第49話:物憑きとは
そこは完全なる闇だった。目を開けているいないの感覚も無い。というより、身体機能の全てを感じていない。例えるならば夢の世界。何を見ても、何をやっているとしても実体のない、空しさを感じるあの感覚。そして……これは『見ている』と言っていいのか? まあ、見えているのは、感じるのは完全な闇。俺以外には何も、いや、俺自身ですら自身を捉えきれていないようだな。などと考えていると。
〈よう、お目覚めかい、東龍斗!!〉
この声は、物憑きの『鬼』か。
〈歓迎しよう、此処が俺の住家だ。そして、お前の中だ〉
……俺の? どういうことだ?
〈今お前、夢のようだと感じたろ。ある意味でそれは正しい。ここはお前さんの中にある精神の世界。もっと言えば、魂の中であると言っても過言じゃねぇわな。精神の世界故に、肉体なんて概念は無い。あるのはお前という存在、そして俺という存在。それだけだ〉
……道理で体を動かしても実感が無いわけだ。この精神世界の中に肉体は無いんだからな。存在だけってのはまぁ、俺のこの意識だけが此処における俺の全て、と。喋ってもないのに返答、心を読んでるのかと思ったら何のことない、ここの全てが俺の精神か。なら思考は完全に筒抜けなわけだ。
〈そういうこったな。さて、無駄話はここまでにしようか、さっさと体を寄越せ〉
断る。冗談じゃねぇ。
〈おおう、即答だねぇ。ま、いつものことだが〉
分かってんなら話は早い。てめぇの方こそ、とっとと出てってもらおうか。
〈言うねぇ……だがよ、そいつぁ無理な相談ってもんよ〉
……どういうことだ?
〈手っ取り早く言えば……『俺はお前』だ〉
……は?
〈そしてまた『お前は俺』だ〉
何言ってやがるこいつは……
〈どういう意味かって? ……そうだな、よし、自分で考えろ〉
ハァ!?
〈俺の正体、自分で暴いてみせろってんだよ。そうすりゃまずある程度はお前を認めてやろうじゃないの〉
2年前の契約、忘れてないだろうな? お前が俺を認めた時は、お前が去る時だぞ。
〈正確にゃ、認めた上で俺が俺の存在価値無しと判断した時だがな。逆に愛想尽かしたら問答無用でお前が消えるんだぞ〉
んなことは分かっている。今回で、最後だ。完全に決着をつける……とはいえ、こっちの考え全部筒抜けなんだよな。結論に至るまでの間に勝手に切られたら世話ないぞ……
〈あー、それもそうか、なら俺は考えを読むことはしない。精神世界に少し壁作って、思考を読まないようにしてやろう〉
ん、静かになったな。そうか、これが壁を作った結果か。さて……
〈……様子見だ。んで? 分かったのか?〉
あー、半分くらいか?
〈何だよそりゃ〉
……ここが俺の精神の世界だというのなら、お前の本質は『精神』なんだろう。精神で成り立つ存在なんだろう。だが、それ以上に何かあるだろ。それまでは分かってない。
〈あー……確かに中途半端だな。だが、まあ及第点にしといてやるか。確かに俺は『精神』の存在だ……それも、『本能』の部分〉
……本能?
〈おおよ。物を食う、寝る、子孫を残すために女を求める……犬や鳥、魚でも持ってる生きるために必要な『欲求』だ。お前ら人間ってのは面白いもんだよな。動物ですら持ってる、知恵を持つ前からある根本的な欲求を頭で無理矢理抑えつけるんだから。だがな、それはそう簡単に抑え込めるもんでもないわけよ。一時的には何とかなっても何時かは爆発する〉
……
〈その本能が『気』の力を借りて自我を持つようになる。そして『本体』に干渉するようになるんだな〉
……それがお前の、『物憑き』の正体……? それに『気』って、魔力か? ……おいおい、それじゃあまさか……
〈そのまさかだ。お前が無理に抑えつけてきたお前の『精神』の内の『本能』が、お前の『気』によって自我を持ち独立し、そしてお前に干渉する。それが、お前等が『物憑き』と呼んできたものの正体だ。つまりお前が相手取ってるのは『お前の精神』なんだよ〉
……マジかよ……ということは、あの言葉は……
〈ああ、あれはそのまんまの意味だな。俺はお前の『精神』の一部なんだから。『俺はお前で、お前は俺』間違ってないぜ。どっちも同じ人間の精神であることに変わりはない〉
普通にナシじゃろ……本能的な部分なら、生きとし生けるもの全てが持っているんだろうが。何故忍ばかりに現われる?
〈そりゃあお前、普通の人は『気』、『魔力』ともいうのか? そいつの量が少ないから自我を持つまでに至らないんだよ。忍になる奴は修行の中で魔力を鍛え、量を増やしていくからな。それに言ったろ、生き物の全てが持ってる『欲求』だと。受け入れて解消すれば問題ない〉
そういう訳にはいかない。忍たる者、抗えぬといえど我欲に負けてはならない。欲を絶て。そういう教えだからな。
〈本能は何処まで行っても無くなることはない。だから俺に身を任せた方が楽だぜ? 幸いなことに姿が変わっちまっても、ここなら仲間がいるようだし? とまあそんなことより、お前に一番足りないのは女だな〉
女? 大抵マーティス姉妹がいるだろうに。
〈あのなあ、分かって言ってんじゃねぇよ。女は傍に置いときゃそれで良いなんてわけないだろ。抱くんだよ。お前に一番足りないのはそれだ、性欲だ〉
ハァ……どの口が言ってるんだか。俺がそうなった原因は、娼館半分、もう半分はお前のせいだろうが……
〈ん? あれ、俺が半分も占めちゃってんの?〉
お前は俺なんじゃないのかよ。
〈自我を持ってからは独立しちまうんでな。精神には滅多に干渉した覚えないし。あー……もういいや、お前が抑えてきた分、俺がしっかり発散しといてやるよ。その間体借りるわ。こうなった原因に俺が噛んでるとなると無条件というわけにはいかなくなっちまうしな。まずは……やっぱあの姉妹、美味そうだよなぁ。あんな綺麗な顔、胸とかあそことか色々しっかり堪能してぇだろ、なぁ?〉
勝手に決めるな。それとそんなことはさせない。いや、出来ない。
〈……ほう、言い切ったな。何故そうと言い切れる? 俺が本気出せば直ぐに――〉
自分で言ったこと忘れたか。『お前は俺で、俺はお前』だろ。
〈……〉
お前も俺なら分かるはずだぞ。俺はレイア、ミーアには全く疾しい気持ちなど抱いていない。最初から襲う気になんてなってないだろ。口ではなんとでも言えるさ。だが……所詮お前は俺なんだよ。俺の精神の一部でしかないんだよ。
〈……クッ、ククク……フハハ……アーハッハッハッハ……!! 認めたか!! 認めたな!! この俺を!! 俺がお前だと!! お前の中にある醜い部分、本能、欲求であると!!〉
……事実だろうが。それとも何か、俺が認めたら駄目なのか。
〈ハハハ……いや、大いに結構。それでこそ、だ。己の中にある本能の部分、欲求の部分を認められるかどうか、どうしようもない邪心を認められるかどうか。俺が求めていたのはそこだ。理性ではどうにもならん部分があるってな〉
ふーん。んで? 結局どうなるんだ? あの契約の方は?
〈お前がお前の全てを認め受け入れる。それで全て完了だ〉
あ? お前が認める認めないとか言ってたのは。
〈お前が認めたろ。『お前は俺、俺はお前』お前が認めるということは俺が認めるということ。そして己の全てをもう理解したんだ。俺がいる意味はないな〉
……あれ、なんか、気が遠……く……
目を開けた時、直ぐに辺りを見回した。何も壊れていない。来た時と同じ。視線を下げると、『忠勝鎧身』をかけた時の格好そのまま。一応解除の念を押して立ち上がる。と、そこで、何者かの気配を感じ、ゆっくりと後ろを振り返った。そこにいたのは、俺と同じ身長、同じ黒髪を持つ存在。だが肌の色は全く違う。何も着ていない奴の体は淡い光に包まれている。その目は赤く……その額には、2本の立派な角があった。
「あんたが、物憑きの鬼……」
「おいおいここまで来てそれか? 分かってるくせによ……さあ、これが最後の試練だ。俺を受け入れろ。それで完全に終わりだ」
1つ息を整える。目を開け、正面にいる鬼を見据えた。ゆっくりと歩を進め、そしてその胸に右の正拳突き。肉の感触は無く、拳は奴の体に埋まっていった。感じるのは風を纏うような、晴れた日の日光を浴びているような、何とも言い難い魔力の感触。
「やっぱ念のために聞いとくわ。俺は何だ?」
またかよ、何回確認するんだこいつは……つって、俺もそうか。念には念をって性格だからな。俺が口角を上げるのと、奴が口角を上げるのと、起こったタイミングは同時だった。そして……
『俺はお前で、お前は俺だ』
笑みを深め、満足そうな顔で頷いた奴は光りに包まれ見えなくなった。その光はそのまま腕を通り、俺の中へと入ってくる。やがてそれも治まり、手の平で包める程の光が拳の前に残った。感覚で分かる。これが奴の魂とでもいうべき部分。声は無いが、何を伝えようとしているのかすぐに分かった。
「ハァ、ま、忘れはしない。己にある本能、欲は認める。それに溺れなければ良い。それでいいだろ」
光が1度だけ強くなり、その後徐々に弱って消えていった。それを見届けた後、俺はこの屋敷を出ていくことにした。
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これからもがんばって書いていきたいと思います。さあ、解決したところで王国に戻らないと←