第79話:厄介事
「これはこれはルート殿下、ご機嫌麗しゅう御座います」
「……えっと……ベラード子爵殿、どうされました?」
昼の休憩時、食事も終えて1人廊下を歩いていると、貴族の男から声をかけられた。一瞬眉を顰めたが、すぐに笑顔を作り丁寧な応対を心がける。しかし眼だけは、冷めたような様子を隠しきれなかった。もっとも相手がそれに気付くことはなかったが。
「いや何、ライトベルクの反乱を独力で鎮め、統治を一任された殿下の雄姿、一目見ておきたいと思いましてな。どうですか、さぞやお疲れではありませんか」
「……そうですね。確かに今までと比べると仕事が多いです。元が自由業みたいなものでしたし」
その言葉を聞いたベラードの目が光り、笑みを更に深くしていく。
「そうですか、それはいけませんねぇ。殿下のお体はもはや殿下お1人のものではございません。何かあったら大事です。あ、そういえば、ほらほら」
ベラードが呼びかけると、彼の隣にいた少女がルートの正面に立ち、微笑みと共に会釈した。白を基調とし、金糸をあしらった豪奢なドレスに身を包み、様々な宝石で着飾って美しく仕上がっている。ルートは最初からその存在に気付いていたが、敢えて見ないようにしていた。
「こちらはうちの次女なんですが、回復系の魔法を得意としておりましてね。教養もしっかりしておりますし、お傍に置いて頂ければきっとお役に立てるはずに御座います」
「ミシェルと申します。私が生まれる前から続いていたという反乱を見事治められたこと、心からお祝い申し上げます」
スカートの裾を摘まみながらの優雅な一礼。ベラードの次女ミシェルの態度は、貴族の娘として申し分ないものだった。しかしルートは、それに苦笑で答えた。
「ああ、申し訳ありませんが、今はそれどころじゃないほどの多忙ぶりなんですよ……あ、そうだ。この後すぐに軍議があるんでした。本当に申し訳ない。お話は考えておきますので」
「急ぎでしたら致し方ありませんな。ではまたの機会に」
「御機嫌よう」
ベラード親子に軽く頭を下げ、ルートは廊下を走っていった。直ぐ近くにあった曲がり角を曲がり停止する。顔を少しだけ動かし、先ほどの廊下の奥に親子が消えていったことを確認すると、極力音を出さないよう安堵の溜息を漏らした。
「軍議の予定は一切無いのですが」
気を抜いた瞬間に聞こえてきた声。驚いた龍斗は反射的に声の主を睨み付ける。しかし一瞬肩を震わせた相手を視認すると、直ぐに警戒を解いた。
「……ハァ、なんだよレイアにミーア、脅かすなよ」
「す、すみません……ですがそれはこっちの台詞でもあります。さっき振り返ってきた時の目……本気で殺されると思いましたよ……」
「そりゃそうだ。殺すつもりだったからな」
まだ恐怖が残っているのか、少し声が震えているミーアに、龍斗は平然と答えた。ミーアが固まったのを余所に、龍斗はレイアに目を向けた。
「それで? どこから聞いてた?」
「丁度軍議の件だけです。それで、龍斗様が嘘をついてまでお逃げになるほどの用だったのですか、あの方達は?」
レイアが聞き返すと、龍斗は眉を顰めながら首を振った。
「用も何も……要するに後宮だよ」
後宮とは、エルグレシア王国においては王族だけが住まう王宮の更に奥、個人個人のプライベートな空間のことを指す。プライベートな空間と言っても個室などという話ではない。何十人も住めそうな屋敷風に設えてある尖塔1つが丸ごと1人の所有物なのである。先程ベラードが言った「娘をお傍に」という言葉の意味は、要約すれば「後宮に娘を入れろ」ということなのである。更に真意を著すならばこういう事になる。
『うちの娘を妾として後宮に入れろ。そしてあなたの子供を産ませろ』と。
貴族という身分の者には、己が利の為と野心の強い者が多い。そんな彼らが今以上の力を持つのに一番手っ取り早い方法が王族に取り入ること。王族に媚を売る手もある。だが中には自らが実権を握りたいと考える輩もいる。そんな人間がとる方法は1つ。即ち、自分の娘と王族との間に子を設けさせ、その子の後見人となって実権を握っていくというものである。
しかし現在の国王はエルペローゼ女王。ウォルトンが伴侶と決まっているし、かといってウォルトンに娘を捧げても子は王族とならないから意味はない。彼らの息子は2人いるが、どちらもまだ10歳に満たない子供である。中には先行投資と言って2人の元に娘を送った貴族もいるが、現段階ではそちらも意味がない。
そこで彼らが目をつけたのが新しく入った年頃の王族、龍斗だった。龍斗と女を結び付けて、生まれてきた子を金や地位のために利用しようという算段で、随分前から様々な人間が、龍斗に女性を紹介しているのである。しかしそういった女性の為すべきことは、子を産むことだけではない。龍斗という王族についての情報を生家に与えるという役目もある。その情報を元にそれぞれの家が立ち回りを考えるのである。更には生家にとって有利になるよう王族に働きかけるということもある。それ故に、実権を狙う反現王権派以外、現王権擁護派や中立派も続々と龍斗の元に女を連れてきていた。
「今日はさっきのベラード子爵の次女、その前にペルノン男爵のとこの三女、その前がラグダーニ少将のとこの長女だったか。昨日はどうだったっけ……バンディル中将、オールベン大佐、ああ、オルドラン伯爵からもあったな。バンズ男爵とハウゼン子爵……ああ、もう無理だ。思い出せん」
「良いじゃありませんか、ハーレムですよ」
皮肉を込めたレイアの言葉に、龍斗は首を横に振った。
「俺はそんな好色じゃねぇよ。それだったらとっくに2人共手籠めにしてる。大体人間ってのは異性と共にある時が一番隙が出来やすいんだ。自ら危険を晒すような真似はしない。それが忍だ」
「成程、で、本音は?」
「大和にいた頃に色事関連でとんでもない目に遭った。あんなのは2度と御免だ」
そう言ってのけた龍斗は、腕を組みながら廊下を進んでいった。両脇には幾つもの扉が並んでおり、部屋数の多さを物語っている。と、その部屋の1つから突然大きな音が響いた。警戒モードに入った龍斗が壁際に身を寄せる。音を立てないようにドアノブを回し、静かに部屋へと入った。そこで龍斗は、意外なものを目にした。
「……何故だ」