第60話:陸に上がった魚
「おい小娘!! ガキが呼んでっぞ!!」
野太く低い声が屋敷中に響き渡った。煙草の煙に喉をやられてしゃがれた声。その声の持ち主が2階を見上げていた。金髪をオールバックにしているが、ポマードやワックスといった整髪料を使用している様子はない。上げた前髪は彼のトレードマークである額当てで固定されている。無精ひげをそのままに、口には竹製の管を銜えている。その両端には金属の部品が取り付けられており、銜えていない方の部品からは煙が立ち上っていた。
「……ユーヤさん、そんな怒鳴らなくても聞こえてますよ。それと、私は小娘じゃなくてミーアです」
白い肌に金髪青眼の少女ミーアが不満を口にしながら階段から降りてきた。ミーアが潜入してから1週間。彼女はヤマモト夫妻の住む屋敷に居候していた。そこが一番安全だという意見もあるが、この村にある他の建物は掘立小屋のような家ばかり、それもそれぞれの家族が過ごせる最小限程の大きさしかない。新しい住人に居住スペースを提供できるのは、夫妻の屋敷しかなかったのである。
「悪いな、この屋敷は無駄にデカいんで、何処に誰がいるか分かったもんじゃねぇ。いちいち探すのも面倒だから、この方がいいんだよ。それと俺からすりゃあ小娘は小娘だ。それ以上でも以下でもない」
全く悪気のないユーヤの様子に、ミーアは溜息をついた。このやり取りも今に始まったことではない。
(今日で駄目だったらもう諦めるかと思ってたけど、ほんとにそうしないといけないのね……)
無理矢理気持ちを切り替えたミーアは、ユーヤの口元に目を向ける。
「それと、今まで何も言いませんでしたが室内でその煙は止めて頂けませんか。臭いが服に移ってしまいます」
「いいねいいね、どんどん言ってやって。あたしが言っても全然聞かないんだから」
どこからともなくチエが出てきた。女性2人に咎められたユーヤはばつが悪そうな顔をした。
「幾ら言われようが煙草は止めらんねぇよ。吸わなかったら無性に煙草が欲しくなって気分が落ち着かねぇ」
その言葉を聞いたミーアは目を見張った。
「……今更ですがそれって煙草、ですか……?」
「あ? 煙草じゃなかったら何だってんだ? 言っとくがこの辺の物流は徹底管理してる。麻薬とかは一切流通させてないし誰も使ってねぇぞ」
「いえ、煙草といえば葉巻か紙巻かしか知らないので……」
「……ああ、そうか。こいつぁ煙管つー道具でな。雁首に刻み煙草を詰めて火をつける。そんでこっちの吸い口から吸う。大和にしかない道具らしいから、知らないのも当然か」
説明を受けたミーアはここぞとばかりに質問した。
「そう言えばお二方とも和名ですけど、やっぱり大和出身なんですか?」
ある程度の予想はしていたミーアだったが、その予想は半分当たりで半分間違いだった。
「ええ、そうよ。あたしは大和出身で、何年も前にこっちに流されちゃったのよね」
「俺は生粋の大陸出身だ。親父だったか爺さんだったか忘れたが、その辺が流されてきた大和人だった。んで大陸で結婚、その子孫が俺なわけだ。2世、3世とかいう奴だな。大陸の血が入ってるから俺の髪は黒じゃなく金髪だ」
「へぇ、そうなんですか」
と、ここで何かに気付いたチエが焦った様子でミーアに言った。
「ミーアちゃん、感心してる場合じゃないわよ。セヴル君待たせてるんじゃ――」
「――あ!! すみません、行ってきます!!」
ミーアは大慌てで屋敷から出ていった。その様子を温かい目で見ている2人。
「まあ、あのガキは気にせんだろう。男ってのは、惚れた女なら幾らでも待てるもんだ」
「あら、あたしと出会った次の日にはあたしを身請けするとか言って乗り込んできた堪え性の無い人が言えることですか」
「……記憶にないな。さて、俺も行ってくっか」
煙管のまだ燻っている灰を叩き落とし、ユーヤはそそくさと屋敷から出ていった。
「――というわけで、ベルトの奴、アリアにフラれちゃったんだってさ。それから――」
嬉しそうに饒舌で喋るセヴル君。私は愛想笑いを浮かべながら時折相槌を打つ程度。今いる場所は私が発見されたあの岩場。家族の食料確保ということでセヴル君が釣りをしている。それは良いんだけど……
「ところでセヴル君、さっきから木片の浮きが沈んでいるのですが……」
「えっ、あ!!」
話に夢中で全然竿を見ていない。それじゃ折角魚がかかっても逃してしまうでしょう……『食料確保には十分気を使え。食べ物が無いってのは生死に関わる』と龍斗様も言っていた。まして家族の分もというなら、ね。
私に与えられた任務は平民層の情報収集。だからこそ私は海辺の方の村周辺に潜入した。こうやって平民の子供から話を聞くのは、任務の事を考えれば非常に大きな意味がある。しかし……私(15歳)が言うのもおかしいが所詮は14歳の子供の話。内容は身近な友人の話ばかり。もっとも、『どんな小さな情報でもいいからしっかり集めろ』と言われているために聞き流すということは無い。この1週間話を聞いてて、セヴル君周辺のおおよその人間関係、それとある程度の地理情報を把握。龍斗様には毎晩きちんと定期報告をしているから問題ない。
……ただ、話を聞いていて思う。これが普通なのかって。北方大陸にいた時の私は『武家の名門の娘』だった。貴族とは少し違うけど、扱いとしてはそれに近い。どこかの有力者に嫁ぐための教養を身に着ける。それが全てだった。龍斗様に解放されてからは建前上あの人の義妹。でも私と姉さんは従者という心持でいる。その龍斗様だって、今の私と同じ年齢になるまでずっと、忍という職に就くための修行をしていたそうだ。更には家族を全員亡くしている。私達にはセヴル君達が過ごしてきたような――友人と走り回って遊んで1日を過ごすとか、家族総出で農作業とか――素朴な時間というのをほとんど経験していない。そういう意味では、この少年が羨ましい……
「ああー、取られた……ん? ありゃなんだ?」
セヴル君が何か見つけたみたい。海の向こうを指しているけど、私には何も見えない。魔力を使い『視力強化』をかけようとしたけれど、その前に、私の目でも見えるくらいにそれは近付いてきていた。
「あれは……船?」
その船とは別の、私が乗ってきたような小さな舟がもっと速いスピードで近付いてきた。今度こそ『視力強化』をかける……あの格好、あの旗印、まさか……!!
「セヴル君、直ぐに村まで走ってユーヤさんに知らせてきて」
「えっ、ど、どういう――」
「海賊が来たの!! 早く走って!!」
私が怒鳴ると、セヴル君は脱兎の如く走り去っていった。一緒に逃げても良いけど、その場合海賊の進行スピードが速くなり、村のすぐ近く、いや下手すれば村での戦闘になるかもしれない。被害は少ない方がいいに決まってる。そのためにまず、ここである程度食い止めておかないと。今ここで戦えるのは私だけ。10人程であれば……最悪、応援が来るまでの時間稼ぎは出来るでしょう。スカートの中にいつも忍ばせている、携帯用の槍を組み立てる。砂浜に海賊達が上陸しようとしている。穂先と構えを調整。
……龍斗様みたいには無理かもしれないけど、やれるだけやりましょうか。
所用の後はどう書くかで迷いましてね……結局上げるの遅くなりました。
どうにも文字数稼ぎそうです。間諜編という名の日常編のような話が続きそうです