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歓迎会

 睫毛に雪が降り積もる。

 口を開けると喉が焼け付くような痛みを覚えるが、それでも彼女は必死になって叫び続けていた。

 気温マイナス四〇度の白銀世界があたり一面に広がり、空から絶え間なく白い物が降り積もっていく中、ガタガタと震えながらディアナは泣き叫び、必死に助けを求めていた。

 目の前には固く戸を閉ざした収容所がそびえ建っている。彼女の他にも五六人の男女が壁際に立っているが、ディアナみたく声を張り上げたりはしていない。

 なぜなら皆戦闘機だから。

 彼らの目は一点の光もなくどんよりと曇り、その口から吐き出される微かな息遣いだけが彼らが生きていることを証明している。

 深い雪の中にディアナはぐったりと倒れこんだ。

 収容所には彼らの他にも武器化転身できる人間が収容されているが、その扱いは奴隷かそれ以下のものだった。もともと感情の欠如という点から、奴隷よりも扱い易いからだろうと推測できる。

 欠如しているはずの感情を幸運にも持ち合わせて生まれてきたため、ディアナはこの収容所に送られる前まで告知されずに済んでいた。しかし、国立病院で受けた検診で政府に目をつけられ、すぐに収容所で酷使を負う羽目となった。

 ガコン、と大きな物が地面に転がり落ちる音を耳にしてディアナは顔を上げた。扉が開かれるのだろうと期待したディアナだったが、次の瞬間呆然とした。

 白銀世界に浮きあがった灰色の無数の影に瞳から流れ出る涙も凍ってしまうかと思われた。

 眼前にそびえる壁の向こう側には、屋根のある施設の中で暖をとりながら監視員たちは雑談を交わしているのだろう。そして彼らはディアナたちの醜態を鼻で笑っているのだろう。

 まさかディアナの目と鼻の先に襲撃を狙う反乱分子がいるとは思いもせず、今この瞬間にも、きっと笑っているのだ。

 一人の男が厚い毛皮の下から二丁の銃を取り出すのを見て、ディアナは恐怖にかられてその場を駆け出した。

 何年も変わらず身に纏っている服が雪に濡れて重く、体の動きを雪と一緒に鈍らせる。

 彼女が走り出した途端、一人の影が素早く反応して後を追いかけて来た。振り返るとすぐそばまで覆面が迫ってきている。

 ディアナはもう何も考えられず、ただ闇雲に前へ前へと走り続けた。

「そこのお前、止まれ!」

 次の瞬間がっしりと腕を毛皮でできた手袋に掴まれ、凍傷になりかけていた足が降り積もった雪の中から引き上げられていた。ディアナの紫色になった唇が恐怖と寒さで震える。咄嗟に腕の先を武器化させ、無言で腕を振るおうとする。生きる為にこの場から逃げ延びようと必死だった。

 だが抵抗するには体力もなく心も弱りきっていた。それが武器にも表れていたのだろう。結局相手を傷つけようとしても刃が脆くて歯が立たないのだ。ディアナは悔しさに涙を呑んだ。

 もう駄目だ、戦闘機だとばれてしまった。相手に何されるかわからない……。

 諦めかけたその時、厳しい寒さから守る物にディアナの体は不意に包まれた。それは厚い温もりのこもった狼の毛皮だった。

 冷たく凍り始めていた肌に、じわりとその温かさが染み込んでくる。

「……もう大丈夫だ」

 低い安心感を与える声が温もりの上から降ってきた。

 誰だろうと思った。戦闘機に、こんなにも優しくしてくれるのは。

 ディアナが先刻まで体中に感じていた恐怖は、今はすっかり体から抜け落ちていた。後からその空いた穴を埋めるように、疲労感が全身を襲う。

 ディアナは久しぶりにゆったりとしたまどろみを感じ、凍りかけていた瞼を閉じた。


 ひとつの出会いに、永遠の感謝を──…。


 意識を手放す前に、ディアナは遠くに雪の弾ける音を聞いた。





*  *  *





 瞼を押し上げると、甘い空気の中に丸い一つのホールケーキがテーブルの上に乗っていた。驚いて目を丸めると、一番にアーリウスの嬉しそうな笑みが目に入り、ハナグサの照れくさそうな顔も、ヨセウの真っ直ぐな瞳も、シャークイッドのおちゃらけた表情も、すべてが濃厚な、そして初めて嗅いだクリームの香りに包まれて目の前がぼやけて見えた。その原因が何であるかを知ると、慌てて面を下げ、銀髪の下に隠した。


「ディアナ……その、昨日はごめん」


 ハナグサの表情が曇り、ディアナは慌てて顔を上げた。


「部屋に帰って一人で考えて、トウとあんたを重ねてみたらどうだろうって考えたら、すごい後悔した。私はアースもトウも好きで……ここにいる皆が好きだったから、突然入り込んできたあんたに、正直戸惑った」


 ハナグサは一つ深呼吸をし、まっすぐディアナの目をとらえた。

 授業はハナグサの機転によって、他のグループよりも早く課題を終わらせると早々に授業を切り上げた。今は七階の調理室に集まり、十六隊以外の人は一人も居なかった。


「十六隊にようこそ──ディアナ」


 ハナグサはやっぱり照れ臭そうに右手を差し出して言った。


「もし、私の事を許してくれるなら……握手して、くれるかな?」


 今まで知らなかった甘い甘いとろける香りが周囲に満ちる。

 ディアナは長い銀色の睫毛を何度も上下させ、一も二もなくハナグサの手を握り返した。視線をまわりに向けると、ホッと安堵する顔が並んでいた。

 ディアナは特に、アーリウスを注意深く眺めた。ディアナの視線に気づいた彼が、親指を立てて腕を突き出してくる。ディアナからそれまで消えていた血通った笑みが、この時何の苦もなく浮かび上がった。

 雪の花が静かに綻ぶような、儚く優しい笑みだった。

 

「さーて、今日は俺っちもはしゃいじゃおっかな〜」


 室内に笑い声が響く。

 白いクリームが乗ったハナグサ特製のホールケーキは均等に分けられて配られた。

 人も戦闘機も、同じものを食し、お腹の底にあたたかいものを溜め込む。

 ここにはディアナの夢見て求めていたものがある。もう、昔は振り返らない。この時彼女は静かにそう誓った。

 ディアナは霞んだ目を擦りながら、初めて食べたケーキに舌鼓を打った。

 ハナグサは彼女にまたケーキを作ってきてあげると意気込んでいた。それをディアナは嬉しく思いながら、アーリウスのそばに駆け寄った。


「お、どした?」


 何も考えず、ただ素直に直球の言葉を向けてくれるアーリウス。彼はディアナが隣りに来ると、すぐに目を細めて彼女の銀髪を乱暴に撫でた。ディアナは背の高いアーリウスを見上げようと視線を上げ、彼は「わかったぞ」と一言言って、手に持っていた赤く熟れた苺を目の前に差し出してきた。


「お前、これが狙いなんだろ?」


 甘美な余韻を舌の上に残してくれた苺は確かに美味しかった。思わず差し出された苺を受け取ろうとして身を乗り出したが、アーリウスはひょいっと苺を高い所に持っていき、それを追ってディアナも爪先立った。しかし結局苺はディアナのお腹に収まらず、アーリウスの開いた口の中に消えていった。これを端から見ていたハナグサが、ディアナに気を使って冷蔵庫から大きな苺を取り出してきたが、ディアナはそれを拙い言葉で丁寧に断った。その代わり、仕返しにとアーリウスの小皿に残ったケーキのスポンジ部分を口に咥えた。途端、アーリウスの大袈裟なリアクションが返ってきて、部屋は温かい笑い声に包まれた。


「ほら、ほっぺにクリームがついてんじゃん」


 ハナグサはお腹を抱えて笑い転げながらキョトンと立ちつくすディアナを指差した。


「あ、マジだ」


 と、シャークイッド。


「これじゃあ、手のかかるそこらへんの子供と同じだな」


 と言いながら、アーリウスは指の腹でディアナの顔についたクリームを掬い取った。

 彼の熱い指先が離れた後も、なぞられた頬は熱を持ったように熱くなり、すぐには忘れられなかった。

 守りたい場所、守りたい人。出会えたのは、数億分の一という確率。

 あなたに出会えた事は、私の転機。

 

 ──私はあなたの、武器になりたい。

 

 ディアナはゆっくりと、さっき思い出した笑顔を顔に乗せた。

 

 ──あなたを私に、守らせてください……アース。





*  *  *





「随分と早かったようだ」


 男は机に頬杖をつき、コツコツと指先で机を叩いた。

 理事長室に設えられた硬く頑丈な一本杉の執務机だ。


「動きはかなり速くてですね、明後日みょうごにちには全体が見えるだろうと予想されますね……」


 机に頬杖をついて話をする理事長の前に立つのは、分厚い資料と地図を抱えたやつれ顔の男。一見研究者が数日間研究に没頭しすぎて、食事睡眠をし忘れていたという印象を受けるほどその体は痩せていた。


「そうか、明後日か……」


 机の上で組み直した手の中に顔を埋めて、理事長は深く溜息をついた。そして請うように眼前に執務机を間に挟んで立つ男を見やる。男はこの視線にしばらく重い沈黙を置いてから答えた。


「残念ですがね、間に合いそうには……無い、かと」


 男は一言残すと、地図を手で押さえながら理事長室を後にした。

 後に残された理事長は沈黙を保ち、鉛のように重い瞼を閉じた。





 窓の外には丸い月が昇り、誰もが寝静まったころ、巨大な爆発音があたりを震撼させた。

 程よいまどろみの中に漂っていたアーリウスはその音に飛び起き、窓の側に駆け寄った。

 暗い空のもと、もうもうと立ち上る一つの砂煙が遠くに見える。

 敵の攻撃かもしれない。

 一瞬のうちにアーリウスは状況を悟った。

 起きてからはずっと頭が冴え渡り、状況を正確に判断出来たのは良くも悪くも、理事長が前もって彼に事情を話してくれていたからだろう。その事実に苦虫を噛み潰した表情を浮かべたアーリウスは、指定の黒の制服に血色の腕章──隊長の証──を腕につけた。

 普段と変わらない素材の制服を着ているはずなのに、腕章一つつけるだけで感じる責任感はぐんと重さを増す。

 そのとき、表の扉を乱暴に叩く者が現れた。


「隊長ッ!! 俺っすよ!」


 シャークイッドだ。

 アーリウスがすぐさま扉を開けて顔を出すと、驚いた事に彼の後ろにはゼロヒトの他にもディアナがついて来ていた。

 銀髪を窓から差し込む月明かりに照らして、彼女は不安そうな目をアーリウスに向けた。シャークイッドの視線がチラリと腕に巻かれた赤い腕章にとまり、何かを決意した目をして手短に状況を説明してくれた。


「敵襲っす。東地区の方に第一発の爆発があり、第二発は十秒後に。第三発目も予想され、敵は外壁を乗り越えて侵入してきたみたいっす。第一部隊が今、剣で交戦してるっす」

「ハナグサとヨセウは何処だ!」


 シャークイッドは後にゼロヒトを従えながら駆け出した。


「二人は後方部隊に回っているはずです。隊長が来るまで大きな行動は出来ないっすから」

「そうか」


 アーリウスはホッと息をついた。


「俺は先に二人と合流してるっす! 隊長も早く来て下さいよ!!」


 シャークイッドは飛ぶように駆けるとゼロヒトと共に角を曲がり、柱の影に隠れてその姿はすぐに見えなくなった。

 アーリウスは一度部屋に駆け戻り、腰に帯剣ベルトをつけて剣を挿すとディアナの手を引いてシャークイッドの消えたほうとは反対の方向に駆け出した。

 転びそうになるディアナの小さい体を支えながら、アーリウスもまた飛ぶように廊下を走り抜けた。だがやっと速度が最高潮に達したとき、向かいから姿を現した男を目にしてその勢いがガクンと落ちた。

 アーリウスが手を引いた先で、ディアナが小さな咳きをする。

 向かいからやって来た男──理事長もアーリウスの姿に気づいた様子だ。半歩後ろについてきていた学者顔のやつれた男を静止させ、彼もまたその歩みを止めてアーリウスがやって来るのを待った。


「くそっ、知っていたんだなっ!?」


 アーリウスの第一声は非難に満ちていた。ディアナの手を、知らない内にきつく握り締める。彼の半歩後ろでディアナの肩が小さく震えた。


「こんなに早かったとは予想外だったが……いずれ来るとは思っていたさ」


 アーリウスのすべてを悟りきったような鋭い眼差しが、理事長の向けるそれと交わった。無言の交戦。だが理事長の次の言葉で、アーリウスの中に溢れていた闘志も大きく揺れ動いた。


「ディアナの武器化はできたのか?」

「……」

「……そうか、まだか」

「何が言いたい」


 アーリウスは背後にディアナを隠すように横に体をずらした。

 理事長とやつれ顔の男が視線を取り交わし、再び理事長が視線を息子に向けた。


「ついて来なさい。もし成功すれば、戦いを終わらせる事ができるかもしれない」


 アーリウスが信じられないと目を見張らせ、理事長は踵を返した。

 その時、外壁を崩される爆音が、大気を振るわせて夜空に響き渡った。


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