ディアナ
アーリウスは重い教科書を持って教室前の廊下をいつも通り直進していた。
ただそれだけなのに、いつもと様子の違うように思えるのは周りからの視線か? それとも後を俯き加減でついてくるディアナか?
どちらの可能性も大きいと勝手に結論付け、今にも躓いてこけてしまいそうな隣を駆け足でついてくる少女を見た。
肩にかかった銀髪や今にも泣き出してしまいそうな顔は、昨日とまったく変わっていない。
「こいつの名前はディアナ」
昨日、「叫び小屋」の最上階でアーリウスは眼の下を腫らした問題の少女を紹介した。
ヨセウはアーリウスが理事長に呼ばれていった事を知っているので、何か起こることは予感していたようだ。いつものようにマリスと一緒になって、静かに耳を傾けていた。
「実は、こいつが俺の戦闘機……らしい」
だからアーリウスの言葉にひどく動揺をみせたのはシャークイッドとハナグサの二人だった。特にハナグサは、転身を解いた自身の戦闘機の隣でキーキーと非難の声をあげた。
「アースッ! 馬鹿だよあんた。そんな瓦楽多をつかまされて! 誰だ、こんなのをあんたの戦闘機に仕立て上げたのは。アース、言ってみろ!!」
ハナグサが怒気を含んだ声で一声喚くたびに、ディアナは肩をビクつかせてどんどん小さくなっていった。ヨセウは黙り、シャークイッドも気に食わないが興味はある、と顔に書いて傍観を決め込んでいる。
「あんただって知ってんだろ。武器化転身する人間の三つの条件をさ。
一、一切の感情欠落
一、先天的に武器化転身する
一、周期的な発生
この三つだ。ひとつでも項目に当てはまらなければ皆、すべてジャンクなんだ!」
「確かに。だけどディアナは感情を兼ね備えて誕生しただけだ。周期上に生まれ、ちゃんと武器化転身できる」
「じゃあここで俺たちに見せてくださいっすよ」
傍観に専念していたシャークイッドが口を挟んだ。アーリウスは背に隠れてしまったディアナを振り返り、難しい顔をする。その表情をハナグサは見逃さなかった。表情を物凄い剣幕にすると、吐き捨てるように言って立ち上がった。
「それはジャンクでそれ以外の何物でもないからっ! アースが今まで戦闘機がないからって、上級生とかに悔しい思いをしてきたのはわかるけど、だからってそんなもの使うことないでしょ!? アースには悪いけど、そのジャンクをどっかに捨ててくるまで、私……この十六隊に参加しないから!」
「おいっ、ハナグサ!!」
アーリウスが止める暇もなく、ハナグサはトウを乱暴に呼びつけると、最上階層にある唯一の扉から姿を消してしまった。振り返ると、シャークイッドが大袈裟に肩を竦めて見せ、ゼロヒトを連れてハナグサの後を追うように出ていった。後に残ったヨセウは白い帽子を弄りながら、マリスの方を見ていた。
思わず、悪態をついてしまいたくなった。
「どうして、理事長のことを話しに出さなかったのですか?」
不意にヨセウの小さい声が耳に届いたが、その声はディアナのように怯えているわけではない。ただ率直に、思ったことを口に出したという強い印象を受ける。
「……あ、いや。確かにそれ言えばハナグサも諦めてくれたかもしれないけど、それじゃやっぱだめじゃん? よくわかんないけど……」
「……確かに、よくわかりませんね」
暫く話を聞いて逡巡していたヨセウが返した言葉に、アーリウスは思わず笑い返した。そして、責任を感じたようにべそをかき出したディアナの小さい肩を抱き寄せて、銀髪を絡めるようにして撫でてやった。
「おーい、ディアナ」
アーリウスは立ち止まり、ビクリと振るえる少女の前に手を伸ばした。
今まで俯いていたディアナの顔が上を向き、それからしばらく差し出された手の意味を考えるように突っ立っていた。
「お前……絶対こけるから掴まれって」
周りの視線を痛いぐらいその体に浴びながら、二人は廊下に立っていた。
俯くディアナ。戦闘機が無くて落ちこぼれのレッテルを貼られているアーリウス。
チクチクと細かい針が体を刺激した。
早くこの場から立ち去れ、という声が頭の中から聞こえてくる。
けれどアーリウスは我慢強くその場に立ちつづけ、待っていた。
“本当”の感情を持つ戦闘機のディアナから、差し出した手を握り返されるときを。
「……ありがとう」
今にも消え入りそうな声が聞こえ、気付いた時には血通った細い手が、アーリウスのそれを握り返していた。
学園の隣に建ち、こんにちもその機能を果たしているという旧校舎。
先日、理事長はそこにアーリウスを呼びつけて、通常はジャンク行きになるはずのディアナと引き合わせた。その際、実は彼女がアーリウスの武器であると言ったことの他にも、彼に告げていた事実があった。それを考えると、ハナグサが第十六隊から自主謹慎になってくれたことは、逆に良かったかもしれない。
目の前に白のワンピースの裾を握り締め、皺をつくったまま俯いて黙りこくるディアナと対面し、アーリウスは哀れむ視線を向けた。そう、少女ではなく理事長に。
「何言ってんだよ、単に新入生だろ? 時期が外れてるからって、別に俺の隊に入隊するのに、こんなコソコソしなくていいよ」
「違う。聞け、アーリウス」
理事長の感情を押さえ込んだ否定的な言葉に、アーリウスはムッと目を吊り上げた。
「敵国が動き出したというのは薄々感づいていたと思うが、すでに先制部隊は剣を交えている」
「はぁっ!? 何だよそれ!」
そんな話は聞いたことも無いと言いたかったが、思い当たる節もあった。そしてなにより、目の前に立つ男を見てすぐに自分達がこの情報を与えられていない原因を導き出した。
金か武力か権力か、いずれにしろ情報操作を上層部で行い、改竄したということだ。
アーリウスは腕を組み、鋭い視線を男のほうに向けた。だが理事長は少しも気に留めておらず、今度はディアナに目を向けて言った。
「ディアナはその敵国で生まれた戦闘機だったが、我々のほうで秘密裏に確保した」
遠まわしにではあるが、理事長はディアナを拉致したことを告白した。
アーリウスは開いた口が塞がらなかった。怒りを通り越して呆れかえる。理事長は次を待たずに言葉を続けた。
「この子は戦闘機として完全欠如するはずの感情を持ってして生まれた。感情がある故に自在に武器化転身を出来ないが、感情があるが故にできる事もある。学習し、成長できる。敵国は元々戦闘機自体に重きを置かない主義から、彼女の存在価値を知らないだろうが、我々は違う」
薄闇と埃の垂れ込めた室内に、異様な圧迫感を感じた。その時、アーリウスは目の前の男を見て、馬鹿だと思った。
人ひとりさらっておいて、理事長に存在価値うんぬんを語る権利があるはずない。
アーリウスは白く細い少女の手を取ると、くるりと踵を返して部屋を後にしながら彼は理事長に吐き捨てた。
「そんなのテメーらのエゴだろっ! ふざけんな!」
実父にこれだけ噛み付いてしまうのは実際どうかと思ったが、あまり重要にも思えなかった。
事実、去り際に振り返ると理事長は口端を吊り上げていたのだから。
戦争だ。混乱と悲惨な血や泥にまみれる明日が来る。ただそれだけで、虚しいものが戦争だ。
アーリウスは怒りに打ち震えながら来た道を、足を踏み鳴らして前へ前へ直進した。
今まで一方的に握っていた手を、そっと握り返されていたことに気づかないほど、激昂していたのだろう。
外に出ると日は既に大きく傾き、赤く鮮やかに輝いていた。
未だに、この事実だけは仲間に話を切り出せずにいた。なぜならこれは遊び半分で簡単に片付けていい問題では無いからだ。
ハナグサの自主謹慎は喜ぶべきなのだと、アーリウスは必死になって自身に言い聞かせた。
交戦が本格化し、巨大化したとき、行動はすべて隊ごとに行われる。すると隊から自主謹慎をしているハナグサは、戻ってこない限り戦場に赴くことはできないからだ。
アーリウスは旧校舎から出ると立ち止まり、しばらく瞑想して本来の自分自身を取り戻そうと頭を冷やした。
運んできた学食定食のオムライスをスプーンの先で突つき、それからぱくりと一口頬張った。彼の隣には、じつに物珍しげにオムライスを凝視するディアナが座っている。
それに気づいていたアーリウスは、頭の中で解決策を模索しながらもスプーンでオムライスを大きく掬い取り、瞬きを繰り返す少女の前に持っていった。
肩肘をつき、その上に頬を乗せてぼんやりとディアナの様子を覗っていたが、好奇心を前にして堪え切れなかった少女がスプーンを咥えると、アーリウスは思わずおっ! と目を輝かせて背を伸ばした。
「うまいか?」
戦闘機であるディアナが、食べ物を食べて味を感じるかどうか気になった。
ディアナはコクリと頷き、お皿の上に残ったオムライスに視線を流した。アーリウスは笑いながら、ずいっとお皿を少女の前に押しやった。
「そっか、何て言ったって基礎の体はやっぱり人間だもんな。そうだよなぁ」
と、誰にともなく呟いた。
その時、学園の鐘が鳴った。
この場所が学園となった日から、ずっとその姿を見つづけてきた巨大な鐘が、外の空気を打ち震わせていた。
* * *
海の底に沈んだ太陽が月と替わり、そして再び地平線上に顔を出した。
「今日は戦火において役立つ医療食の実習みたいっすね」
昨日と変わらずゼロヒトを連れ、シャークイッドが中央校舎の掲示板の前に立った。それから視線を巡らしてアーリウスを見たが、隣にディアナの姿を認めて肩をすくめた。その理由を理解し、アーリウスもまた苦笑をもらす。
実習とはいっても第七訓練塔で行う実戦や訓練ではなく、今回は医療食の調理実習だ。ここも教育の場。最低限度修得しなければならない履修教科がある。
ハナグサは特に医療や医学に力をいれて勉強している。アーリウスは彼女が初めて注射器を手にしてほくそ笑んだとき、絶対にハナグサに命は預けたくないと心に決めた初々しい過去を持つ。
シャークイッドと並んで調理室がある階まで上っていくと、途中でヨセウと合流した。
「ハナグサは、やっぱり来ないかもしれないっすね」
シャークイッドの言葉に、アーリウスも否定は出来なかった。
性格が頑固な彼女のことだ。シャークイッドの言う事態も十分予想される。
一行は三階調理室にたどり着き、適当な場所を見つけて腰掛けた。
壁際には大鍋や壷などが置かれ、怪しい植物が乾燥棚に並べてある。あまり頻繁に来たいとは思わせない場所と雰囲気だ。
授業開始を知らせる合図──夕暮れに鳴る鐘ではなく各部屋に用意されたからくり時計の鐘──が鳴り、白衣に身を包んだ職員が教壇に立ってもハナグサが現れる気配はなかった。
アーリウスの胸に、じりじりとした感情が渦巻く。それに気づいたのか知らないが、隣に座るディアナがじっとその横顔を見つめていた。
各班の卓上に献立の材料が載せられて、始めてくださいという白衣の教員からの合図に応えはしたものの、第十六隊の手だけは誰一人として動かなかった。
「……誰がやる?」
視線を水槽の中で優雅に泳ぎまわる魚に移して、アーリウスが聞いた。
「まかせなさいよっ!」と言っていつも手早く魚をおろしてくれたハナグサはここにはいない。
「え、そりゃ……隊長っしょ?」
苦しそうに顔を歪め、シャークイッドが答えた。ヨセウは卓から数歩離れて見守る体制を整えている。
薄情者っ! と彼女の頑なな姿勢を見て叫びたくなる。そこを何とか自尊心で押さえこみ、アーリウスはすぅっと深呼吸をした。
手にはシャークイッドに手渡された刀身の細長い、今まで持ったこともないような包丁が握られている。
これから水槽に手を入れて魚を掴み取り、その息の根を止め……
「駄目だ!! 俺にはこの罪なき命を殺めることなんて出来ないっ」
アーリウスが手にしていた包丁を机に叩きつけ、側にあった椅子を足で引っ掛けてしまった。重力に従って叩きつけられた椅子が凄まじい音と共に床に直撃し、ごろりとその身を横たえる。
しん、と静まりかえる室内で、冷ややかな視線を背に受けながら、アーリウスは緊張で深呼吸を何度も繰り返していた。
「あ、アー…ス……」
水を打ったように静まり返る室内に、場違いな、今にも泣き出してしまいそうな頼りない声が、項垂れるアーリウスの肩を叩いた。
驚きの表情を浮かべてディアナに穴があくほど見つめたのはアーリウスだけではなかった。シャークイッドや、ヨセウさえも目を見開き、彼女の次の言葉が出るのを息を潜めて待っている。
詳しい事情を知らないその他の学生は再び作業を開始し、教員が転がった椅子を指差して一言「直しなさい」と言ってから彼らの脇を通り過ぎていった。
ただ第十六隊の集まる机の周りだけ、時間が止まったように誰ひとり──口さえ開こうともせず──動かずに、ただ呆然と突っ立っていた。
だがこの状況を何より驚いていたのは、ディアナ本人だったのかもしれない。
彼女はさらりと流れる銀髪の向こう側に、朱色に染めた顔を隠し、それからは一言も口を開こうとしなかった。
気まずい空気が垂れ込め始め、このまま動けずに授業時間をめいっぱい使ってしまうのかと思われたその時、口を尖らせて口笛を吹きすさびながら、待ちに待ったその人が顔を出した。彼女は大事な授業も眼中にない様子で言い放った。
「アースッ。これからウェルカム・パーティーやるよっ!」
そしてにっこりと黒い目を細めた。
彼女が停止していたぜんまいを何の苦も無く巻き終わらせ、時が再び正常に紡ぎ出されるのがわかった。
一人一人、それぞれに時間は平等に与えられているのに、その時間を自分のためでは無く、仲間と一緒に過ごしてしまうのは……独りという影に怯えてしまっているからだろうか──?
はにかみ、こしょばゆそうに笑みを浮かべたハナグサが、ゆっくりと周りを見渡した。
そして、何か大きな強さを得たように、彼女はいつものように元気良く笑いかけたのだった。