に立てるわけないじゃない」

 カハティスには聞こえないように、小さく瑠美子はつぶやいた。それでも痛みは消えずに、胸の奥を深く抉っていく。異世界人が受け入れられるのは、この国に富をもたらすから。それは彼女も理解していることだった。

 しかしこの国に瑠美子がもたらした物は、何一つない。子どもだった彼女に知識はなく、身につけている物だってほとんどなかった。ここへ来た経緯を彼女は覚えていないが、確か直前までランドセルを背負っていたはずなのに、それさえもいつの間にか消えていた。

 彼女が自分の力でできたことは、おにぎりなどの簡単な料理くらいだった。小学生にしては頑張っていると自負していた家事も、全てここでは通用しない。時間節約に利用していた電子レンジも、この国にはない。もちろん電子レンジの作り方なんて知らないし、そのヒントを与えることもできなかった。

 彼女は何一つ知らなかった。何一つ持っていなかった。ヌオビアの人々が期待するようなものを、彼女はもたらしていない。ここへ流されてきた多くの異世界人同様、無力だった。

「しかも、彼女は僕のことを物知らずって言うんだよ。どっちがって話さ。ああ、それに比べて君は――」

 思考が飛んでいる間も、カハティスの話は続いていた。彼女が異世界人であると、彼は聞いていないのだろうか? ルロッタはどこまで話していたのだろうか?

 芝居で出会った人の息子と言っていたから、実はほとんど情報をもらっていないのかもしれない。考えてみれば、彼女もカハティスのことは何も知らなかった。彼がべらべらと喋ってくれるから、わかってきただけで。

 では彼女が異世界人だと知った時、彼はどんな反応をするのか。

 そう考えた途端、彼女は思わず立ち上がっていた。その弾みで白いテーブルが揺れ、カップから紅茶がこぼれそうになる。突然のことに、彼は眼を見開いたまま固まっていた。何が起こったのかわからないといった顔で、ただ彼女を見上げている。声を張り上げたいのを堪え、彼女は一度深呼吸した。

「ル、ルミコさん?」

「すいません、カハティスさん。私も異世界人なので、あなたの期待には応えられないと思います」

 できるだけ淡々とした口調でそう告げると、瑠美子は適当なお札をテーブルの上に置いた。これで紅茶代くらいにはなるだろう。後で請求されることはないはずだ。

「ル、ルミコさんっ」

 そのままカハティスの横を通り過ぎ、彼女は喫茶店を飛び出した。扉の呼び鈴が乱暴に揺らされて、後ろ手甲高い音を立てる。だが今は気にする余裕もない。一刻も早く、ここから遠ざかりたかった。

 そう思うのに長いスカートが足下に絡みつき、上手く走れなかった。もどかしさに苛立ちを募らせて、彼女は顔をしかめる。普段の簡素な服ならば、もっと速く走れただろう。こう何枚も生地を重ねられると動きづらい。

 彼女は振り返るつもりなどなかったが、カハティスが追ってくる様子もなかった。それをいいことに人のまばらな道を、ただ夢中で駆けていく。どこへ向かうつもりなのか、自分でもよくわからない。ただとにかく人のいないところへ行きたくて、誰かに呼び止められたくなくて、走り続けた。

 異世界人だと発覚して、軽蔑されるのは痛い。けれども急に掌を返したように、繕われるのも嫌だった。彼にそんな反応を取られるくらいなら、こちらから断った方が楽だ。

「馬鹿よ、私は」

 走りながら泣きたくなって、彼女は無理矢理笑った。今までずっと押し殺してきたものが、一気に吹き出しそうになっている。役に立つために流されてきたわけじゃあない。自分の意志でこの国に来たわけじゃあない。なのにどうしてそんな期待を抱かれ、それに応えなければならないのか。

 そう思うと同時に、役立てないことを申し訳なくも感じた。突然流された来た者たちを、ヌオビアだって好きで受け入れているわけではないはず。異なる常識を持ち、異なる文化を持つ人々を、危険かもしれない人々を、好意のみで引き受けるのは不可能だ。

「なのに馬鹿よ」

 だからカハティスの言葉に、憤るのは間違っていた。瑠美子はかぶりを振ると、こぼれそうになる涙を拭って立ち止まる。途端甲高い鳥の鳴き声が聞こえて、彼女は視線を空へと転じた。

 無我夢中で走っていたら、いつの間にか森の近くまで来ていたようだった。風に揺れる葉の合間からは、日の光がこぼれている。そこに黄色い鳥の羽が見え隠れし、時折さえずりを響かせていた。

 ここなら誰も来ないだろうかと、彼女はその場にしゃがみ込んだ。突然走りだしたものだから、息が上がっている。しばらくは動けそうになかった。

「私ってば、本当に馬鹿だわ」

 ここで落ち込んでから立ち直れば、またイムノーやルロッタに笑顔を向けることができるだろうか? ノギトやハゼトと、たわいもないやりとりができるだろうか? 一度迫り上がったものを押し込めるのは、不可能に思えた。けれども彼らに心配をかけることだけは、それだけはどうしても避けたい。

 ならば落ちるだけ落ちてしまおう。それから這い上がればいい。泣くのならばここで泣こうと決めて、瑠美子は膝に顔を埋めた。何枚も生地を重ねたスカートが、風に煽られて耳元で音を立てた。

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