第55話:謁見の間、再び
閑散とした謁見の間。騎士団新入団員への受勲式や、龍斗の血縁問題で騒がしくなっていたのが嘘のような静けさを漂わせている。午後6時を知らせる教会の鐘の音が微かに聞こえてきた。この部屋の中で斜陽が放つ茜色の光を浴びている人物は2人だけ。1人は玉座に座ったままの、エルグレシア王国現代国王エルペローゼ・ミラ・デ・マルクス・ラ・アンドリュー・エルグレシア。その隣にいるもう1人は、龍斗の血縁について最初に示唆した貴族の男、ウォルトン・ラ・ヴァンデント・アンドリューだった。表情に暗い影が入っているように見えるのは、決して光のせいだけではないだろう。
「……まさか、レーナお姉様の血が生きていたなんて……それも異国で……35年生きてきて、こんなことが起こるなんて夢にも思わなかった」
「私から示唆しておいて何だが、正直これは予想外だった。42年間生きてきて、これほど驚いたことは無い」
「全くよ。貴方があれを言い出さなかったら、そっちの方がどれだけマシだったか知れないわ」
「しかし、私が言った可能性以外ではあの事態はあり得ないことも事実だからな」
返す言葉が見つからず、大きなため息をついたエルペローゼ。頭に乗せていた王冠を無造作にテーブルに置き、頬杖をつくその姿にウォルトンが苦笑する。
「おいおい、良いのかい? 国王ともあろう人がそれで」
「何言ってるの。今ここにいるのは貴方の妻よ」
「うーん、何か違和感を感じるな。やはり私が貴女の夫、の方がしっくり来る」
「同じことでしょ……まあ、そこはやっぱり王家と公爵、ってことなのかしらね」
ウォルトンは肩をすくめる事で返事とした。しかし直ぐに首を振り、気難しい表情に変えて話の核心を口にする。
「それで、これからどうする?」
問われたエルペローゼは沈黙を守った。ウォルトンは部屋を歩きながら、言い聞かせるように現状を確認していった。
「先代マルクス王の直系の子はフェルミレーナ殿下とローゼの2人だけ。何もなければフェルミレーナ殿下に王位が渡るはずだった。しかし、私達2人の一計で追い出し――」
「何処からか賊が侵入したんでしょ」
エルペローゼの眼光が鋭くなり、夫を睨みつけた。
「……賊が侵入した件で王宮からいなくなったためにローゼが継承した。が、それに納得していない連中も多い」
「一部は早々に離反、ライトベルクを占領してもう19年ね……」
「そこへ来てあの青年だ。フェルミレーナ殿下のご子息、3親等に入る王族、となると……」
「姉の方が2歳上、しかも直系の長男。私達の子供より……いいえ、もしかしたら私よりも優先されると主張してくるかもしれないわね」
エルグレシア王国の王位継承権順位は、一般的なものとほぼ変わらない。該当者がいるならば必ず直系に継承権がある。直系の該当者が複数いる場合は男性優位に年齢序列が加わって継承順位が設定される。更に王家の血をむやみにばら撒くわけにはいかないため、直系の子は2人までと定められている。
本来の継承順ならば第1位はフェルミレーナの血筋、第2位がエルペローゼの血筋。前者が消息不明、死亡扱いとなったためにエルペローゼが継承した。そして何もなければ彼女の子に、年齢序列に従って継承権が与えられる。
しかしここに、第1位の子で王族の範囲内でもある龍斗が入る。第1位の血筋が優先されるとなると、エルペローゼの子よりも継承順位が上となり、更にはエルペローゼ自身よりも上であるということになりかねないのである。王家にとって血筋とは絶対的なもの。己の立場を危うくする事態に陥ったことが、彼らに落ちる影の要因だった。
「それで、どうする?」
ウォルトンは再度エルペローゼに問いかける。ある程度気を取り直したのか、王者らしい厳格な顔つきのエルペローゼが口を開いた。
「……実権を握って王国を支配したい輩が喜んで祭り上げるでしょうね。第1位血筋だもの、大義名分は十分。『本来の血筋はこっちだ』ってね。国の中が割れてしまう……そうなったらお仕舞だわ」
「そうならないよう奴をどう始末するかだ。殺してしまうか?」
ウォルトンの表情も変わった。感情を排除し、国の利益、自らの保身という点で打算する公爵の顔がそこにあった。
「殺すのも問題よ。19年前の事件と相まって、『私達が王権を得るため、第1位血筋を殺した、追い出した』って陰謀説が大義名分になってしまうわ」
「と、なると……」
会話が途切れ、長い沈黙がやってきた。既に日は沈み、部屋の中の明かりはシャンデリアの光のみとなっている。夜の帳のように暗く重い空気を破ったのはウォルトンだった。
「ならば、奴に王位継承権を放棄してもらうしかないかな」
「でも、どうやって? 強制させても反対派が出て内乱に――」
「ん……それだ。内乱を利用しよう。19年間続いているライトベルクの内乱、あれを奴に抑えさせよう」
「そんな事……出来るはずがないでしょう。つい最近まで市井の民だった人間に、ライトベルク平定なんて」
「だろうな。一介の庶民だった者に軍を率いる能力などあるはずがない。奴が力量不足で困っている所に私達が手を差し伸べてやるのさ。『助けてやるから代わりに王権を諦めろ』と条件付きで。奴は飛びついて承諾するだろう」
「その前に、それを受けてくれるかどうかが問題じゃない?」
「そうだな、自らの命に関わるとなれば否応なく受けるだろう。『現王権を揺るがす火種として処刑せねばならない』という感じに。そうなると、『血縁のよしみで命は助けてやる。だから王権は諦めろ』ということになるか。ああ、もちろん逃げられないよう対策も施して」
「王に相応しくない、力量不足の人間を王にしようとは思わない。それでも奴を王にしようと動くのなら、自分が実権を握りたいと周囲に知らせるようなもの……どの道反対派の動きは抑えられるという事ね」
エルペローゼはふとウォルトンの顔を見た。そこにいるのは自らの夫としてではなく、損得勘定で物事を処理する公爵としてのウォルトン。その目に宿る狡猾な光、冷淡な表情を見た瞬間、体温を一気に奪われたような錯覚を感じた。
「……ねぇ、貴方は……私を裏切ろうとかしてないでしょうね……?」
「おや、それは心外だな。まあ確かに、昔は王権を虎視眈々と狙ったりもしたが、ローゼと結ばれたことでそれは達成された。この現状を今更乱そうとは思わない」
「本当に?」
「ああ。それにローゼ、貴女の事は心から愛している。私は貴女を裏切らない。というより裏切る事は出来ない……『真血の契り』があるのだから」
ウォルトンの表情に感情が戻ったのを見て、血の気を取り戻すエルペローゼ。彼女の顔に安堵の表情が浮かび、口元が緩む。
「ふふ、そういえばそんなのがあったのよね。有難う、少し楽になったわ」
「それは何より」
どちらからともなく口づけを交わし、2人は部屋から出ていった。謁見の間から光が消えた。
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少し、伝わりにくい話かもしれませんね、今回のこれ……何か有りましたら言っていただけると幸いです。
2012年6月19日「男系の直系」→「直系の長男」に変更