第2話:船出の時
翌朝、龍斗は一人旅支度を整えて家を出た。いつもの格好に、父の形見である太刀、祖父の形見である脇差を身につけて誰もいない大通りを闊歩する。今はまだ日の出前、よほどのことがない限り人は起きていることはない。左肩に担ぐ麻袋には最低限生活に必要なものを入れた。母が作ったこの袋は二重構造になっており、袋の中にさらに小さな袋が付けられていた。大きさがちょうどよかったので手紙はそこに入れてある。路銀――旅に必要なお金のことだが――有り金全てを持っていくことにした。何時何でどれだけ必要になるか分からないし、家に置いておいても得はない。寧ろ泥棒に盗られる心配がある。知らない間に盗られてました、より自分で持ってて賊に狙われる方がまだ救いがある。
(それに金は無くて困ることはあっても有って困ることは……あるな、やっぱ)
歩く度に音を立てる腰辺りに目をやる龍斗。そこにつけられた巾着袋には金、銀、銅で作られた貨幣が入っている。ここ玲角島、これから向かう御蔵島、その間にある徳間島以下数個の島からなる国『大和』で流通しているお金である。金が最高価値に定められているために物価が安定しやすいのだと誰かから聞いたことがある。それはいいのだが、問題が一つあった。貨幣とはいえ金属は金属。持つ金額が増えれば増えるほど荷物が重くなってしまうのだ。
(まあいいか、ほんとに盗られるよりはましなんだから)
道は大通りから横道にそれ、森の中へと続いていく。草木が生えていないその道を進んでいくうちに、磯の香りが強くなってきた。やがて森を抜けると、そこには白い砂浜と、赤く染まり始めた朝焼けの空、そしてその光を反射し白い波を立てる大海原が画面いっぱいに広がった。龍斗はそこから左に移動していった。やがて大きな小屋と桟橋が見えてきた。龍斗は小屋の前に立ち、扉を数回叩いた。海に出るにはここの貸船屋で舟を借りる必要があるのだ。
「はいよ……ああ、龍斗君かい」
眠い目をこすりながら戸を開けたのはご主人。巾着から銀貨二枚を取り出し男に言う。
「御蔵島まで行くから、出してもらえますか」
「へぇ、そりゃまた遠出だねぇ。なら帆かけの方が良い……でも悪いな、金一、銀一になっちまうぜ」
「んー……まあいいですよ」
龍斗は巾着の中身を探り、金貨を探し出して主人に渡す。
「やっぱり舟は高いですね」
「まあな、他所の島に行くにはこれか自力で泳ぐかしないと。それと原因はやっぱり野分と鮫だな。あれに出くわした舟がぶっ壊れたり、かなりの損傷受けたりで、もう修理代が馬鹿にならん」
神妙に頷く龍斗。実際彼が覚えているだけでもかなりの数の舟がその被害にやられている。一部が割れて沈没しかけていた時もある。見送った船が木片と化して帰ってきた時もある。被害にあうのは舟だけではない。それに乗っていた人間も、なんとか無事に帰ってくる者、波に襲われ溺死した者、舟ごと行方不明になったままの者もいる。その中には龍斗の親族や友人も含まれている。そして彼は今後そうなる可能性のある人物である。決して他人事ではないのだ。
桟橋に出て待っていると主人が舟を出してきた。中央には一本の柱が立っており、折りたたんだ白い布がその下にあった。龍斗は主人と共に舟を後ろから押していき、海に浮かべて乗り込んだ。
「風があったら帆を張っとけ。艪や櫂で行くより楽だからな。何かあったら近くの船屋に寄れ。舟ってのは組合で共有してるもんだからどこのどの舟でも一緒だ」
わかりました、と返事をして舟の後ろにある艪を漕ぎ始める龍斗。手を振って見送ろうとした主人だったが、手を挙げようとした瞬間あることに気付いて龍斗に叫ぶ。
「おい!!」
その声に反応した龍斗が振り返ると、何か光るものが飛んでくるところだった。思わず掴みとったそのを開くと、龍斗の目は皿のように丸くなった。投げられたのは自分が支払った銀貨。何故これを? その疑問を口にする前に、投げた本人が声を張り上げた。
「進水式代わりだ!! 生きて帰ってこいよ!! 良い旅を!!」
思わず笑みを浮かべた龍斗。大きく手を振っている主人に手を振り返し、龍斗はまた櫓を漕いだ。
いつの間にか空には白い雲が浮かんでいた。龍斗は人差し指を立てて唾をつけ、目線の高さに持っていった。風が当たるとそこだけ冷気を感じる。こうして風向きを把握した龍斗は、次いで進行方向を確認した。出発した玲角島は後ろ、太陽は少し高度を上げたもののまだ東にある。そして前方に小さく見えるは中継地点の徳間島。その島の船屋にこの舟を任せ陸地を移動、反対側の船屋でまた舟を借りる。そしてようやく御蔵島へとたどり着く。払ったお金は御蔵島までの往復にかかる料金である。いちいち支払いをしていってもいいのだが、まとめて支払うと幾らかおまけしてくれる。組合員による証明証を見せればこの方法でも問題はない。その証明証は麻袋の中、手紙と同じ場所に大事にしまってある。
龍斗は帆を張ることにした。航路に対して追い風という絶好の機会を逃すわけにはいかない。白い布が上がると、それまでよりも速い速度で進んでいった。龍斗はふと振り返り玲角島を見た。既にかなりの距離を進んでいたが、まだ島は視認出来た。一つ息を吐くと、心の中で島に語りかけた。
(暫く離れる。ま、すぐに戻るさ)
進行方向に間違いがないことを確認して、龍斗は舟に寝転がった。
これが、龍斗が見る最後の故郷の姿であるとは知らずに……