第81話:通過儀礼
『字 蒼崎
諱 東龍斗』
龍斗が受け取った紙にはそう書かれていた。横から覗いたマーティス姉妹は首を傾げるだけだったが、龍斗は一人納得した顔で言葉を発した。
「ああ……字か……17、そうか『元服』か」
「何ですか、それは?」
いち早く反応したのはミーアだった。それに答えたのは、紙を渡した本人である沙希だった。
「大和では数え年で17になると成人なの。その成人する際の通過儀礼が『元服』と呼ばれるものね。侍や武士だと髪結いがあるんだけど、平民だったらそれはやらないわね。忍もやらない。で、元服ではそれ以外にもう1つすることがあって、それが『字』を名乗ること」
沙希の説明に、龍斗が割り入って補足する。
「『字』とは本名以外で世間一般に名乗る名前のこと。元服までに名乗っていた本名は『諱』と呼ばれるものになる。『忌み名』とも言ってな、その名の通り、呼ぶことを忌み嫌う名前となる。こっちは逆に忍が特別でな……本来字は下の名前だけだが、忍は姓名両方とも変えるんだ」
「元服はしないで、字は丸ごと変える……? 何か意味があるのですか?」
続けて質問するミーア。それに龍斗は間髪入れずに回答する。
「元服をしないのは変装のためだ。大陸で魔法を習い、術を使えるようになった今でこそ『幻術、纏陽炎』を使って変装することが出来るが、大和には魔法という概念が無いからそれは使えない。ならどうするかというと、着物や小道具や髪形を変えて別人になりきるしかない。武士よりも一般人に化けることの方が圧倒的に多いからな。勝手の良さから髪結いは行わなくなったと聞いている。それから名前の方だが……これは忍が一人前になるために必要なことだからだ」
「忍の一人前、とは?」
レイアが口を挟んできた。それに応えるように、龍斗の説明が続いた。
「忍の仕事は基本致命的な危険を伴う。相手の返り討ちで殺されるのもそうだし、捕まった時相手に情報を与えないために自害するという事もある。名前が変わっていれば、例え知り合いが死んだとしても分からなくて済む。必要以上に悲しまなくて済むんだ」
「そんな――!!」
「それが忍というものなんだよ。情に縛られてちゃ仕事なんて出来やしない。俺らは城に仕える身だったからまだ良いが、流れの忍だとあちこちから仕事を請け負う。対立してる2国から同時に依頼を受けて、同じ集団の身内と殺し合いなんてのもある。下手すれば自分の親と戦うとかな……だから薄情、いや冷酷冷淡で丁度良いんだよ」
身内との殺し合いもあるという凄惨な事実に、姉妹は息を飲むしかなかった。それを確認した龍斗は1つ息を吐き出し、視線を和紙へと戻す。
「けどこれ……字の名字はあるけど名前がないぞ」
「そりゃそうでしょ。名前は普通、元服の時に親が書いて渡すものなんだから。しかも正月前に龍君流されちゃったから死亡扱い。流石に死者に与える字は無いしね」
「あー……そうか」
龍斗の眉間に皺が寄った。沙希の言い分におかしな点は無い。それ故にどうしようもないからだ。暫く唸りを上げていた龍斗だったが、ふとあることに気付いた。
「そういや今更だが……何でお前が俺の字を持ってたんだ?」
龍斗の質問に、沙希はばつが悪そうな顔をした。
「えー、あー、えと……龍君が行方不明になって死亡扱いになって……源さんが龍誠さんから預かってたっていうそれを貰ったの……龍君の形見として……」
声量が徐々に小さくなる沙希とは対照的に、龍斗の目が丸くなり、眉が吊り上がり、最終的に呆れ返って大きく嘆息した。
「ハァ……ほんとにお前は……まあいいか、お蔭で字を知ることが出来たんだしな。名字だけ、まあ、半人前の俺には妥当だろ」
自嘲しながら紙を見つめた龍斗は、顔を上げて沙希を見た。
「で、そういやお前の字聞いてなかったな。お前はちゃんとあるんだろ、字が?」
「あー……それが、あたしも17になる前に流されちゃってて……紙は貰ってたんだけど、ほらこの通り」
沙希が別の和紙を取り出した。その紙を広げると、
『字 九蛇屋
諱 梅宮沙希』
と、龍斗と同じように名字だけとなっていた。それを確認した龍斗は鼻で笑った。
「はっ、お前みたいな半人前にはお似合いだな」
「あれ、さっきと同じこと言ってるのにものすごく悪意を感じる」
意地の悪い笑みを浮かべる龍斗に憮然とした態度の沙希。一通りその空気を楽しんだ龍斗は、いつの間にか組んでいた腕を解き、手に持っていた羊皮紙に目を向けた。
「さて、そろそろ沙希を解放するか。盟約神ミスラ、契約神ヴァルナの名において、我汝の拘束を望まず――」
「あ、ちょっと待って!!」
龍斗の詠唱を中断させたのは、意外にも沙希だった。それに気付いた龍斗が尋ねる。
「ん、何だ?」
「あー、今龍君との接点てそれしか無いんだよね……私としては、このままでも良いかなーなんて」
沙希がそう言った瞬間、龍斗の表情が明らかに曇った。そして。
「『解放』」
感情を消した低い声で呪文を唱え、沙希を奴隷から解放した。そのまま立ち上がり、部屋の扉に向かおうとする。
「あ、ちょっと、龍君!!」
呼び止められた龍斗は、ドアノブを掴もうとしていた手を止めた。しかし直ぐに首を振り、ドアノブに手をかけた。
「だから半人前だってんだお前は。いつまでも俺に拘ってんじゃねぇよ。あん時に言ったよな? あの時点で俺らの関係は終わりだ。くノ一ならくノ一らしく割り切れ。それが忍だろ」
「……でも……」
「……俺に関わるなとは言わない。だが、幾ら関わってこようがあの時以前の関係にはもう戻るつもりはない。それだけだ」
肩を震わせる沙希から逃げるように勢いよく扉を開け、足早に部屋を後にした龍斗。その後を追うマーティス姉妹は、彼に言葉をかけることはなかった。否、出来なかった。
……龍斗の表情は、今までに見せたことのない苦渋を表していた。
……ふう、なんとかクリアしましたね←
いや、こういう雰囲気はやっぱダメな感じですねぇ……ハァ……
さて、次の話はいつ書けるのか……