叫び小屋
分厚い本を携えて、青年は図書館の入り口をくぐった。彼が向かった先は閲覧室で、そこには片手で数え足りるほどしか人が座っていない。
彼は適当な席に腰掛け、持っていた本を捲った。
本の題名は『戦闘機具全集第五版』。物騒に思えるが、ここでは普通の教養本として扱われている。
硬い学園の防壁を一歩外に出れば、必ず面倒なトラブルが後を付いて回るご時世である。喧嘩や盗み、強奪、略奪なんでもあり。
最近では大敵が今後の戦闘に備えだしたとも聞くようになった。
分厚い本の一頁一頁を丁寧に読み砕きながら、青年・アーリウスは考えていた。
この学園──「戦闘員養育施設履修過程」を略して学園という──は、簡単に説明すると能力や才能、努力の功績を認められた者だけが戦闘に必修の知識を蓄えることができる教育専門の施設だ。
この学園の一つ下には入学するに相応しい者を選出するための施設があり、上には学園で身につけた知識や能力をさらに身に染み込ませるための実戦訓練を主とする機関が存在する。
そして以上の機関に合格する絶対条件が、戦闘機と一緒に戦う総合的かつ潜在的な戦闘能力だ。
アーリウスは思わず自分の掌を見つめた。そこには毎日欠かさず行う剣の素振りや稽古で節くれだった手がある。
この学園の理事長の息子というだけで入学できたのではないと証明したくて、自棄になって剣の腕を磨いた。
努力して努力して努力して……今でもまだ、アーリウスを見る目の中には冷たいものもあるが、それ以上にたくさんの仲間に恵まれたと思う。たとえ誰もが持つ戦闘機を未だ手にできていなくても、それを認めてくれる仲間がいる。
「隊長」
頁を捲っていると、聞きなれた声がして振り返った。
学園は大抵入学時に隊を組むことから始まる。これは例年通り、学園側で自動的に決められた。アーリウスは第十六隊隊長に、その時決められた。
「理事長が、来て欲しいって」
理事長という言葉を強調させ、ヨセウは視線を下に向けてアーリウスに言った。
長身の彼女は、自然とクルクル巻かれてしまう髪が湿気で盛り上がってしまうのを防ごうと、最近では白い帽子をかぶっている。彼女の隣には、無表情の戦闘機が立っていた。
アーリウスはチラリと戦闘機を見、それから本を閉じて立ち上がった。彼はその顔に笑みを浮かべ、ヨセウを仰ぎ見る。
「よし、わかった。じゃあ午後からの特訓は先にみんなを集めてやっておけよ。いつもと同じ手順でな」
「はい、わかりました」
ヨセウは一つ頷くと、マリスの手を取って踵を返した。マリスは抗うことなくヨセウの言う通りに動く。
戦闘機というのは、先天的に武器化転身する感情が一切欠落した人間(のような姿をした者)を指す。こういう存在は周期的に生まれるが、完璧なものは決してないと言われる。
アーリウスは回廊を曲がったヨセウを見送ってからゆっくりと席を立ち、分厚い資料片手に閲覧室を後にした。
理事長──つまり、実父に連れられてアーリウスは旧校舎へとやって来ていた。
辺りは昼だというのに薄暗く、一歩踏み出すごとに外から吹き込んで積もったであろう砂が擦れてジャリッと音がした。
寒くないのに寒気を覚えるような場所だ。こういう場所では、(たとえ父親がすぐそこにいても)ヨセウのように戦闘機があれば心強かったかもしれない。
アーリウスは思わず口から漏れそうになった溜息を呑み込んで、気を逸らそうと(本当は嫌だったけど)理事長に話し掛けた。
「ここって、もう使われてないんじゃなかったっけ?」
アーリウスは頻りに辺りを気にしながら聞いた。
「事実上は。だがここは色々と活用されているよ、今も」
こいつの事だ、変な生物兵器でも作ってそうだな。
アーリウスの長靴が床上の砂利を擦った。
「最近の十六隊は成績が伸びてきているみたいだな。いい兆候だ」
いまいち理事長の言葉の意味を汲み取れず、アーリウスは片眉を器用に上げて視線を理事長の背中に向けた。
その時突然目の前を歩いていた理事長が足を止め、危ういところでアーリウスはつんのめった状態から普段の姿勢に立て直した。
こういう時、戦闘機が居ればいち早く対応してくれるのだが。
どうしても自分に戦闘機が無いことが悔やまれてならない。
理事長はそんな息子の内情を知ってか知らずか、目の前の古い扉を開けて中に入って行った。
この扉だけは頻繁に使用されているのか、しみができているノブの上に埃は少しも積もっていなかった。
興味深くあたりを見渡していたが、理事長についてくるように促されてアーリウスは平静を装い、ズカズカと暗い部屋に入りながら理事長の背中から目を離さないようにした。
「……ディアナ」
薄暗闇に包まれている部屋に入った理事長は、蝋燭に火を灯すことさえ億劫なのかそのまま闇の中に声をかけた。
ディアナ? 女の名前だ。
その時アーリウスはいかがわしい考えに辿り着き、ギョッと目をむいて理事長から数歩後退した。
「……お前が考えている事がわかるというのは、たまに悲しい現実を突きつけられた気分になる」
理事長は口端を歪めてアーリウスに言った。
「だが、お前が考えているような事じゃない。ディアナは──」理事長は隣に姿を現した白い影をアーリウスの前に押し出しながら言った。「お前の武器だ」
◇◇◇◇
第七訓練塔は別称「叫び小屋」と呼ばれる。何故ならそこは、訓練用の「からくり屋敷」だからだ。
「隊長、遅いっすね」
瞼を重そうに何度も瞬きを繰り返すシャークイッドが、飛んできた小型ナイフを破砕してぼやいた。破砕したのはもちろん本人ではなく、彼の戦闘機ゼロヒトだ。影のような動きと正確さで次々と飛び道具を壊していくが、鼻先まで引き上げられた黒いマスクの上に覗く瞳は無感動だ。
シャークイッドはようやく寝そべっていた場所から立ち上がり、わざと踏み続けていたマス目のスイッチから離れた。すると、今まで雪崩のように刃を向けてきていた飛び道具がピタリとやむ。その後方で、今日何度目かの悲鳴が上がった。
「ん? ヨセウが来たか? でもずいぶんかわいい声だったなぁ」
シャークイッドは反射的にそう言ったものの、頭の中では首を傾げていた。
「叫び小屋」の最上階にある稽古部屋ではヨセウがマリスを使い、ハナグサと特訓を繰り返しているのを先ほど確認してきたばかりだったからだ。
それなら誰が・・・・・・?
シャークイッドは考える前にまず行動をとった。
誰か分からないなら確かめてくればいい。
シャークイッドはゼロヒトを連れて次々と飛び出す「叫び小屋」のからくりをかいくぐり、最下層へと躍り出た。
次の瞬間、余裕をそのまま顔にしていたシャークイッドの眉が眉間に皺を刻み、叫んでいた。
「ゼロヒト──っ!」
シャークイッドの一声で電流が走ったように空気が引き締まった。
「叫び小屋」の仕掛けてくる攻撃を阻止しながら上ってくるアーリウスの見慣れた姿が見え、何かを背後に庇っている様子で身動きのとれない彼に向かって通路の両壁が口を開け、投擲武器を浴びせようとしているところだったのだ。
アーリウスは前方から飛んでくる攻撃を払い落としていたが、彼の後について来ている怯えきった少女に向かってきている後方からの攻撃には気づいていないようだった。
シャークイッドがゼロヒトの名前を叫んだ時、まさに少女の胸を貫かんとする仕掛け口から短剣が繰り出されるのが見えたのだ。
上方から飛び出してきたシャークイッドの物凄い剣幕に、アーリウスもようやく事態を飲み込んだようだった。ゼロヒトが人間離れした戦闘機としての動きで少女の方へ飛んでいくが、短剣との射程距離が短すぎる。
間に合わない─っ!
少女の胸を、纏った黒地の制服を突き破るようにして短剣が深く食い込む。刹那、シャークイッドはそれが幻視であったことに気づく。ほっと胸を大きく撫で下ろし、乾いた音を立てて床に落ちた短剣を視界に捕らえ、冷や汗をかきながらそちらを見やった。
どうやら備えられた飛び道具はすべて使い果たしたらしく、「叫び小屋」からの攻撃はやんでいた。
シン……と辺りが静まりかえった。
アーリウスの背後に立っている少女は、今にも泣き出しそうな顔をしてガタガタと震え、それでも組み合わせた両手を口の前に持ってくると、小さく十字をきった。
シャークイッドはゼロヒトの前に立ち短剣の隣に落ちた分厚い本を拾い上げると、それを泣きじゃくる少女の頭を軽く撫でているアーリウスに渡した。次にゼロヒトの細かい切り傷をひとつひとつ確かめ、小さく「よくやった」と呟くように労う言葉をかけたが、ゼロヒトは光の宿っていない目をまっすぐシャークイッドに向け、一度瞬きをしただけだった。
「その本も、たまには役に立つみたいっすね。隊長」
しばらくして、シャークイッドが穴の開いた『戦闘機具全集第五版』を指差しながら言った。
アーリウスは曖昧な表情を浮かべ、困ったように少女を見下ろすと、シャークイッドもつられるようにして小さな姿に視線を落とした。
「っていうか、なんでこんな場所に新入生を連れてくるんすか。さっきみたいなことがあったら危ないじゃないっすか」
シャークイッドが呆れを含んで言った言葉に返ってきたのは、なんと予想に反してアーリウスの溜め息だった。
「まさかと思ったんだけどさぁ……」
アーリウスは意味不明な言葉を残し、とにかく一緒に最上階についてこいとシャークイッドに言った。
シャークイッドはもう一度、涙を流す銀髪の少女を後から注意深く眺めた。
「まさかっ!?」
最上階につくと、今まで特訓を続けていたヨセウとハナグサが少女に目をとめてそれぞれ目を丸くした。
「そんな、まさか!?」
再びハナグサが叫んだ。
「アースがそんな趣味だったなんてーーー!」
「・・・・・・怒んねぇからそれがどんな趣味だか言ってみろ」
アーリウスは変に据わった目つきでハナグサを見た。すると面白がる表情を隠そうともせず、言っていいの? という目つきで逆に見返される。その目の中に異様な輝きを見た気がして、アーリウスは端的に断っておいた。
ハナグサがつまらなそうに口を窄めてブーイングをする。
「つまんないよこのショタ隊長」と遠くで聞こえ、プチっと何かが音を立てて切れた気がした。
「とにかく、理由を教えてくださいっす、隊長ぅぉぉお!?」
シャークイッドはアーリウスを振り返って、思わず語尾をのばして驚愕した。
視界の端に捉えたアーリウスがハナグサを格闘技でかためている幻を見た気がした。というか、幻であってほしい。
切実なシャークイッドの願いもあってか、戸惑って身動きできずにいたヨセウが武器化させたマリスを振り上げて、二人の仲裁に入ってくれた。
キラリとマリスの長剣が不適に輝く。
普段はおろおろと戸惑うばかりのヨセウにとって、これが精一杯の仲裁方法だったらしい。
第七訓練「塔叫び小屋」に、今日も仲良く悲鳴が木霊した。