第92話:幕引き
「――以上が囚人との面会における注意事項で、す……では……」
苦々しい表情を浮かべた看守は、そう言って牢の前から立ち去った。後に残るは、面会に来た2人の令嬢と牢の中の囚人のみ。鳶色の目を持つ女性が、気を抜くように溜息をついた。その隣にいる青い目の女性が、周囲に音が漏れないようにか小声で言葉を発した。
「……大丈夫、ですか? 龍斗様……?」
「まあ、ご覧の通り」
檻の中にいる黒髪の人物、龍斗はそう言いながら両腕を上げた。平常通りの口調で話す彼の両手首には、文字が刻まれた木製の枷が嵌められていた。それにつけられている鎖の先には、200キロ以上の重さと推測される鉄球がある。
「ふむ、この文字は魔力循環封印の魔法陣らしいな。丹田から引き出すことは出来るが、何かに使おうとすれば阻まれる」
「当然でしょう。魔法を使って脱獄されてはいけませんから」
鳶色の目の女性レイアが口を開いた。だがその声に、何時ものような力は感じられない。もう1人の女性ミーアについても同じことが言えた。
「何でこんなことになったのでしょうね……龍斗様は、何もしていらっしゃらないのに……」
「気を落とすなミーア。これは俺自身が招いた結果だ……俺が何もしなさすぎたんだ」
王族と認められてから先日まで、龍斗は誰1人として娶らなかった。また、どの人とも平等に接し、同程度に距離を置いてきた。これは良く言えば誰にも依存しておらず、また誰にも縛られていない中立的な立場、独立した立場を保ってこれたということ。
だが悪く言えばそれは、深い付き合いの有力者が誰もいない、ということでもある。今回のような有事の際に、龍斗に手を差し伸べてくれるような人物が全くいなかったのだ。
「……基本的に貴族は利己主義……自分にとって得かどうかで物事を判断するような連中ばかりですから。相手がいかほどの者であろうと、自分に利益を与えてくれないのなら関心は低くなっていきます」
「十中八九、オルドラン卿はここに浸け込み工作の手を回したものと思われます。手段は恐らく賄賂などの実利、要求は、『何もするな』といったところでしょうか。先日の謁見は、動きを見せれば龍斗様に組するものと見做される即ち国家反逆の罪を着せられる、ということになる雰囲気を作っておられましたし」
ミーア、レイアの分析を静聴する龍斗。沈黙が場を支配しそうになった時、ミーアが龍斗に問いかけた。
「それで、これからどうなさるおつもりですか?」
「……このままここに居ても3日後に殺されるだけだしな。どう足掻いたところで城に残るなんてのは悪手でしかない。脱獄、脱走し身を隠す。それしか無いだろう」
あまりに淡々と返されたため、少々面食らった様子のマーティス姉妹。
「そうだなぁ、お前ら2人が一番安全でいられるのは……貴族に囲ってもらうってとこだが」
その言葉を聞いた瞬間、姉妹揃って首を横に振った。それを見た龍斗は、不意に瞬きをした。その一瞬で、どこか気楽さのあった表情が消え、鋭い眼差しの無表情へと変わる。そして厳かに言葉を紡いだ。
「……危険承知で俺と共に逃げるというのなら、明日の深夜までに必要最低限の用意をしておけ。その後でまたここに来てくれ」
『はい』
即答で返事をした姉妹は、直ぐに牢を立ち去った。
そして、処刑前日の深夜。姉妹は再び龍斗の元を訪れた。無言で頷いた2人を見て、龍斗もまた頷き返す。
「準備は整いました……が、龍斗様……」
「どうやって抜け出すか、か? 簡単な話だ。こいつは魔法を使えなくしているが、物理的に外せないわけじゃない」
そう言うと龍斗は左親指を右手で掴んだ。鈍い音が鳴ると手を放し、ゆっくり左腕を動かし枷から手を抜いていく。その間、マーティス姉妹の表情は驚愕で凍りついていた。これは常人の感性を持つものであれば当然の反応である。自分の指の関節を自力で外すなど、誰が想像出来るだろう。
あっけにとられている姉妹を余所に、龍斗はだらりと下がった左親指に再び手をかける。少々弄って関節を元に戻すと、感覚を確かめるように指を動かした。
「……と、後は……ミーア、簪を。看守にばれないようにな」
龍斗が要求したのは、彼の妹美夜の形見である簪。声を掛けられ気を取り直したミーアは、肌身離さず持っているそれを鉄格子の隙間から差し出した。受け取った龍斗は、鋭利に尖った先端を枷の接続部分にある金属に当て、釘のような固定具を抜きにかかる。突き刺して木を押し込み、梃子の要領で固定具を押し上げていく。2つの固定具は直ぐに引き抜かれ、意味を成さなくなった枷は外され、晴れて龍斗の右手が解放された。
「これでよし、と」
「あの……左手、大丈夫ですか……?」
珍しくレイアが龍斗の身を案じる言葉を発した。
「ああ、大丈夫だ。少し痛みがあるが、両手解放されて回復魔法が使えるからな」
そう言う間にも魔力を通して治癒に努める龍斗。左手の赤く腫れた部分が徐々に治まっていく様子がレイアの目に映った。
「さて、そろそろ出るか。2人共、ちょっと下がってくれ」
マーティス姉妹を数歩分引き下がらせた龍斗は、立膝で印を組み厳かに呪文を唱えた。
「動かざること山の如し。行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。雨を吸いて緩みたる、何物も立たぬ地よ、『泥土』」
鉄格子が刺さっている辺りの土がたっぷりと水分を含んだものとなった。『身体強化』を発動させ、鉄格子を掴んでゆっくりと動かしていく。地盤が緩んでいるため、本来地面に埋まっている部分が徐々に姿を現してくる。それを静かに地面に寝かせると、龍斗と外界を遮るものは何も無い。姉妹の元まで出てきた龍斗は、また静かに鉄格子を持ち上げ埋め直した。地面を固めることも忘れていない。
「これでよし。部屋の荷物を取りに行くか」
看守や巡回兵の意識を刈り取りながら、龍斗は階段を上へと昇っていく。自室に到着しその扉を開けた時、龍斗の目の前に何かが現れた。反射的に『覇気』を出しかけたものの、相手の正体に気付き未遂に留めた。現れたのは、父の形見である太刀『東雲』。それを突き出す腕の持ち主に目をやると、龍斗は思わず嘆息した。
「お前かよ……沙希……」
「また勝手に置いてかないでくれる? 今回はあたしもちゃんとついて行くから」
その言葉に動きが止まった龍斗。首を動かし姉妹の方を見る。
「……私達が支度している時に問われたので正直にお答えしました」
レイアの答えに龍斗はまた嘆息した。
「……ついてきたって良いことは無いぞ。オリジアにでも行って――」
「お構いなく。これは決定事項なんで」
そう言って暗い中笑顔で答える沙希。打つ手無しと首を横に振り、太刀をたすき掛けにした。祖父の形見である脇差『暁』も腰ひもに差す。
「で……俺らはアレで移動するわけだが」
「龍君直々に3年間教えてもらったんですもの、ついていけるくらいにはなってるわよ」
ならいい、と返事をして龍斗は麻袋を肩にかけ印を組んだ。レイア、ミーア、沙希の3人も同じように印を組む。そして全員での詠唱。
『其の速きこと風の如し。我走るに大地を欲さず。即ち我宙を駆けんとす、『天駆翔走』』
4人は窓から飛び出し、深夜に広がる虚空の彼方へと駆けていった。
「――とまあ、このような経緯でして」
「……ハァ……とんでもねぇことになってんじゃねぇかよおい」
翌日の朝、龍斗達4人は【砕破の獅子】の異名を持つ将軍ユーヤ・T・ヤマモトの家を訪れ、王宮で起きたことについて説明した。案の定、ユーヤは紫煙と共に溜息をついた。
「それはそれとして。恐らく貴方にとってはこっちの方が本題かと思いますが……ライトベルクについて、です」
そう言ってユーヤの気を引き龍斗は説明を始めた。内容は、龍斗自身とライトベルク内乱について。自身がどういう目的を持っていたか。どんな活動をしていたのか。どんな工作をしていたのか等、全てをありのままに話したのだ。
「……で? 俺にその話をして何になるってんだ?」
龍斗の話が終わった後、無表情のユーヤがそう口にした。刻み煙草が燃え尽きたのか、煙管からの煙は無い。
「十中八九、私が脱獄したことで城内は大騒ぎでしょう。当然です。国家反逆の大罪人が逃げおおせたのですから。そして関心は何処へ逃げたかになるはず。彼らはライトベルクに目をつけます。私が直接治めていた土地ですから、私にとって最も安全な隠れ場所だと思って」
眉を顰めるユーヤを余所に、龍斗の言葉は続く。
「捜索隊が来るだけならともかく、ねちねちと責められたり言われの無い嫌疑をかけられたり何か要求されたり……そんな状態が長く続くのは民の為になりません。そこで提案なのですが、先ほどの話も踏まえた上でライトベルクには『私に騙された被害者面』をしてほしいのです。そうすればあまり酷いことにはならないでしょう」
「……何気に選択肢を失くしやがって。そうするしかないってんなら、そうさせてもらうしかねぇな」
「流石、話が早くて助かります……あまり長居するのも良くありませんので、そろそろ失礼させて頂きます」
その言葉を以て、龍斗達はユーヤの元を去っていき、そのままケルトン樹海の中へ消えていった。
……こうして龍斗達は、表舞台から姿を消した。彼らのその後の動向を知る者は、誰もいない。
この話を持ちまして、「龍の逆鱗」は完結ということに致します。ここまで頑張ってこれたのはひとえに読者の皆様あってこそだと思っております。本当に有難うございました。