第76話:窮鼠猫を噛む~本当の終わり~
王城周辺には貴族が住む屋敷が軒を連ねて建っている。職場である王城に近いという利便性の理由と、いざという時に最も安全な場所であるという姑息な理由によって自然と形成されたもので、彼らが住み始めてから久しい今では上級地区という名で知られている。
ある屋敷のある部屋で、1人の男が深い溜息を吐いていた。傍らに置かれたグラスには、窓から入る斜陽と同じ色の液体が注がれている。それはブランデーという酒だった。男が注いだのはこれで10杯目なのだが、彼は全く酔いを感じていなかった。酔っ払って忘れ去ろうとしても忘れることの出来ない、深刻な問題を抱えていたからである。
男は窓の外を見て、再び嘆息した。そこに広がるのはセルゾア河。天候が良いため、端に小さくライトベルクの建物が見えている。
「……どうしてこうなった……」
部屋には男以外の人間はいない。故にその疑問に答えるものもいない。はずだった。
「その答えを差し上げましょうか?」
答える声に驚いた男が振り返ると、そこには若い男が立っていた。その服装は、最初に彼を見た時とほぼ同じ、異国大和のものだという格好。だがその髪は、王族と認められ隠す必要が無くなったとのことで金髪に、眼も王族の象徴たる紫龍眼となっている。そう、仮にも王族の者である。そんな身分の者が、一介の貴族に過ぎない男の部屋にいるはずがない。増して断りがあるならともかく、勝手に侵入してくるなど普通は考えられない。
「なっ……どうしてここに、いや、どうやって……ルート殿」
亡きフェルミレーナ王女の血を継ぐ唯一の王族、ルート・イーストがそこにいた。
「五里霧中、雲散霧消……『幻術、纏陽炎』」
そう呟いた途端、ルートの姿が歪んだように見えた。そして彼の金髪が黒へと変わる。ルート・イーストから東龍斗に変わったのだ。
この外見を変える術の名は『幻術』。文字通り魔力を用いることで、相手に幻覚を引き起こす術である。『纏陽炎』は複数ある幻術の1つで、魔力を鎧として身にまとう防御強化のように、幻覚を見せる作用を持つ魔力を対象にまとわせる、というものである。因みに今回は発動させるためではなく、解除のために呪文を唱えた。発動させた後は意思だけで解除することが可能だが、割と余分な魔力を消費する。今後の事を考えた龍斗は、魔力の消費を抑えるために丁寧な方を選択したというだけのことである。
見た目の変化と共に、龍斗がまとう雰囲気も変わる。男は敏感にそれを感じ取った。人間とも自然物とも思えない、完全に無機質な存在であるかのように感じるのだ。その得体の知れない不気味さに恐怖心を煽られ、男は冷や汗を噴出した。これは龍斗が術を解除し、魔力の全てを自身の中の丹田に封じたことに起因する。無意識とはいえ、龍斗の魔力変化を察知するだけの力量が、男にはあった。
「……どうしてここに?」
男は再度龍斗に問うた。表情も無く、非常に冷徹な視線を以て男を見据えた龍斗。開いた口から無機質な声が発された。
「ハルト殿。答えはあの世で、ランゴバルトにでも聞け……早霧の山に茜差す、『東雲』」
言うが早いか、龍斗は背中の太刀を抜き放ちながら王国貴族侯爵位である屋敷の主、ハルト・マーク・ミュートロスに迫っていく。術の発動は無かったが、それでもその速さに目が追い付かずハルトは一瞬龍斗を見失った。その一瞬を逃すまいと、袈裟斬りを仕掛ける龍斗。だが。
「くっ!!」
ハルトは反射的に、近くにあった己の剣を取ってこれを防いだ。剣の鞘に防がれたと分かると、龍斗は直ぐに距離を置いた。
「……流石に元武官、一筋縄ではいかないか」
「何なんだ……何故いきなり攻撃など……!!」
「言わねば分からんか? ライトベルクの反乱を維持するため、ランゴバルトは王宮の金を横領した。無論、明確に敵対意志を示していたあの男だけではそれは為し得ない。王宮に居座る内通者の存在がある……それがあんただ、ハルト。反乱は現国家に刃を向ける行為……故にそれに加担したあんたは不敬罪、国家資金横領罪、反逆罪を背負うことになる。反逆罪がある時点で処罰は『死刑』。俺はその執行に参った次第」
ハルトは苦々しく歯軋りし、剣の鞘を取り払った。鈍い光を反射させて、長い刃が姿を現す。それを見た龍斗は僅かに口元を歪めた。
「母の名を看板に上げながら、その息子に刃を向けるか」
「何を!! その計画を貴様が壊したくせに!! ……失敗した以上、この計画に全てを賭けていた儂はもうこの国では生きていけん。国外に出るつもりだった!! なのにここまで邪魔しに来やがって……命が惜しい、これだけは邪魔させん!!」
後が無くなり、勢い良く突進してくるハルト。その太刀筋を見切った龍斗は、当たる直前に体を捻り必要最小限の動作で回避する。避けられたことに気付いたハルトは直ぐに踏み止まり、振り向きざまに背後を薙ぎ払う。しゃがんだ龍斗は、下段を狙う次の太刀筋に気付きバックステップで距離を取った。
(これは正直、不利か)
ハルトが振っているのはブロードソードと呼ばれる、長剣の中でやや刀身の幅が広めの物。大陸で普及している剣という武器、刺突や斬撃を繰り出すための武器と思われがちだが、実はそうではない。刃は意外に潰れやすく、刃物としては造りが甘い。しかしこの剣は、いわば1つの鉄塊と捉えることが出来る。即ち、刃物としての側面よりも、寧ろ鈍器としての側面の方が強い傾向にあるのだ。だからこそ、今ハルトがやっているように力任せに振ることが出来る。刃が潰れて斬れなくなっても刺せなくなっても問題は無い。その重量を活かして力任せに当てるだけで、相手に強烈なダメージを与えることが出来るのだから。俗に言う『押して斬る』というのは、実際にはこういった武器の特性という面が関係している。
対して龍斗が使っているのは太刀。真っ直ぐな刀身で両刃のブロードソードとは違い、片刃で反りが入っている。そして太刀は正真正銘、物を『斬る』ことに特化した本当の意味での『刃物』である。勿論刺突攻撃も出来る。しかし切れ味に重点を置いているため剣に比べて刃が薄い。剣は刃が潰れてもまだ武器として使えるが、太刀は刃が全て。斬れなくなるともう武器として役には立たないのである。
ブロードソードと刀が正面から打ち合ったらどうなるか。刀の刃は剣の重量に耐えきれず潰れる、いや刃が折れてしまう可能性が非常に高い。故に龍斗は打ち合いをせず、隙を待ってひたすら回避をしていたのだ。龍斗はこのことを、大陸に来てからの経験則で学び取っていた。
強化魔法を用いて豪快な力技、されど隙の無い振り方で攻撃を繰り返すハルト。一方龍斗は、術を使う余裕も無く回避を続けていた。その一方的な攻防も終わりの時を迎えた。
ハルトが下から上へ斬り上げる。バックステップで避けた龍斗の背中に、固い感触が当たった。背後を見なくともそこに壁があることを察知した。
「追い込まれたか……」
「もらった!!」
壁際に追い込んだことで勝利を確信したハルト。大上段の構えから袈裟斬りをかけ、龍斗を叩き潰さんとする。その瞬間、龍斗は魔力を『覇気』として放出する。その迫力に押されたハルトが刃先に迷いを見せるも、直ぐに、何事も無かったかのように太刀筋を続ける。だが龍斗にはその一瞬で充分だった。放出した魔力をそのまま『即応の霧』とし、一部はまた取り込んで『金剛鉄身』を発動させ筋力強化、更に武器を強化するため太刀に『忠勝鎧身』をかけた。この3つは強化系魔法に当たるため、無詠唱での発動が可能なのだ。
感覚が強化され、より正確に太刀筋を見切った龍斗は、刃の側面で撫で付けるように太刀を打ち合わせた。万が一にも壊れないよう強化を施した太刀から来る衝撃に耐え、その重さに負けないよう強化した筋肉から発揮される力を以て上手く刃を受け流す。力が流れたハルトは少し体勢を崩した。その体に、龍斗の返す刃が吸い込まれていった。
「なっ……かはっ」
龍斗が後ろに下がると、剣の重さに引っ張られてハルトの体が前倒れになった。石畳の上に血の池が広がっていく。ぴくぴくと痙攣を繰り返し、何かを喋ろうとしているのか、己の血の池で口からごぼごぼと気泡を出している。その様子を見た龍斗は僅かに目を細め、瀕死のハルトに近づいていった。太刀を首の傍に立て、振り上げて頸動脈を斬り裂く。そして、その背の中央辺りに太刀を突き刺し、止めを刺した。
暫くして、完全に息の根が止まったことを確認した龍斗は、血糊を振り払い刃を元の鞘に納めた。全く音の無い部屋の中、龍斗は静かに目を閉じた。黙祷、そして屋敷の中に自分以外の生者がいないことを確認して、龍斗は窓辺に寄っていった。だがその歩みが突然止まる。
「……しまった、魔力消費が激しい、『天駆翔走』が使えねぇ……チッ」
舌打ちした龍斗は直ぐに考え、カーテンやベッドのシーツなどを結び合わせ、即製のロープとした。それを握ったまま窓の外へと身を投げる。端には何冊もの本が括り付けてあり、窓の縁に引っかかるようになっている。それが上手く作動したため、龍斗の体は途中で止まり、重力に従って下に落ちた。ゆっくりと地面に降りた龍斗は、なけなしの魔力を振り絞って即製ロープに火を点けた。屋敷の中は至る所に油や酒が撒いてある。即製ロープが導火線となり、屋敷は一気に燃え上がることだろう。即製ロープの火の勢いを確認し、龍斗は建物の影に走り去っていった。
翌日、火災によりハルト・マーク・ミュートロス侯爵死亡という知らせが王城に届いた。そしてこれを以て、ライトベルクの反乱は本当の意味で終わりを迎えた。
ついに、ついにこの時がやって参りました!! もしかしたら無理かもしれないと思っていた今月中に、内乱編を終わらせることが出来ました!!←
これも、日ごろ皆様に読んで頂いてるという実感あってこそですね。どうもありがとうございます。
さて、次から新しい章となりますが、ネタバレでもなんでもないので先に宣言します。次の章はズバリ、「王宮編」です。王族と認められた龍斗と周囲の人たちとの、今までよりは軽めな話が続くと思います。箸休めみたいなものですかね←
4月からは新生活に入るので、更新が今まで以上に不定期となる可能性が高いです、はい^^;
そうなっても話が崩れないようにするために、整理やプロット構成をしっかりしておきたいんですよね……というわけで、次の更新は4月になる可能性が非常に高いこと、ご了承頂きたいと思います。拙い作品ですが、今後ともよろしくお願いします。
なお、設定集の方の更新は3月中にする予定です。宜しければそちらもお役立てください。