第59話:報告
夜の森は非常に危険である。まずはその暗さ。星や月の光は大きく育った木々に遮られ地面にまで届かない。次に森の乱雑さ。森に生える一切の植物は何の規則性も無くそこにある。そしてもう1つは、夜行性の野獣、魔物の存在。光の無い、故に何処に何があるのか分からず、何時何処で襲われるかも分からない、そんな夜の森の中に入ろうとする者はまずいない。
しかし今、そんな危険極まる夜の森に1人の男が入り込んでいた。猛獣、魔物、猛禽類、それらを覇気や実力で駆逐し、一定の安全圏を確保した上で木の上に腰かけている。男にしては少し色白な肌と黒い髪、そして藍色の眼を持つその男は、ズボンのポケットからカードを取り出し腕を組んだ。指先からカードに魔力を送る。
このカードは魔法具の1つで、登録さえしていれば同じくカードを持っている他人と念話が出来るというもの。1対1が基本ではあるが、複数同時接続も可能である。ややあって、何かが繋がる感覚を感じた男は、相手に向けて言葉を念じた。
「……今日は満月だな」
〈そうですか、生憎こちらからは雲の影になって見えません〉
〈それは残念ですね。こちらはさざ波に揺れて実に綺麗ですよ。花が咲いていないのは残念です〉
「花か、薬草なら見つけたんだがな」
〈地を這いずり回ってらしたのですね、分かります〉
〈食べ物にお困りですか、何なら魚を持っていきましょうか?〉
「……こちら東龍斗」
〈レイア・フォルデント・マーティスです〉
〈ミーア・フォルデント・マーティスです〉
3人が行ったのは暗号を織り交ぜた『会話』という名の『確認作業』である。カードが他の誰かの手に渡る、関係の無い人間と接続する等のアクシデントから情報が漏れるのを防ぐために、互いに暗号のかけ合いをして本人確認をしていたのだ。この暗号というのは、予め決めておいた合言葉を会話の中に織り込むというもので、今回の場合は、『月』『雲』『波』『草』『地』『魚』この文字をこの順番で使うという暗号である。他にも数パターン用意してあり、最初の発言者が示したキーワードによって後の流れが自然に決まるようになっている。緊急時にはもっと短く簡単で、会話ではなく単語の掛け合いで済ませるよう配慮もしてあった。
〈ところで龍斗様、今日は満月ではなく半月ですが〉
「光の届かない森の中でそんなこと分かるわけないだろ。それより、首尾はどうだ」
〈冒険者は傭兵として、軍に入ることが出来ました〉
〈漂流者は釣りをしに来た地元の少年に発見され、暫くここに滞在です〉
「つーことは……冒険者は軍の『狗』となり、漂流者は釣り人に釣られた『魚』ってわけだ」
〈承知しました。以後そのように〉
「して、もう少し詳しい報告を頼む。周囲は大丈夫だろうな」
〈はい。女性ということで宿舎の個室を与えられておりますので。では近況を。【焔の大佐】なる異名を持つ男性、リョウイチ・マスダ大佐の面接を受け、傭兵として雇って頂きました。なお、大佐の話によれば、女間諜を暴くために女性志願者には片っ端から口説きをかけているそうです〉
「ということは、お前も口説かれたか」
〈あまりに軽薄で不快だったので、少々毒を吐きました。焼身自殺がどうとか言っていましたが〉
「……心中察する」
口説き文句をかけられたレイアの気持ちもだが、そのレイアから毒づかれた大佐なる人物にも同情した龍斗。心の中でお鈴を叩いた時の音が響いた。気持ちを切り替えるように龍斗はミーアに話を振った。
「で、魚の方の報告を」
〈はい。海を挟んだ向こうの国で小舟を借り、上陸した後気絶した振りをしていました。偶然釣りに来た少年セヴルに発見され、彼に連れられて内陸部にあるトルヌ村へ。反乱軍の将軍、ユーヤ・T・ヤマモト氏とその奥方チエ・S・ヤマモト氏に面会。事情を話したところ、暫く滞在していけと言われました。特に理由も無かったのでその話をお受けしました〉
「2人共話は合わせてあるよな……悪いな、利用して」
《いえ、お気になさらず》
今回の諜報活動に当たり、龍斗は姉妹の全てを利用した。北方大陸出身であること、武家の人間であること、そして彼女達の身に起きた悲惨な事件。虚偽を交えて改変しているとはいえそれらは紛れもない事実。彼女達にとっては辛い現実の事である。
『目的のためにはどんなものでも利用する』
忍としての教えに従って利用することを決めたが、彼に良心が無いわけではないのだ。そんな龍斗の心情に気付いたのかどうか、姉妹が龍斗に声をかけた。
〈それにしても今回の策は凄いですね、流石です〉
〈『天駆翔走』で西まで走ってから潜入なんて……私ではとても思いつきません〉
「王国の人間が考えることは向こうだって考えるさ。つーか、元々同じ国の人間だろ。東のセルゾア河とかから流民を装って潜入ってのは一番警戒してるはずだ。反面、西側はあまり警戒してないだろう。だから西に移動したんだ。西には船で行くしかないが、その時に見つかったら意味ないしな。……まさか空を走っていく術があるなんて思わないだろう。大陸にはそんな術は無いからな。北方大陸から不運に遭ってやってきた人間が王国と繋がっているとも考えにくい」
〈結局、龍斗様にしかできない作戦ですよね〉
「ん……まあそれはどうでもいい。ところで気になったことがあるんだが」
〈何でしょうか〉
「リョウイチ、ユーヤ、チエ……和名の人間が多いような気がするが、全員大和人か?」
〈リョウイチ・マスダ大佐は黒髪に黒目、肌は龍斗様よりも黄色がかった感じでした〉
〈ユーヤ氏は焼けたように浅黒い肌、無精髭で金髪でした。チエ氏は長い黒髪に白い肌です〉
「ふむ……今日はそのくらいか。引き続き情報収集を頼む。どんな小さな情報でもいい。しっかり集めてくれよ。それと……壁は作っておけ」
《承知致しました》
「じゃ、お休み」
《お休みなさい》
龍斗は念話の接続を切ってカードを仕舞った。そしてそのまま静かに目を閉じた。
所用により2,3日程、完全に執筆活動から離れます。ご了承ください。