第67話:暗躍
定例会議において、今後の切り札となるルート・イーストの存在が文武双方の代表に知れ渡った。しかしルート本人が危惧する最悪の事態を想定した結果、会議参加者以外にルートの情報を公開することは避けられた。元エルグレシア王国公爵家の長男にして、現在のライトベルクで最も力を持つランゴバルトの後押しが決定打となった。この会議でのルート即ち龍斗の収穫としては、ユーヤ、リョウイチといった軍上層部と面識を持ったことくらいであった。
定例会議の後、『国王になる身なのだから政治の事も学んでもらう』というランゴバルトの提言を受け入れ、ルートは彼の付き人となり、その仕事を見ながら政治の事を学んでいった。仕事の主な内容は、商人への貿易許可を出す、資金出納の管理といった経済面に関する事。ルートはランゴバルトの後ろから書類を見せてもらいながら説明を受け、その内容を把握していった。実は最初から内容は把握出来ていて、そのために最初から疑問を持っていたルートだったが、それには触れずにただ説明を聞き続けた。そうして1週間経ったある日、頃合いと見たルートはついにその疑問を口にした。
「あの、ランゴバルト卿」
「ん、どうしたルート君」
執務室で仕事をしているランゴバルトは、書類から顔を上げることなく尋ね返した。眉を顰め、苦い表情のルートが尋ねた。
「その書類の金額……収入よりも支出が多くないですか? 採算が取れてませんよ」
この書類だけではない。今まで見てきたほとんどの書類がそうだった。指摘されたランゴバルトは手を止めて振り返り、ルートを見た。笑みの無い真剣な表情だった。
「……そうか、もうそこまで読み取れるようになったか。学習が早いな……ライトベルクは元々大した名産品もない。貿易は盛んだったが、反乱で占拠した後は数が減った。おかげでほとんど儲かりはしない」
「なら、今までどうやってここを維持してきたんですか?」
「決まってるだろう。ある所からもらうのさ」
「何処に金があるんですか?」
「……国だよ。国内に内通者がいるって言ったろ。その人が上手く工作して国家資金の一部をこっちに流しているのさ」
ルートは唖然として言葉が出なかった。その気持ちを察したランゴバルトは畳み掛けるように言葉を繋いだ。
「ルート君、これは必要悪なんだよ。皆の暮らしを維持出来なかったら、たちまちここは潰れてしまう。あんな汚い真似して王権握った奴らが使うより、正統派の私達が使う方がよっぽど有意義だ。それに、この世の中は勝ったもん勝ちだ。私達が勝てば、私達のやってきたこと全てが正しいと認識される。そうじゃないかい?」
そう語るランゴバルトの眼は、非常に狡猾な光を放っていた。勝てばすべてが許される。第1位血統という切り札を手に入れた今、彼はよりその信条に憑りつかれたようだ。そんなランゴバルトの様子に、ルートは頷くしかなかった。
その日の深夜、ルートに与えられた部屋から龍斗が出てきた。金髪紫眼のルートではなく、黒髪藍眼の龍斗である。服装も大陸で一般的な格好ではなく、藍色の着物に黒の足袋。感情の無い顔で冷静に辺りを見渡した後、音をたてないよう静かに扉を閉めた。部屋には1本、火のついた蝋燭が辛うじて明かりを放っていたが、その明かりも、扉が閉まると同時に無くなり、廊下は完全な闇となった。龍斗は直ぐに目を閉じた。人間の目というのは、急に明るさの違う場所に入ると一時的とはいえ視力を失う。徐々に慣れて視力が戻っていくのだが、戻るまで何もせずじっとしているわけにはいかない。そんな隙だらけでは忍は務まらない。故に忍は、明所から暗所に移った際に必ず目を閉じる。数秒で暗所に慣れた目に切り替わるよう特殊な訓練をしているのだ。
目を開けた龍斗は直ぐに動いた。足音をたてないよう気をつけながら、足早に廊下を進んでいく龍斗。とその時、微かに音が聞こえたような気がした。壁に背をつけ、進む先を見る。因みに今現在龍斗は一切の魔法を使っていない。マーティス姉妹曰く、一定の実力を持つ人間には魔力の存在が分かるとのこと。詠唱系は勿論、強化系であっても分かる人には分かる。感覚であっても、感じる人間には魔力を感じ取られてしまう。故に龍斗は魔力を使わない。丹田に仕舞い込み、万一にも漏れることの無いようにしている。
しかし、全く魔力が無いというのも逆に不自然である。何故なら魔力は、石や草木等全てのものに存在するものだからだ。故に龍斗は、『魔法』ではなく『術』を使う。
「知り難きこと影の如し、『霧隠れ』」
印を組んで素早く唱えた。少しだけ魔力を放出し、霧散させて周囲が持つ魔力に合わせる。その頃には、廊下の端に仄かな明かりが見えていた。息を殺し、柱の影に身を潜める。大した隙間ではない。幅は龍斗のかかとから爪先までの長さがギリギリあるかどうか。壁に背をつけ廊下を向いて隠れているが、ちょっと勘の良い人間であればすぐに気付かれる。幾ら用心を重ねようと、絶対に見つからないという保証はない。龍斗は自然と心拍数が上がっていくのを感じた。そしてついに、相手が持っていると思われる蝋燭が視界に入った。
「――んでよ、その時後ろの方から『怨めしや~』という声が聞こえたんだと。ありゃ間違いなく幽霊だつってたぜ」
「マジかよそれ、誰の情報だよったく」
明かりをもった巡回の兵2人が、龍斗の前を通り過ぎた。何にも気付かない様子に安堵し、いつの間にか止めていた息をゆっくりと吐き出す。その瞬間、兵士の1人が足を止めた。つられるようにもう1人が足を止める。龍斗もまた息を殺した。全ての感覚を2人に向けた。
「……今さ、何かいなかったか?」
「……ぞっとしない話だなおい。何がどこにいたっての」
「いや、その壁際に――」
拙いと思った龍斗はとっさに行動した。
『怨めしや~』
少し震えた金切り声で、龍斗はその言葉を発した。直前まで怪談話をしていた2人は、大きく跳ね上がり、何事かを叫びながら一目散に走り去っていった。人の気配が消えたのを確認して、静かにゆっくり安堵の息を吐いた。その後移動を再開、ついに目的の部屋、執務室に辿り着いた。
静かに扉を開ける。そこは先程までの廊下と同じ闇の部屋。
「我に光を、『蛍光』」
龍斗は手の平に納まる程度の光球を作り出した。窓から光が漏れないよう机の下に光球を置き、机の引き出しを全て開けて、慎重に中身を調べていった。暫くして龍斗は、目的のものを発見した。
(木を隠すなら森の中。手紙を隠すなら、やはり書類の中か)
数枚の紙を懐に入れ、それ以外は来る前と全く同じように直し、光球を消した。龍斗の姿は再び闇に溶け込んでいった。