第3話:極楽浄土か奈落の底か
――何処だ、ここは……
龍斗は薄く目を開けた。視界がぼやけてはっきりせず、色しか認識できないでいた。だがその色も白一色しかない、と思った瞬間に黄色い色が現れた。青い点が現れたと思うと、すぐに振り返って何を叫ぶ。
(……ん?)
龍斗はそこで違和感に気付き、数回の瞬きをした。視界がはっきりした瞬間、龍斗は文字通り跳び起きた。その勢いのまま足裏をついて体を起こし大きく跳躍、着地と同時に片膝をついて振り返った。
突然のことに唖然とした様子の男女がそこにいた。藍色の鋭い目が二人を捉え即座に判断する。
(立ってる男は茶色の髪、特に武器は持っていない。座ってる女は口元に手を当てている。髪は金で目は青い……ん? 青眼金髪?)
龍斗が眉を顰めたのと、新たな人間が入ってくるのとはほぼ同時だった。
「目覚ましたって!?」
「ホントに!?」
声の主に目を向けた龍斗は顔を認識した瞬間に驚愕した。普段は滅多に素の表情を見せない龍斗だったが、この時ばかりは違った。
「連、それに、霞……ああ、そういうことか。 で、ここはどっちだ。極楽浄土か、奈落の底か」
一人納得する龍斗の言葉を聞いた二人は顔を見合わせる。その後暫く二人の笑い声が部屋を占めることとなった。
「いや悪かったよ。あんな真剣な顔で言われたらさ」
「目が覚めたら死んだと思われてた人間がいる。死んであの世行きを考えて何が悪い」
「あーひどーい、あたしを勝手に殺さないでよー」
「大和じゃもう死亡扱いになってるっつーの。行方不明になってから何年経ったと思ってるんだ」
気分が落ち着いた龍斗は今自分が寝かされていた寝台に座り、後から入ってきた二人――烏丸連と斉藤霞を相手に話をしていた。二人とも龍斗と同じ国で生まれ育ってきたが、何年も前に行方不明となり、国内では既に死亡したものと看做されていた。だが今こうして目の前で生きている。夢でないのは、傷む左足が証明していた。そのことを問うと連が丁寧に教えてくれた。
「龍斗はさ、舟に乗って海を渡ろうとしたんだよね」
「ああ、そうだ」
「で、突然の嵐――野分に遭った」
「ああ、そうだ」
「で、荒れ狂う波に襲われてるうちに気絶してしまい、気が付いたらここに流れ着いていた」
「ああ、そうなるな」
「俺たちも一緒なんだよ。普段なら全く問題なく渡れる航路を進んでいってたのに、突然の野分、訳の分からない海流、進路の間違い、様々な原因を経てここに流れ着いた。そして助けられた」
「あたしもそうだよ、と。はい終了」
左足の包帯を取り換えていた霞が作業を終えて立ち上がった。
「悪い、ありがとな」
「どういたしまして、お兄ちゃん」
礼を言った龍斗だったが、霞の返答を聞いて背筋に寒いものを感じた。
(こ、こいつ……あ、そうか、こいつもあの一派の一員だったか)
霞は悪戯心に満ちた笑顔でこちらを見ている。一方の連からは疑問の念がひしひしと伝わってくる。ちっと鋭く舌打ちしたところで横から白い手が伸びてきた。
「仲がいいのね3人とも。はい、どうぞ」
「あ、有難うございます」
それは最初から部屋にいた金髪青眼の女性だった。白い小さな器を受け取ると、両手から温もりが伝わってくる。湯気を立てている中身を見ると、同じく白い水のようなものが入っている。
「ホットミルクよ。体が温まるわ」
「ほっと……みるく?」
言葉に違和感を感じたが、他の二人は全く気にしていない様子で中身を飲んでいる。龍斗もそれに倣って器を口元に運んだ。
(……美味い)
ほのかな甘みが口に広がり、熱が体の芯を通っていく感覚を味わう龍斗。そして、器の中身の正体にも気づいた。
「これ、牛乳か」
「そう、牛乳に砂糖を入れて温めてあるんだよ。大和にはないよねこういうの」
霞が笑って返してきた。ホットミルクを半分ほど飲んだ後、龍斗はあることに気付いた。左手の人差し指を親指に引っ掛け、手に持った器の端を軽く弾くと、キンという澄んだ音が響いてきた。
「陶磁器の小さな器……これ、『コップ』てやつか?」
「正解よ、よく分かったわね」
渡してくれた女性がそう言った。龍斗は数秒目を閉じた。再び目を開けた時、彼の頭の中では気が付いてから今までに得た情報が整理され始めていた。
(舟による難破、漂流。過去に同じように流された奴らの一部が生きてる。馴染みのない調理、陶磁器製の器コップ。何より……金髪青眼、母の言葉)
「そうか、此処が……母が元いた世界、異国か」
まったく無意識のうちに龍斗の口から結論がこぼれ出た。
だが龍斗には一つ疑問に残ったことがある。連や霞は答えを知っていそうなので率直に聞くことにした。
「ここが異国なら言葉は通じないとかあるんじゃないのか、確か」
うろ覚えの情報の真偽を確認する龍斗。今までの流れから考えて金髪青眼の女性は龍斗から見て異国の人間。そして大和の者と大和の言葉を用いて会話をしている。自分も聞いて受け答えしたのだからこれは紛れもない事実である。だが彼女以外はどうだろうか。もし方言のように言語の違いがあったならどうすればいいのか。そういったところを聞いたのだ。
「ああ、それね。龍斗は聞いたことないか? 今の大和に繋がる系譜の国が遥か昔に全ての陸地を支配したっていう話」
「端的に言えば、それは事実でしたって言うことになるわね」
連の話を霞が締めた。連が言ったのは大和に伝わる有名な言い伝えのことだ。全ての陸を支配し、言葉も通貨も文字も、全てを統一したまさに天下一の英雄伝。最初聞いたときは眉唾物だったが、ここにきて何年も過ごしている彼らがそう言うのなら事実だったのだろう。彼らが嘘をつく利点もない。
「まあ文字は大和でも使う漢字ひらがな以外に、カタカナやアルファベットってのがこちら独自の文字としてあるんだけど。あと数字かな、漢数字じゃなくてアラビア数字使うよ」
龍斗は頷いた。幼い頃から異国出身の母によく言われていたことである。
「分かった。意思疎通については問題ないんだな。じゃあ次に……」