第87話:尋問其の四 楽車の術
地下牢が並ぶ廊下の最奥、そこには『大牢』と呼ばれる牢屋があった。読んで字の如く、多人数を一度に収容出来る非常に広いスペースの牢屋である。
しかし今現在、そこに収容され鎖に繋がれているのはメイド服を着た金髪の女ただ1人。その女、マルシア・ペドルジェンは生気が無く非常に暗い顔をしていた。無機質で何も無い、ただ広いだけの空間に1人幽閉されている。その状況から来る不安、絶望といった感情に押し潰されそうになっていたのである。
そんなある日、変化は起こった。いつもなら食事が運ばれてきて良い頃合いの時間。だが大牢の中に入ってきたのは看守ではなかった。
(……あれ……リオーニャ? それにロビンさん、オリヴィア、ネーナ……)
マルシアが見たのは、看守に急かされ次々と入ってくる女性達の姿。2,3人程知らない顔もあったが、彼女は殆どの者を多少なりとも知っていた。暗殺者ギルドで見かけた女性達である。
全員が詰め込まれたところで看守が言う。
「今日からお前らはこの大牢で管理する。大人しくしていろよ、でないと何されても文句はいえねぇんだからお前らは……ああ、飯はもう少し待ってろ。せいぜい仲良くしてろ」
そう言い放つと看守は大牢から去っていった。完全に姿が見えなくなったところで、ロビンが肩の力を抜いた。
「……ふぅ。ったく扱いの雑な看守ね。隙も全くありゃしない。次の看守に期待ってとこかしらね」
その言葉を聞いた他の女から失笑が漏れた。ただ1人少し離れたところにいるマルシアは、状況を飲み込めず沈黙を保っていた。
「あの、次ってどういうことですか?」
「ん、どういうってそりゃあここから逃げるための算段に決まってるじゃない。看守を上手く丸め込めたら脱獄なんてちょろいもんよ」
「流石はロビン姐さん、伊達に場数踏んでないということですか」
「まあ、経験が違うのよ――」
別の女暗殺者レノの言葉に乗っかり、得意になって話を続けるロビン。そのほとんどはマルシアの耳には届かなかった。
(流石はギルド総合ランク3位……こんな状況でも機会を探ってるんだ。凄いなぁ)
と、その時、マルシアは意識を廊下に向けた。微かに聞こえてくる足音に耳を傾ける。やがてそれは自分達がいる大牢の前で止まった。先程とは別の看守が食事を運んできたのだ。
「ほらよ」
マルシアの前に出された食事は、ボウル1杯のスープと丸パン1つだけだった。他にあるのはスープを掬うためのスプーンのみ。
(うう……あ、鶏肉入ってる。なら……まだマシか……)
基本的に大きめに切られた野菜しか入っておらず、最悪はその野菜すら無くなることもある非常に粗末な食事。一般的な囚人に対して出される食事といえばこんなものである。
看守が食事を配り終え、牢の鍵を閉めて去っていった。それを見送った後、マルシアはロビン達へと視線を戻した。途端に彼女は目を丸くした。
(えっ……なんで? なんであれなの?)
マルシアが見たのは彼女達の食事。ハンバーグに付け合せの野菜、複数種類のパンにバター。メイドの時に出されていたのと同じような、真っ当な食事が彼女たちに与えられていたからだ。しかも彼女達はそれを何の疑問も躊躇いもなく普通に食べ始めていた。
「ふうん、今日はハンバーグねぇ……あたしは昨日のフィッシュ・アンド・チップスの方が好きだけど」
「うん、これもメイドの時と一緒の味ね」
そんな会話がマルシアの耳に入ってくる。
(えっ、もしかして皆ずっとその食事を!? アビーもリオーニャも、メイサさんもガブリエルさんも……うう、わ、私だけがこれだけだっていうの? ……いいなぁ、まともな食べ物……)
1人悲しみに暮れるマルシアに、オリヴィアが声をかけた。
「ん、あら、マルシアじゃない。久しぶりね……て、こんなところで言うことでもないか」
「あはは……」
力の無い笑顔を向けるマルシア。視線を下げたオリヴィアは直ぐに彼女の食事に気付いた。
「えっ、まさか貴女の食事ってこれだけ!?」
「え、あ、はい……」
「嘘……皆あの食事だったし、全員そうなのかと思ってた……」
「ん、ああこれは……ちょっと口つけちゃったけど、良かったらあたしのと替えたげるわよ」
話を聞いていたらしいロビンが寄ってきてそう提案した。マルシアは目を丸くし、首を横に振る。
「い、いえ、そんなことして頂かなくても……!!」
「まあいいからいいから。ずっとこれってことはまともに食べてないんでしょ……次看守来たら言っとかないとね」
そう言ってロビンはスープとスプーンを取り上げ食べ始めた。
(ロビンさんてもっとプライドが高くて我が強いイメージだったけど、結構良い人なんだ……)
そう感じたマルシアは、ロビンの厚意に甘えてハンバーグを口にした。何週間振りかのまともな食事に、涙が出そうだった。
「ああ……でも、これが最後の食事かもしれない……ギルドも壊滅してるようだし……」
不意にエステナが暗い顔でそう言った。直ぐにリオーニャが反論する。
「それはあり得ないわ。あのギルドに限ってそんなこと――」
「でも私を最後に、新しい暗殺者が捕まってない。しかも私はギルドマスター直々に『もうお前しかいない』と言われたのよ?」
(ギルド壊滅なんて、そんな……ああ、それに近いことを誰かが言っていたような気もする。ん、ちょっと待って。確かあの時……)
過去にギルドの施設で聞いたことを思い出したマルシアは、それをこの場にいる全員に伝える。
「ギルドで駄目だとしたら、確か次は『コケイシュ』じゃないですか?」
「『コケイシュ』? 何だいそれは?」
レノがマルシアに尋ねる。彼女の方に顔を向けたマルシアは聞いた話をほぼそのまま伝えた。
「隠れ家でギルドマスターがその話をしているのを聞いたことがあるんですよ。裏社会の深淵に潜んでいる、ギルドとは別の独立した暗殺者らしいです。その人とギルドマスターは何か繋がりがあるようで、ギルドの人間の救出を依頼することもあるとか」
「ふうん……まぁ何にせよ、これからの身の処し方ってのを考えといたほうが良いよ、皆」
ロビンの言葉により、少し緩んでいた空気が引き締まった。その緊張は、足音が響いてきたことによりさらに高まる。本日3度目の看守の登場である。
「ロビン・ヴォーデス。牢の移動だ」
「おや、お呼びかい」
看守に指名されたロビンは、大牢の外へと連れ出された。錠がかけられ、廊下の奥へと消えていく。これ以降、彼女が大牢に戻ってくることはもう無かった。
「……ふう、もういいぞ。ご苦労だった」
牢の移動で連れ出されたはずのロビン。しかし実際には、地下牢のある通路そのものから看守と共に出ていた。
ロビンは徐に片手を上げ、顔を撫でるように動かした。その途端に、容姿も顔も髪形も、何もかもが変わってしまった。今看守の隣に立っているのは、黒髪に藍色の目、大和の服装を着た蒼崎龍斗。幻術の1つ、『纏陽炎』にて龍斗がロビンに化けていたのである。
「じゃ、引き続き警戒頼みますね」
「はっ!!」
看守の敬礼を見届け、龍斗は自室へと歩を進めた。
(暗殺者ギルドから独立している暗殺者、か……『コケイシュ』、一体何者だ? いや、それはひとまず置いといて……さて、最後の手段と行きますか)
誰もいない廊下で一瞬だけ暗い笑みを作った龍斗は、自室への階段を上っていった。
さて、これで喜怒哀楽が出揃いました。五車の術における「楽」とは相手を羨ましがらせて心の隙を作ることだそうで。
もう少し書き様があったかもしれないのですが……力不足ですね。反省です。
さて、五車の術最後の1つ。イメージとしては一番分かりやすいですね。来週中に上げられたら良いですねぇ……




