第30話:オルドラン家の三男坊
「待て貴様ら!!」
そんな叫び声がホールに響いた。辺りを見回してみた龍斗。他にホールを出ようとした者がいなかったことから、その声は自分達に向けられたものだと判断した。だが龍斗が止まったのは一瞬のみ。用はもうないと再び外に出ようとした。
「待てと言ってるだろうが!!」
龍斗は再び足を止めた。一瞬遅れてその喉元に剣が突き付けられる。剣の持ち主が横から声をかけてきた。
「貴様、この俺様の前を無断で通り過ぎたばかりでなく、俺様の足を踏んづけて行きやがったな?」
後ろに控える姉妹が息を飲むも、龍斗は無表情のまま藍色の目を声の主に向けた。青い目に金髪という大陸ではよく見かける特徴に浅黒い肌。その男は眉間に深いしわを寄せ、こちらに怒りを表していた。
(何だ、こいつは?)
顔を見た瞬間に龍斗は『即応の霧』を発動させた。これは2年間の修行で得た成果の1つである。即ち、レイア、ミーアが使う強化魔法と同じように身体能力強化系の忍術を呪文無詠唱で発動出来るようになったのだ。そしてもう1つの成果。それは魔力使用時に起こる目の変色をある程度制御できるようになったことである。といってもこれは非常に簡単なことだった。『即応の霧』は大陸の魔法で言えば『感覚強化』に当たる。人間が持つ感覚は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の5つ。感覚強化はこれら全てを魔力によって強化する。当たり前の話だが余計な感覚を強化するのは魔力の無駄である。そのことに目をつけた龍斗は、特定の感覚に絞って強化する方法は無いものかと2年間探し続けた。
そして見つけた。それは非常に簡単なことだった。即ち、その感覚を司る感覚器官に魔力を通さなければ良いのだ。味覚を強化しないのならば舌に魔力を通さなければ良い。同じように、視覚強化が必要ないならば目に魔力を通さなければ良い。そして目に魔力を通さなかった場合、藍色の目が紫に変わるという現象は起こらなくなった。このことはレイア、ミーア姉妹によって確認済みである。なお、これは感覚強化魔法だけの特性で、その他の魔法を使用する時は変色を抑えることが出来なかった。
「おい、まずいぞあれ……」
「ありゃ死ぬぞ」
「ヴァンサードだ……」
「オルドラン家の三男坊……」
「また奴か……」
聴覚と触覚に絞った『即応の霧』により、周囲の小声を拾った龍斗。ほんの少し盗み聞きしただけだったが、龍斗が判断するには十分な情報があった。
(家、ということはよう分からんがどっかお偉いさんの七光りか。しかもまたって普段からやばい奴なんだな)
判断したところで態度を変えるわけでもなく、龍斗は普段通りに口を開いた。
「ちゃんと謝ったんだからそれでいいだろ。分かったらそれ下ろしてくれ、物騒な」
龍斗としては当たり前のことを言ったつもりだった。だが相手は刃物を下ろすどころかより一層しわを深く刻み、怒りで肩を震わせた。頭に血が上り、顔が真っ赤に染まった。
「貴様……!! 誰に向かって口をきいておる!! 平民風情が楯突きおって、目にもの見せてくれるわ!!」
『龍斗様!!』
今まさに龍斗の首を切り落とさんとしていた腕が止まった。男の視線が龍斗の首からその後ろに向けられる。龍斗の目は見逃さなかった。男の目が、欲にまみれた卑劣な光を放つところを。駄目押しで下卑た笑みを浮かべながら、龍斗の方に向き直る男。この時点である程度の予想はついていた龍斗。果たしてそれは現実のものとなった。
「おい、この2人は貴様のものか? そうだ、この2人を俺に寄越せ。そうすれば貴様の命は助けてやらんでもないぞ?」
(……だと思ったよこのど阿呆が)
呆れてものも言えない龍斗に、下卑た顔を崩さぬまま男が畳み掛ける。
「どうした、返答は!! ……ああ、俺様怖さに声も出せんか。ククク、そうだ、畏れ多くも貴族の名門、オルドラン家のヴァンサード様がわざわざ平民に声をかけてやったんだからな。平民はそれに感謝し出すものを出せばよいのだ!!」
そう言って男は空いている手をレイアの方に伸ばした。その瞬間、龍斗は突きつけられていた剣を跳ね上げ腕を掴んだ。右手で相手の首を捉え、右足で相手の右足を払いバランスを崩し、そのまま腕を前に出して男を地面に倒す。大和に伝わる古流武術、柔道の技の1つ『大外刈り』である。
己が身に起こったことを理解できず、呆けた顔をしている男に、龍斗は顔を近付けた。そこには何の表情も、感情もない。
「何処の誰かは知らんがな、理不尽な理由でうちの妹に手出させやしねぇぞこのど阿呆が」
辺り一帯が完全な沈黙に支配される中、龍斗達3人はコロッセオを後にした。暫くして支配が解け、誰かの叫び声が3つ先の通りまで響いてきたが、龍斗がそれに気をやることは無かった。
「……よろしかったのでしょうか」
「ん、何が?」
コロッセオから3区間離れたオープンテラスのカフェで休憩していると、ミーアが不安そうに呟いた。龍斗はクッキーを食べながらのんびりしているが、姉妹は些か気まずそうにしている。
「詳細は覚えていませんが……エルグレシア王国のオルドラン家といえば、かなり有名な貴族の家だったと思います」
レイアの説明に龍斗は一瞬眉を顰めた。
「貴族? そいつぁどういう身分だ?」
「えっ……あ、はい、貴族というのは、例えば建国の際に活躍した戦士だったり、亡国の危機を救った英雄だったり、そういった者に国王が与える身分です」
「……て、さっきのあいつが英雄か? どう見ても蛮勇だろ」
「貴族という身分は個人に与えられるものではありません。そうですね、血統そのものに与えられると考えて頂ければ分かりやすいかと。つまりあの方の祖先がそういう方だったということです。世襲制なので、国王が剥奪を明言しない限り代々その名を残すことになります」
龍斗はグラスを傾け、中身を全て飲み干した。口元に手を当てる。
「因みに特権とは?」
「主なものとしては国土の一部を統治する権限、つまり領主権ですね。一定の租税を国王に支払う義務が発生しますが、それ以外は基本的に自由です。また一定の軍を率いる権利が与えられますね」
「……確実に腐るなその体制」
溜息をつきながら背もたれに体重を預ける。
「まあ、誰が相手だろうが関係ない。正々堂々戦って勝ち残ればいいだけだ。何位まで上がればいいか知らないけど」
「やはり王国騎士団に入るおつもりですか」
「そりゃそうだな。冒険者なんて不安定な職で家族3人がやっていけるとは到底思えない。かといって商人や鍛冶屋に転職するのは無理だしな。騎士団に入るのが一番いいだろう」
「いや、その、私達の事もお考えなのでしたら、何もそこまでそこまでして頂かなくても……」
「そ、そうですよ!! 自分の分は自分で稼ぎますから……」
「大和なら2つ返事で雇ってくれるとこもあるかもしれんが、ここはそういう訳に行かんだろ。安定した収入の方が何かと都合がいいしな。さってと、どっか近くに宿は無いかな」
『あっ、お待ちください!!』
龍斗達は席を立ち、宿を探して通りに消えていった。