第63話:犬小屋の狗
レイアは槍を構え直した。距離を詰めて渾身の突きを相手に放つ。相手は身を捻ってそれを躱し、その勢いのまま1回転して腕を伸ばす。その手に握られていた鎖は、慣性によって動き続けレイアの背後を狙う。レイアはそれに気付き、石突の方を振り上げて軌道を逸らそうとする。だが鎖は棒を支点に折れ曲がり、レイアの槍に巻きついてしまった。一進一退の綱引き状態。レイアは唐突に槍を地面に突き刺した。武器を手放して迫ってくるレイアに驚いた相手だったが、口を歪めてそれに応じた。
「オラァ!!」
「『衝拳』!!」
相手の手甲に付いている鉄の部分がレイアの頭に一撃を与えた。それと同時にレイアの衝撃付きの拳も相手の鳩尾に入っている。しかし双方とも大きなダメージを受けた様子はない。『防御強化』で魔力の鎧を作りダメージを軽減しているからだ。それを皮切りに2人の肉弾戦が始まった。レイアが繰り出すパンチやキックを上手く躱し、要所要所を狙って拳を繰り出す相手。
レイアが蹴り上げた足を相手が掴んだ。レイアは空いている足で反動をつけて跳躍、衝撃付きの蹴りを放ち、またその反動で相手から抜け出す。姿勢を整え相手を睨みつけた時、砂時計の砂が完全に落ちた。
「試合終了です!!」
緑髪の女性がそう宣言すると、戦っていた両者は力を抜いた。ゆっくりと歩み寄り、槍が刺さっている所まで来ると握手を交わした。
「流石だねレイア。今日もいい運動なったわ。流石、五本槍の一角だけあるね」
鎖を投げていた女性が声をかけた。ショートカットの青い髪、177㎝という高身長を持つ彼女の体は、しなやかな筋肉によって引き締められている。レイアも笑顔で応じた。
「いえ、私なんてまだまだ。カトレアさんの鎖には及びませんわ」
内乱中、とはいうものの、四六時中本国の軍とぶつかっているわけではない。反乱当初は激戦が繰り広げられていたのだが、2年、3年と経過するにつれて王国に疲労が出てきたのだ。そもそも軍というものには莫大な費用が掛かる。1つの国を守るための軍だから、当然兵士の数は多い。それら全ての武器、防具、兵糧、兵士たちに支払う給料もある。金を浪費し続けるだけで成果を上げられず貴族達の不満が高まる。度重なる食料等の徴発に平民の不満が高まる。ライトベルクに続く第2の反乱が起きかねない事態となったため、国王はライトベルクへの大規模遠征を断念した。それ以降、反乱軍との戦いは数年に1回、派遣される兵士の数も万単位から1000人規模へと縮小された。ライトベルク側もかなり消耗したが、上層部が上手く土地を治めていったことで崩壊することなく存在し続け、気付けば19年の月日が経っていた。
戦闘が無い時に軍は何をするか。戦闘時に備えて鍛錬を積むのである。その鍛錬の一環として行われているのが、先程レイアとカトレアが行っていた実戦形式の試合だった。因みにカトレアは傭兵の中でも飛び抜けた実力者であり、ユーヤを除けば軍内一の前衛だという。
「やあ、丁度試合が終わったようだね」
軍本部が置いてあるライトベルク中部。その一角に、試合に使われるグラウンドがあった。そこに現れた人物を見て、レイアの目が細くなった。
「……ロイ大佐、何のご用でしょうか」
「相変わらずきついね。間違って呼ばれる分には良いけど、故意に間違われるのは傷つくよ」
そう言って苦笑したのはリョウイチ・マスダ。しかし直ぐに表情を引き締め、レイアに向き直る。
「と、それはともかく。すまないがレイア君、補佐役を頼むよ」
「分かりました、では」
カトレアに挨拶をしてから、レイアはリョウイチと共に歩いていった。佐官以上の地位にいる軍人は行動する際に補佐役を1人つける必要があるのだが、リョウイチはその際レイアを指名することが多かった。
この日リョウイチが担当するのは通信本部だった。通信本部はライトベルク全体のありとあらゆる情報の中枢をなす場所である。関所からの連絡もそうだし、もし敵が現れた場合見張り番からの連絡も入る。さらに各部隊への指示を出す際の拠点でもある。様々な情報を同時に扱うことを考えて、今現在本部にはリョウイチとレイアを含め7人がいた。しかし、5人で回るような通信しかなかったためにリョウイチとレイアは特にすることが無かった。
しばらく静かにしていたレイアだったが、ふと思い出したように疑問が浮かんだ。聞くかどうか迷ったが、今なら大丈夫だろうと判断し口を開いた。
「失礼ですが、いつも私を補佐役に任じるのは何故ですか? 職権乱用の嫌がらせか何かですか? それとも身近に置いておいて口説きやすくするためですか?」
「いや、それは無い。別に私は女性全員口説き落とさないと気が済まないなんていうこともないし、嫌がらせでもないが……まあ、君に任すのが一番楽だから、かな」
「楽? じゃあいつも仕事に手を抜いていらっしゃると?」
「そうじゃない、仕事は真面目にやってるさ。軍に関わる重要なことなんだから。どんな場であっても女性がいればある程度穏やかに話が進められる。だから補佐役はいつも女性に頼むんだが……ほとんどの女性から、猛烈なアピール攻撃を受ける羽目になるんだよ」
「あら、ハーレムですか、良かったですね」
レイアの言葉が鋭さを増した。リョウイチは眉をハの字にして首を横に振った。
「勘弁してくれ。過去に軍属の女性と付き合ったことがあるんだが……別の女性と話していただけで殺されそうになってね。それ以来、傭兵も含めて軍の人間とは付き合わないようにしてるんだ」
「なら、口説くのを止めるか、大佐を嫌っている方を補佐にするか、男性を補佐にするか、ですね」
「口説いて本性を暴くのは間諜対策で絶対必要。男ばかりの会議はむさ苦しくて相手を不快にさせるだけだから駄目だな。私を好いていない女性はいいんだが、きちんと処理能力を持つ者でないと務まらない。そういう訳で、私に好意が無く、実力と処理能力を持つ君が最適なわけだ」
その説明に釈然としないレイアだったが、それ以上何かあるわけでもなかったので分かりましたと言って引き下がった。とその時、本部にある『通信カード』の1つが光を放った。カードに浮かび上がってきた通信相手の名前を見て、兵士の1人が声を上げた。
「た、大佐!! 『獅子のねぐら』からです!!」
「なっ、貸せ!!」
読んでいた本を投げ飛ばし、ひったくるように『通信カード』を手に取るリョウイチ。通信手段は念話のためわざわざ口に出す必要はないのだが、軍の規則を守り、リョウイチは台詞を口に出していた。
「こちら軍本部です」
「……了解しました。至急増援を……どうせもう海賊のとこでしょう? 貴女も大変ですね、連絡役押し付けられて」
「頭が下がります」
「え、あ、ちょっ……ああ、切れた。たく、あの人もあの人だよ」
そう言って『通信カード』を元の場所に戻すリョウイチ。しかし左手にまた別のカードを持って通信を始めた。
「こちら『フレイム』、竜騎士隊に出動命令。モルバの浜にて海賊の来襲あり。至急『獅子』の援護を命ずる。繰り返す。ドラゴン・ナイツに出動命令。モルバの浜にて海賊の来襲あり。至急『獅子』の援護を命ずる」
その言葉が終わった途端、獣が咆哮するような声と風の音がどこからか聞こえた。レイアがテントから出てみると、丁度その音の発生源が隊形を組んで空の彼方へと飛んでいくところだった。
「あれは、一体……?」
「あれ、まだ面識なかったのか。我が軍が誇る空軍、竜騎士隊のワイバーンだよ」
「ワイバーン? 何故そんなものを出動させたのですか?」
「獅子……【砕破の獅子】という異名を持つユーヤ将軍が既に討伐に向かっている。あの人の戦い方からすればこれが一番良いんだ」
「……どういうことです?」
リョウイチは眉間に皺を寄せた。どう説明したものか悩んでいるようだった。
「む……まあ、あの人の力が関わってるという所で勘弁してもらいたい」
レイアはそれ以上の追及を止めた。情報収集は確かに必要なのだが、龍斗から『無理に引き出そうとしても失敗する。焦るな』と言われている。此処が引き際と判断したのだ。レイアは思い出したように次の質問に入る。
「そう言えばその将軍って一度もお会いしたことがありませんが……」
「そりゃそうだろう。あの人は月に1回の定例会議でない限りずっとトルヌ村で生活してるから」
リョウイチは苦笑気味に答えた。驚いた演技をしながら話題を進める。
「え……本当ですか? 良いのですかそれで?」
「『国は民あってのもんだ。民を知らずに国が守れるか』って考えの持ち主でね。民の生活に溶け込んで、不満やら意見やらを吸い上げてくれてるんだ。『砦に籠ってるよか外にいた方が賊からも守りやすい』とも言ってたけど」
「へぇ……随分地域密着型な方ですね」
「というか本音はあっちの方が気楽で住みやすいってだけじゃないかと思うけどね。たださっきも言ったように民の意見を上まで持ってきてくれるからこそ、民の不満を回避する政治が出来る。民の方も、気軽に接してくれるあの人がいるからこそ軍に信用を置いているってとこもあってね。まあ、結果オーライじゃないかな」
その後、竜騎士隊によって無事海賊達は捕縛され、事態は収束した。
「――以上、『狗』の報告を終わります」
深夜、自室でミーアと同じように警戒しながら念話をするレイアの姿があった。タイミングとしてはミーアの後である。
〈了解だ……ああ、ミーアが言ってたんだが、軍属の打診があって断ったそうだ。ドラゴン・ナイツって部隊らしいが、接点は?〉
「今のところありませんが、時間の問題でしょうね……」
〈ああ、予定が早まることも覚悟しといてくれ。何時そうなっても良いようにな。ところで、【焔の大佐】とやらは結局、大和人か?〉
「いえ、話を聞いたところ大佐の祖母が流されてきた人間のようですので、3世ですね」
〈そうか……子孫、結構いるもんなんだな……分かった。引き続き頼んだぞ〉
「承知しました。お休みなさいませ」
念話を切り、カードを仕舞ったところでレイアの1日が終わった。