第19話:その後
その日の朝は珍しいことに快晴だった。窓から黄色い光が差し込み、ベッドに寝ていた龍斗を照らす。何処から飛んできたのか雀の鳴き声がよく響く。そんな平和の象徴ともいえる朝の中で龍斗は目を覚ました。はっきりしない視界で見えるのは木製の天井のみ。
(ああ、この景色にもだいぶ慣れてきたな……それと、このベッドの感覚も……ん?)
龍斗は文字通り跳び起きた。掛け布団を跳ね除け、片膝をつくように家具の隙間と言った方が正しいような床で構えを取った。だがそこで有るはずのものが無いことに気付いた。素早く辺りを見回す。それが机の上にあるのを見つけ、素早く体を起こして手に握る。
だがそこで龍斗は気付いた。
(誰かいる)
気配を感じた龍斗は反射的に左手に握る棒から刃を抜き放った。いつもなら逆手に持つことが多いが、今回は普通の刀剣と同じように持っている。だがその刃は相手の喉笛に触れるか触れないかといったところでピタリと止まった。
その先には、脇差『暁』の刃の先には、突然のことに驚き目を丸くしながら、両手を頭上に上げているミーアの姿があった。
その後、龍斗は脇差を鞘に納め、目に涙を溜めたミーアの頭を撫でながら部屋を出た。出た瞬間にレイアと鉢合わせし、脇差と同じくらい鋭い眼で睨まれたが、事情を説明して何とか抑えてもらった。
空腹感を覚えた龍斗は1階の食堂に降りて適当な席に着いた。レイア、ミーアは相変わらず直立不動で待機しようとしていたので命令して反対側に座らせた。
「……にしても、やけに静かだな」
龍斗が辺りを見回すと、食堂内には3人以外誰もいなかった。不思議に思っていると不意に画面が褐色に染まった。
「そうさねぇ、どっかの誰かさんが亡霊騒ぎ起こして叫びまくってたからねぇ、客は全員恐れをなして逃げちまったんだよ。まったく、商売あがったりだ」
「す、すいませんでした!!」
瞬発的に立ち上がった龍斗は直ぐに腰から折れて頭を下げた。相手はこの旅亭の女将だったのだ。
「えと、ちゃんと弁償しますので――」
「あんた、東龍斗ってので間違いないかい?」
「!!……何故それを?」
旅亭は基本的に宿泊客の名前などいちいち聞かない。人数が多すぎて忘れることもあるし、昼夜問わず食事だけを利用する客も多い。宿泊客のことは止まっている部屋の番号を使って何号室の人、と呼べば事足りる。龍斗は宿を取る時にする必要のない名乗りなどしていない。故にこの女将が龍斗の名を知る機会は無かったはずである。だがその予測は外れた。
「うちら商売者は全員商人ギルドに入ってる。けど、商売つったってピンキリさ。だからギルドの中で更にグループを作った。武器屋なら武器屋グループ、旅亭なら旅亭グループって感じでね。特に旅亭のグループメンバーは他のグループメンバーと自由に通信できる手段を持っている。そうすりゃ客との間に信用が出来る。1人で全く得体の知れない宿を探すよりか仲の良い主人が勧める宿の方が安心できるだろう?」
龍斗が頷いた。褐色の肌を持つ初老の女将は満足げに頷き返した。
「でだ、あんたのことはデイビスとこから聞いてるんだよ。『迷惑料を払われる方が迷惑だから、もしそういうことがあったらあんたからは受け取らないように』てねぇ」
龍斗は唖然とした。まさかデイビス夫妻とここの女将が繋がっていたとは思わなかったからだ。女将はそれを見てしたり顔を作った。
「というわけで、あんたからは迷惑料は過度には要らない。少しはもらうよ、あんたら3人の宿泊代に加え、1人部屋5日分。もしそれ以外で払いたいってんなら……そうだね、『除霊したからもう安心です』て張り紙でもしてもらおうかねぇ。ま、その前に冷める前に食べちまいな」
豪快な笑い声と共に女将は厨房へと去っていった。テーブルに目を戻すと、さっき女将が持ってきた料理の皿が並んでいる。
「さて、食うか。頂きます」
そう言って手を合わせると、龍斗はパンを手に取って食べ始めた。しかし暫くして2人の様子を見た龍斗は軽く諌めた。
「何やってる、さっさと食えよ。冷えたの食ったって美味くないぞ」
「い、いえ、私達は……」
「奴隷がご主人様と同じ席で、まして同じ物を食べるわけには……」
今まで何度か食事の機会があったが、2人が龍斗共に食べることは無かった。その理由を龍斗は今初めて知った。
(またそれか……奴隷奴隷って、命令せんかったらマジで動かねぇ……なら)
龍斗はあることを思いついた。思い立ったが吉日と龍斗は直ぐにそれを実行した。
「そうか、なら選択権を与える。すぐに飯を食うか、食わずに腹を空かせたまま過ごすか。どっちでもいいぞ。俺はどうもしない。さ、選べ」
暫くの間、龍斗は2人の反応を見ていた。命令は命令だが、その中身は自分の意志で選ぶこと。逡巡する様子が何とも可笑しかった。龍斗の予想通り、まず空腹に負けたのはミーアだった。彼女が食べ始めるのを見て、こちらの反応を伺ってから漸くレイアがパンを手に取った。出会ってから初めての3人での食事だった。
食事を終えた3人は龍斗の部屋で腰を下ろしていた。前回と同じで、レイア、ミーアが椅子に座り、龍斗はベッドの上で胡坐をかいている。だが表情は、3人共以前より固いものとなっている。無表情の龍斗が口を開いた。
「さて……何故命令を無視した。部屋に誰も入れるな。お前らも入ってくるな。そう言ったはずだ。俺はベッドで大人しく寝た記憶はないぞ」
「はい、確かにそう承りました。なのでご命令通り3日間、部屋の中には誰も入れませんでした。私達がが部屋に入ったのはその後、4日目の朝です。ご主人様の声が途絶えていましたので何かあったのか、と」
緊張した面持ちの3人だが、レイアは毅然とした口調でそう言った。ミーアは少し不安を持っていたが、姉の言葉に追従するように強い意志をたたえた目で龍斗を見る。龍斗は相変わらず無表情のまま。
「……なるほど、違反はしていないか。だが何故見捨てなかった。あの異常さを目の当たりにしてなお。奴隷だからとか言うなよ、自由な人間として生きていけと言ったはずだからな」
「……はい。……ですのでこれは私個人の意思で行った行為です。個人的にお助けしようと思ってしたことです」
「わ、私もです!! ……それに、今まで何の役にも立てなかったし……」
「……物憑きが来る前に話したことも覚えてるな?」
「はい」
「……ハァ、もういいや、結果的にあんたらには何も無かったようだし」
そう言って龍斗はベッドに寝転んだ。頭の上で手を組んでいるその姿に女性2人は戸惑いを隠せなかった。気まずい空気を何とかしようとミーアが口を開いた。
「あ、あの、1つ聞いていいでしょうか?」
「ん、何だ」
「その……物憑き、とは一体、何なのでしょうか?」