第62話:獅子と魚
「――んのど阿呆がぁ!!」
ユーヤの怒声が辺り一面に響き渡った。彼の真正面にいたセヴルとミーアは当然まともに喰らっている。頭の中で反響しているのか、焦点がぼやけた目でゆらゆらと体を動かしていた。その様子に業を煮やしたユーヤは、ハンマーを片手で少しだけ持ち上げた後また地面に叩きつけた。音と衝撃で気が付いた2人。
「まずはてめぇだ」
「うっ……」
懐から煙管を取り出したユーヤは、その雁首でミーアの頭を叩いた。思わず呻き声が漏れる。
「さっきの説明で、てめぇが武家の出身で、槍と魔法の心得があるのは分かった。だがな、そいつぁてめぇが無茶していい理由にゃならねんだよ」
駆け付けた竜騎士隊によって海賊団員全員が縛り上げられ連行された後。セヴルとミーアはユーヤに言われて砂浜で正座させられ、彼の説教を受けていた。仁王立ちで睨むユーヤには、えもいわれぬ迫力があった。
「てめぇが考えたことはまあ正しいわな。何も出来ねぇガキを逃がし、海賊を足止めするために戦える者が残る。だがそいつぁ俺らの仕事だ。一般人のてめぇがやることじゃねぇ」
「し、しかし……」
「それにてめぇ、何の為にここにいるか忘れたわけじゃあるめぇ。てめぇの姉貴を探すんじゃなかったのか。再会する為じゃねぇのか。なのに万一てめぇが海賊に攫われてったら何の意味もねぇじゃねぇか」
「うっ……確かに、軽率でした……」
実際はどうであれ、現在ミーアはそういう建前でトルヌ村に潜入している。独断専行は事実だし、なにより、折角潜入出来たのにそれを不意にするわけにいかない。ミーアは項垂れるしかなかった。
「――でだ、次ゃお前だよガキ」
「アイタッ」
今度はセヴルが頭を叩かれた。覗き込むように、セヴルに顔を近づける。
「な、なんでだ、俺は何もしてないじゃないか!!」
「それが駄目なんだよアホンダラ!!」
ユーヤはもう一度、煙管の雁首でセヴルを叩く。
「いいか、男の力ってのはな、女守る為にあるようなもんなんだよ。それがどうだ? 小娘に守られ、言われるがまま敵前逃亡、パシリ、情けないにも程がある!! そういう時ゃあ力あろうがなかろうが、虚勢でも何でも良い、男の方が体張るんだよ!! 非力なら非力なりに腕引っ張って連れて逃げるぐらいやりやがれ!! そんなんじゃてめぇ、将来かみさんの尻に敷かれっぞ」
何とも言い難い理由で説教を食らったセヴルだが、己の非力を感じ取って同じように俯いた。
「火の精霊よ、力の具現を、『ファイア』」
ユーヤは煙管に刻み煙草を詰め、魔法で火をつけた。煙を吸い込み、溜息と共に吐き出した。
「ハァ……てめぇらに何かあってからじゃ遅いんだよ。民を守りきれなかったら軍人失格、『獅子』の名が泣くってもんだ」
「……『獅子』?」
ミーアの声にセヴルが反応した。
「将軍はね、【砕破の獅子】って異名を持ってるんだよ……て、将軍のとこに住んでて知らなかったの?」
「ま、聞かれなかったからな」
事も無げにユーヤが言った。仁王立ちから胡坐に変わり、態度も気迫もいつもの通り、そしていつもの通り煙草の煙を纏っている。
「まあ、昔っから腕っぷしは強かったわな。軍に入れば、城壁だったりバリスタだったり、そんなんの破壊を命じられた。力も魔法も使いその任務をこなしてきてついた異名がそれだよ」
「そうだったんですか、【砕破の獅子】……て、あれ?」
ミーアは先程の戦闘を思い出した。後ろから見ていたユーヤの言動を辿っていく。そして彼女の視線はユーヤが銜えている煙管の雁首へと移った。
「ユーヤさん、先程の戦闘……地震や岩……あれは魔法ですか?」
「……どういうこった?」
ユーヤの眼に力が入った。それと同時に気迫も増す。蛇に睨まれた蛙のような気分になったミーアだが、それでもなお疑問を口にした。
「……岩を出現させた時、地震を起こした時、貴方の周辺には魔方陣がありませんでした。地震に至っては呪文の詠唱すら無かった。火を点けた時は確かに唱えていましたが、戦闘時には無かったですよね。幾らそのハンマーが大きくても、その衝撃はあんな広い範囲に効くはずがありません……あれは本当に魔法ですか?」
ミーアはついに言い切った。その瞬間から、ユーヤの眼力が更に強くなったように感じる。冷や汗が流れるのを感じた。
(まずい……何かあったら逃げないと。でも……!!)
ここで引き下がるわけにはいかないと魚は獅子を睨み返した。その後暫くして、ユーヤの方が力を抜いた。
「ハァ……参った、まさかそこまで見られているたぁな。とんだ小娘だ」
相手が力を抜いたことで、ミーアの緊張も解けた。ものの数秒しか経っていないのに、何時間もそうしていたかのような疲労が襲った。
「気付いちまったもんはしゃあねぇやな。ハンマーも魔法具じゃねぇ。だが……悪い、今は伏せといてくれ」
ミーアから目を逸らしたユーヤは、苦々しい表情をしていた。刻み煙草は燃え尽きて、もう煙を出していなかった。
「――と、『魚』からの報告は以上です」
ヤマモト夫妻が住む屋敷の2階、現在そこに生活している人間はミーア1人だけである。時間帯は誰もが寝静まっている深夜だが、彼女は目を覚ましていた。念のため目と耳の感覚を強化、口を真一文字に締めて龍斗と念話を繋いでいた。
〈詠唱無し……『獅子』は印を組んだりしなかったのか〉
「両手でハンマーを持っている状態でそれは不可能です」
〈片手で組める印もあるが、そうか、両手塞がってたか……そうなると俺にも分からんな……〉
「そうですか……それと『犬小屋』入りの話が出ました。『姉に会う前に死地に入りたくはない』と言って断りましたけど」
『犬小屋』は3人の中では軍を意味する隠語である。海賊10人を相手にした腕を認められ、竜騎士隊の1人から打診されていたのだ。
〈……それで怪しまれなかったか?〉
「ユーヤさんが、『命賭ける覚悟が無い奴はいらない。犬死するだけだ』と言って引き下がらせました。建前と様子から、恐らく大丈夫だろうと思います」
〈軍との接点が深まったから、多分予定を早めることになるだろうが……くれぐれも、疑われないようにしろよ。あと、無理するな。限界だと思ったら切り上げてくれて構わないから〉
「急いては事をし損じる、ですよね。いざという時は身の安全を最優先にしますので」
挨拶を交わした後、ミーアは念話を切った。スカートの隠しポケットに『通信カード』を忍ばせ、静かに目を瞑った。