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パートナー

 黄砂が辺りを覆い尽くす荒地に、二つの影が降り立った。正確にいうと、一人の青年が抱えていた少女を崖の上に降ろした。

 ひび割れた大地に降ろされた少女は強く目を瞑り、硬く両手を握り締めていた。

 意識はあるようだ。瞼の裏で眼球が頻りに動いている。


「国境だ……」


 直立不動のまま、青年が口を開いた。

 ゼロヒトは艶やかな頭髪を風になびかせると、目線だけを少女のバングルに向けた。

 嵌め込まれた金属や宝石類が重そうに輝くそれは、高エネルギーの集中により光の粒子を飛散させて瞬いている。その輝きを眩しそうに目を細めて見やると、ゼロヒトは再び口を開いた。


「何をするかわかっているはずだ」


 一言一言、確かめるようにゼロヒトは言葉を紡いだ。

 戦闘機として生まれてきた者が背負う宿命──本能。

 ディアナの丸まっていた体から、力が徐々に抜けていくのが見ていてもわかった。閉ざされていた瞼が開き、そこから一筋の涙が伝い落ちる。涙を溜め込んで揺れる瞳で、彼女はゼロヒトを振り仰いだ。


「この先に、私が生まれた故郷が、ある…とても、綺麗なところ、なのに…」


 ディアナの向けてくる視線を、ゼロヒトは真っ向から受け取った。


「だが今は違う」

「あなたは、何が…望み?」

「すべてを終わらせる。それが陛下や民のためだ」


 目を細めて遠くを見やったゼロヒトに、ディアナは大きく息を吸い込んだ。


「……あなたはまるで、陛下を知っている、みたい」


 二人の視線が交錯し、磁石の対極のように反発した。

 ゼロヒトの沈黙をどう受け取ったのか。ディアナは気にした素振りを見せずに無言のまま瞼を閉ざした。

 バングルから発せられている微量の粒子が次々と伝播でんぱし、瞬き始めた。何とか起き上がろうとするディアナに手を貸した。

 通常の人間より遥かに超越した身体能力と組織をもって生まれてくる戦闘機は、感情の欠落という代償に本能を特化させている。

 大抵ジャンクと呼ばれる戦闘機は、その本能が退化しているか、覚醒していないものを指す。ジャンクに振り分けられた中には、覚醒を促すパートナーを得て解決することもある。

 また、戦闘機ごとに覚醒後の能力というのは多岐に分かれる。

 戦闘機はすべてを本能で悟っているというが、彼らの感情は欠けているのでそれも今までは想像の範疇での話だった。

 しかしこの場にいるディアナとゼロヒトも、これから何が起こるのか分かっていた。

 体をゼロヒトに力強く支えられて、ディアナは重く脇にぶらさがっていたバングルを嵌めた腕を、目の高さまで持ち上げた。


「アースに、永久とわの忠誠を──」


 ディアナが掠れた、しかし力強い声ではっきり言うと、ゼロヒトは重々しく頷いた。


「その言葉、忘れるな」


 壁の向こうでゼロヒトが答えた。

 体から何時の間にか平均感覚というものが無くなり、バングルを嵌めた腕は垂れ下がって体は支えのゼロヒトに寄り縋る形となっていた。しかし、バングルの発光はますます大きくなる。

 

 アース……

 

 今ではもう、睫毛の一本一本が重くて仕方がない。

 気付かないうちにディアナの周りは白い光に巻き込まれて見通しが利かなくなっていた。微かだが、肩に人肌の温もりを感じられる。

 

 忘れないで……

 

 ディアナが大きく息を吸い込んだ瞬間、彼女の周りを張り巡らしていた壁が砕け散った。

 虹色に輝く光の柱が、まだ夜の(とばり)もあけきっていない空を貫く。

 ピリピリと全身の筋肉が痙攣し、激しい嘔吐と眩暈に襲われた。現実から逃れようときつく瞑った瞼の裏から、ふと、誰かが目の前にに立った気がした。


「ほら、ごらんなさい」


 暖炉にくべられた薪が赤々と燃え、室内を暖かく照らし出す。その隅で、ボロボロの布切れを大事そうに抱えた母親の姿があった。ディアナは一生懸命背伸びをして、布切れのに包まれた中を見ようとした。


「ほら」


 再び母親は言って、腰を少し屈めて中を見せてくれた。

 とても小さな四肢をした、赤子がすやすやと寝息をたてていた。


「母さんのお腹から生まれてきたのよ。びっくりよねぇ……」

「おかあさん。つかれたの。……とってもねむたい」

「あらそう? じゃあもう遅いし、たくさんお眠りなさい」


 母親が目を細めて笑うと、器用に片腕で赤子を抱いて、空いた温かい手でディアナの頬を撫でた。

 ──そして明日、またいっぱい笑いましょうね。

 おかあさん……


「ディアナ!!」





 * * *





 光が大空に一線引くと、瞬く間に周囲にキラリキラリとした光が舞い降りてきた。それは人と人、国と国の境など関係なく、一面に降り注いだ。

 一人また一人と顔を上げ、誰もが不思議そうに空を仰いだ。

 肌にあたっても暖かさや冷たさを感じさせない不思議な光の雨。それは一瞬でやんでしまった。

 緊急警戒措置が解かれ、外傷を負った人の手当てなど一段落ついた救護所でも同じだった。誰もがその一瞬のあいだ手を止めて空を見つめるさまは、心ここに在らずといった言葉がよく似合った。

 手に縫合用の糸と洗い直したタオルを持って運ぼうとしていたハナグサは、伸び上がる一本の光線を見た瞬間、思わず息を呑んだ。すぐ傍にいたトウの血通った温かい手を、無意識のうちに握り締め、再び我に返ったのは近くでヨセウの呼び止める声を聞いてからだった。今まで聞いたことなかった彼女の激しい声に驚いて振り返ると、人々が棒になって立ち尽くす間を割って駆けてくる見慣れた姿があった。


「アース!?」


 ハナグサはこの日初めて目にする隊長アーリウスの姿を捉え、声をあげた。しかし、ハナグサが驚いたのはそれだけではなかった。アーリウスの全身に負った切り傷と、尋常でない彼の感情の激流を映した眼差しを見て、ただならぬものを感じ取った。

 ヨセウとハナグサの制止も振り切って、アーリウスは今まで戦闘の起きていたふもとに向かって飛び出していった。


「ちょっと、いったい何がどうしたっていうの!? あ、シャークイッドまで!」


 空に伸びていた一本の光線がそこに吸い込まれるようにして消え、代わりに冷たくも温かくもない雪のような白い光が、ちらほらと地上に舞い落ちた。


「いったい──」


 ハナグサは言いかけた言葉を、不意にトウの手に力が篭った気がして、そっと飲み込んだ。

 振り返ると、感情がないはずのトウの目から涙が零れている。

 ハナグサは驚き、顔を涙で歪めると喜びをあらわにしてトウの厚い胸に飛び込み、強く抱きしめた。

 朝日が天に昇り、柔らかな陽光が照らしだす。

 すぐに、歓喜の声と表情を湛える人々によってあたりが包まれた。





*  *  *





 体力の限界を感じながら、アーリウスは走っていた。ディアナがどこにいるかなど、皆目検討もつかないで。

 胸の奥が今まで感じたこともない不安に疼き、鈍く痛む。

 いつのまにか降っていた白い光も止み、ただ辺りには黄砂が舞っている。その中に一つ、周囲からは一線を画された場所があった。見つけた瞬間、アーリウスの抱いていた不安が爆発した。


「ディアナ!!」


 黄色い地面が白くなってわずかに発光して見えるのは、まだバングルがエネルギーを完全に収拾しきれていないからだ。その中央には、ゼロヒトに寄りかかるように目を硬く閉じるディアナの姿があった。

 ぐったりと力無く首を垂れている様子は、アーリウスに否応無しにある事を連想させる。


「起きろ。お願いだ、目を覚ましてくれ」


 足元がおぼつかないまま、前進をする。

 肩の下に誰かの支えがあるのを感じて脇を見ると、後から追いついたシャークイッドが腕を回して体を支えてくれていた。

 遠くに立つゼロヒトが、二人に視線を向けた。

 アーリウスは思わず身構えたが、シャークイッドとゼロヒトは普段と同じように真っ向から向かい合っていた。


「ディアナは、どうなったんすか?」


 アーリウスの一番気にしていた点を、シャークイッドが単刀直入に切り込んだ。

 握りこんだアーリウスの手に、血が浮かぶ。まさかと思いながら、頭の中では耳に挟んでしまった理事長の言葉が繰り返された。


「彼女は、死んだ」


 一瞬気が遠くなるが、シャークイッドの肩に力が入るのを感じて何とか持ち直す。今にも地面に崩れ落ちそうになるのをシャークイッドが力強く支えてくれた。

 一歩、一歩と、前に向かって歩みを進める。


「俺は……お前と会えてよかったっすよ、ゼロヒト。後悔はしてないっす」


 彼の手に力がこもった。アーリウスはシャークイッドを振り返った。


「だから、これ以上お前と戦わせないでくれ。自主投降するっす……ゼロヒト」


 言葉の節々から、彼の切実な思いが伝わってきた。

 アーリウスはシャークイッドの助けを借りずに立つと、まっすぐにディアナを見つめた。

 シャークイッドがタコのできてゴツゴツとした手を差し出すと、ゼロヒトは顔を持ち上げて空いた掌をその手に近づけた。

 次の瞬間、シャークイッドがハッとした様子で目を瞬かせた。


 (何でだ。またお前は、俺を裏切るんすか……?)


 ゼロヒトの目に、光が宿るのが見えた。

 真一文字に結ばれていたゼロヒトの唇が微かに動いて、瞳が鮮やかな感情を映して揺れていた。

 シャークイッドは望んでいたものの代わりに手渡されたディアナを抱き取りながら、呆然と宙に身を躍らせたパートナーの姿を見つめていた。

 先の一瞬の内に、ゼロヒトは差し出された手を突っぱねると、ディアナの体を押し付けたのだ。

 シャークイッドは重力に従って下へと落ちていく彼の姿を想像した。

 アーリウスとシャークイッドが我に返って駆け付けた時には、ゼロヒトの体は細かい粒子になり、金色の光が辺りを彩っているかのようにして消えていった。

 シャークイッドが手の届かないものを掴むように空を捕らえて握り締めた。

 とめど無く溢れ出る涙を乱暴に拭い、そして声を大にして伝えきれないものを伝えるためにパートナーの名前を叫んだ。


「ゼロヒトぉおおーー!!」


 力の限り叫んだ彼の声が、大気を震わした。

 パートナーとしてだけでは無く、最高のライバルとして大きな存在だった。今は、ただぽっかりと虚しく穴があいている。この穴を塞いでくれる人は、もう……いない。

 後に残るのは答えの出ない疑問だけだ。

 自失呆然と立ち尽くしていたアーリウスは、しばらくしてゼロヒトから抱き寄せたディアナを見下ろした。アーリウスの目から自然と流れ出た一滴の涙が少女の白い顎を伝って零れ落ちる。


「ディアナ……」


 (お前も、消えてしまうのか…? ゼロヒトのように、俺の前から…。)


 穏やかな表情をして瞼を閉じた少女の顔は、初めて会った頃と見違えていた。

 そこに、金色の光が風に乗って流されてきた。

 「あ」と、声にならない声がアーリウスの口から漏れる。

 シャークイッドがそれに反応して振り返ると、ディアナの透き通った瞳がまっすぐにアーリウスへと向けられていた。


「アース…私、ちゃんと役立てた……?」


 弱弱しく掠れてはいたが、しっかりとした口調で言った。

 ディアナは大粒の涙を流し、震えながらアーリウスの胸の中で嗚咽を堪えた。アーリウスが安堵した様子で少女の体をやさしく引き寄せると、彼女が落ち着くのを待った。

 地平線に姿を現した太陽を眩しそうに見つめたシャークイッドが切り立った崖から下を見下ろしたまま零した。


「隊長。ゼロヒトは、いったい何を伝えたかったんすかね……」


 シャークイッドの問いに、アーリウスはディアナを見つめて答えた。


「ゼロヒトも、俺たちを傷つけたかったわけじゃないってことだろ。きっと、本当は裏切りたくなかったのかもしれない」


 命を散らした人々を弔う長い沈黙のあと、高いところへと昇っていく太陽を見つめていたが、そのうち三人はゆっくりと丘を下った。

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