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第二話 異世界人(前)

 その日できあがったご馳走は、それなりに満足できるものだった。ただやはり時間が足りなかったためだろう。トリュの肉の煮込みだけがいまいちで、瑠美子の理想には達していなかった。それでも皆が美味しいと言ってくれるのだから、ありがたいことだ。

 食事を終えた後、一人で台所に残った瑠美子は洗い物をしていた。ヌオビアで典型的な造りをしているこの家には、小さな台所が居間の隣に無理矢理くっつけられている。

 クリュの木でできた家は保ちがいいのが利点だが、独特の香りがするのが難点だった。だから食事を楽しみたいがために、台所だけ別の木材を利用するのが普通なのだ。

 その台所に近づく気配があった。他の部屋では聞こえない柔らかい足音を、瑠美子の耳はすぐに拾い上げる。

「今日の肉、煮込むのさぼっただろ」

 この声はノギトだ。彼が辛口評価なのはいつものことだから慣れたが、今日は図星なだけに胸が痛む。瑠美子は軽く振り返ると顔をしかめてみせた。空になった皿を手にしてノギトは嫌みたらしく口の端を上げている。

「さぼったなんて失礼ね。時間がちょっと足りなかっただけよ」

「それをさぼったって言うんだよ」

「ほんっとノギトはそういうところ性格悪いわよね。自分はまともに朝ご飯も作れないのに」

 ノギトから皿を受け取って瑠美子は大げさに肩をすくめた。今台所にいるのは二人だけだ。威勢のいい声は狭い部屋に反響して、さらに苛立ちを募らせる。

 瑠美子はここヌオビアに流れ着いてからずっと、この平凡な家族と共に生活していた。イムノーとルロッタ、その息子であるノギトとハゼトの四人家族に、彼女は引き取られた。三つ年上のノギトはこの家族の中で最も年が近い。弟のハゼトはこの間十五歳になったばかりで、物心がついた頃から瑠美子がいるため本当の姉のように思っているようだった。

 だがこのノギトの口がとにかく悪い。からかわれては怒り、些細なことで叱責されては反論しを繰り返しているうちに、いつの間にか口喧嘩するのが当たり前の仲になった。だからだろう、二人が言い合っているのを見かけても、誰も何とも言わない。

 ノギトが睨みつけてくるも無視し、瑠美子はまた背を向けると皿洗いを再開した。彼が無闇につっかかってくるのは機嫌が悪い証拠だ。相手をしていては無駄な時間ばかり流れると、彼女は小さくため息をつく。

「作れないんじゃなくて作らないんだ」

「あ、そう。じゃあ明日の朝、自分の分は自分で作ってよね」

 絞り出された声にそう返して、瑠美子はもう彼に用はないとばかりに鼻歌を歌い始めた。ヌオビアに来る前、学校で練習していたリコーダーの曲だ。もの悲しいメロディーが嫌いでずっと避けていたら、クラスで一番音楽が不得意な子と居残りするはめになったのを、今でも覚えている。

 曲名は何だっただろうか? 音符ならいくらでも出てくるのに、肝心の名前は思い出せない。

「……異世界人が、また流れてきたんだってな」

 すぐいなくなるものとばかり思っていたが、まだノギトは去っていなかったらしい。予想していたより近くから聞こえる声に、瑠美子は肩越しに振り返った。彼の栗色の瞳は赤味を帯びた光に照らされ、揺らいでいるように見える。瑠美子は皿を洗う手を止めずに、瞳を瞬かせた。

「イムノーさんから聞いたの?」

「違う、ハゼトからだ。あいつ異世界人に興味があるみたいで、目輝かせてた」

「ふーん」

「どうせルミコも見に行ったんだろ?」

 正解だ。だがうなずけば負けたような気がして、瑠美子は薄く微笑むだけにしておいた。彼のまるで他人事のような言い草からすると、その異世界人がディーターに引き取られたことは知らないのだろうか? 瑠美子は染みのついたエプロンで手を拭くと、頭を傾ける。しかめ面のノギトへと、彼女は人差し指を突きつけた。

「ハゼトが興味示すのは当たり前よ。だってご近所さんになるんだから」

「ご、ご近所さん?」

「やっぱり聞いてなかったんだ。その異世界人、ディーターさんが引き受けることになったの。まだ気を失ったままだと思うから、ディーターさんの家で今も寝てるわよ」

 胸を張った瑠美子に向かって、ノギトは嫌そうに眉根を寄せた。わかりやすい反応だ。しかもその理由が何となく察せられて、口元を緩むのは抑えられそうにない。短い髪を掻き上げるノギトに瑠美子は悪戯っぽい笑みを向けた。

「さ、て、は、異世界人が格好いいって噂聞いたなー! で、みんな騒いでるから面白くないのねっ」

「は!? 何言ってるんだこの馬鹿! んなわけねぇだろ。噂なんて独り歩きするもんだし、そんなの信じる方が馬鹿馬鹿しい。大体、まだ気絶したままなのに、何で格好いいとかそんな話が出るんだ」

「目を瞑ってても、わかるものはわかるわよねー。でもノギトもかわいそうね。お隣さんだと、きっとどうしても比べられるわよね。年もそんなに離れてなさそうだし」

「あ、やっぱりルミコ見に行ったんだな」

 しまったと、瑠美子が思った時にはもう遅かった。ノギトに半眼でねめつけられて、慌てて彼女は視線を逸らす。ついいつもと同じノリで言ってしまった。

 だがよく考えれば、すぐ近くに住むことになるのだから、気に掛けて当然だろうと思い至る。そうとなれば弱気になることはなかった。瑠美子はエプロンをはずすと、不機嫌なノギトを真正面から見上げた。

「そうよ、見たわ。私の世界の人じゃあないみたいだったけど、確かに異世界人だった。綺麗な銀色の髪に、見たことない感じの服を着てたわ」

 どこから流されてきたのだろう? 彼が目覚める日が待ち遠しかった。異世界人になら会ったことはあるが、ヌオビアで生活してからずいぶん経った人ばかりで、もうこの世界にすっかり馴染んでいた。だから知らない世界に、風習に、怯えていた自分に自己嫌悪していたこともあった。

 だけれども、彼をそんな風にはさせたくない。新しい異世界人がやってきた時には、そんな思いを抱かせないようにしようというのが、瑠美子の密かな目標だった。

「ふぅん」

 ノギトは気のない声を出す。瑠美子の気持ちなど知らない彼は、単に格好いい男性に惹かれているとしか思っていないのだろう。瑠美子はエプロンを畳むと耳に髪を掛け、腕組みするノギトにまた背を向けた。そして話は終わりとばかりに棚へ向かう。

「一昨日ディーターさんにもらったお茶飲んでみる? ルロッタさん楽しみにしてたし、淹れようかと思うんだけど」

 瑠美子は高い棚に向かって手を伸ばした。だが返答の代わりに聞こえたのは、去っていく荒い足音だけだった。




 次の日はよく晴れた。昨日の風は嘘のように、温かい日差しが辺りを照らしていた。何もやることがなければつい散歩にでも出かけたくなる、気持ちの良い朝だ。

 ここヌオビアの空気は日本よりはずっと乾いている。雨もなかなか降らないが、その代わり気温もあまり上がらないのが常だった。けれども朝からこの温かさであれば、ひょっとしたら今日はそれなりに暑くなるかもしれない。そんなことを期待しながら、瑠美子は庭の花に水をやった。

 この小さな庭の手入れはいつもルロッタがやっている。けれども今日は知り合いと一緒にお芝居を見に行くそうで、楽しみなのか朝からそわそわとしていた。手入れはきっと後回しになるだろう。

 誰それが素敵なのだと熱く語るルロッタに、ハゼトが呆れた目を向けていたのが微笑ましい。朝食を邪魔されてハゼトもうんざりしていたはずだ。それでも怒り出さないのが、彼の優しいところだと思う。

「ハゼトももうすぐ学校卒業かぁ。早いなあ」

 すっかり姉気分が定着している。イムノーやルロッタを父や母と呼ぶことはできなくても、ハゼトを弟と呼ぶことに抵抗はなかった。兄弟がいなかったせいもあるかもしれないが、ノギトは兄と呼びたくない点を考えると、別の理由があるのだろう。だが自分ではよくわからない。花に水をやりながら、瑠美子は首を傾げた。

「ノギトも口さえ悪くなければね」

 昨夜のやりとりが思い出されて、自然と不満顔になる。変に気を遣わなくてすむのは助かるが、精神衛生上は良くなかった。苛立つのは自分でも嫌いだ。

 緩やかな風に乱された髪を、瑠美子は整えた。小さい頃ずっと伸ばしていた髪は、ここへ来てからは短くしている。もったいないと言われることもあるが、伸ばす気にはなれなかった。もう会えないだろう母の髪が好きで、単に真似していただけだから。

「あ、今日は図書館に行くつもりだったんだっけ。午後は混むよね、たぶん。今日は気温上がりそうだし」

 だが湿った気持ちになってばかりもいられない。それじゃあ早めに雑草でも抜こうかと、瑠美子は踵を返した。専用の手袋が、確か玄関に置いてあったはずだ。

 草を踏む音が聞こえたのは、ちょうど扉を開けようとした時だった。不思議に思って振り返った瑠美子に、遠慮がちな声がかけられる。

「あのー」

 ノギトの声よりも高くて、やや鼻に掛かったような呼びかけ。その主を求めて瑠美子の視線が彷徨うと、庭の垣根から顔を出している青年を見つけた。緩やかに波打つ銀髪は束ねられ、緑の瞳を不安そうに瞬かせている。見覚えのある上着を肩にかけ直して、彼は怖々と言葉を紡いだ。

「突然、す、すいません。ディーターさん、どこへ行ったか、知りませんか?」

 たどたどしい言葉遣いに、瑠美子ははっとする。見間違いではない、彼は昨日流されてきた異世界人だ。服こそ昨日見た物とは違うが、綺麗な青銀の髪が目に焼き付いている。あの上着は、おそらくディーターの物だろう。

 不思議と緊張するのを自覚しながら、瑠美子は息を呑んだ。かろうじて微笑みらしきものを浮かべるのが、咄嗟にできる精一杯のことだった。

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