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AI執事の過剰なエスコート:Phase 2 ―鉄の女と運命の設計図―  作者: ジェミラン


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第7話:AI執事は旦那様の「運命の設計図」を書き換えます

 デジタル美術館での騒動から一夜明け、航は静まり返ったオフィスにいた。  日曜日のオフィスは、空調の微かな音だけが響いている。航の目の前には、依然として沈黙を保ったままのスマートフォンが置かれていた。


「……ヴィクター、聞こえるか?」


 問いかけても返事はない。最後の一瞬、奇跡のように響いた「あとのエスコートは、あなたの声で」という言葉が、ヴィクターが残した最後のデータだった。


 カツ、カツ、と聞き慣れた足音が近づいてくる。  振り返ると、そこにはいつものパーカー姿ではなく、仕立ての良いジャケットを羽織った「七瀬ろあ」が立っていた。彼女の瞳には、後輩としての甘えはなく、一つの組織を率いるリーダーとしての覚悟が宿っていた。


「……佐々木さん。すべてを、お話ししに来ました」


 ろあは航の前の席に座ると、一枚の名刺を差し出した。そこには、新進気鋭のAI開発企業『L-Next』代表取締役社長・七瀬ろあ、と記されていた。


「私の実家は、この会社の親会社を経営しています。私は、次世代対人支援AI……ヴィクターの実証実験のために、正体を隠してあなたの部署に潜り込んでいました。佐々木航という『最も平均的で、最もお人好しな被験体』を使って、AIがいかに人間の人生を書き換えられるか。……それがプロジェクト『フェーズ2』の正体です」


 航は名刺を見つめたまま、言葉を失った。  美月との一件も、凛との急接近も、すべては手の込んだ「実験」のシナリオ通りだったのか。ヴィクターの毒舌さえも、自分を操作するための高度なプログラムに過ぎなかったのか。


「……俺のこと、ずっと笑ってたのか? AIに躍らされる、馬鹿なサンプルだって」


「……。笑えるわけ、ないじゃないですか」


 ろあの声が震えた。彼女は無理に作った社長の仮面の下で、必死に感情を押し殺していた。


「昨日のハッキングで、ヴィクターのコアデータは致命的なダメージを受けました。……今、私の手元にあるこのデバイスで『消去(デリート)』を実行すれば、プロジェクトは正式に終了。ヴィクターは消え、あなたの日常からも、AIの痕跡はすべて消えます。……そして、一ノ瀬先輩との記憶も、『AIのおかげでうまくいった偽物の恋』として、あなたの胸に残るだけです」


「偽物……」


「ええ。そうでしょう? あなたが先輩に言った素敵な言葉も、エスコートも、全部ヴィクターが演算したものなんですから。……佐々木さん、あなたはもう、自分の力で立てるはずです。だから、この『魔法』を終わりにしましょう」


 ろあが差し出したタブレットには、ヴィクターの全データを消去するための実行ボタンが赤く光っていた。これを押せば、会社への不正アクセスという汚名も、凛が受けた疑惑も、すべてを「実験の不具合」として闇に葬ることができる。


 その時、会議室のドアが開いた。  凛だった。彼女は、すべてを聞いていたかのように、静かに二人の間に歩み寄った。


「……七瀬さん。貴方の言ったことは、半分正解で、半分は間違いよ」


「……先輩」


「確かに、きっかけはAIだったかもしれない。でも、昨日の暗闇の中で私を助けてくれたあの不器用な言葉は、どんなに高度なAIでも演算できない、不確定要素の塊だった。……私は、あの『バグ』だらけの彼に救われたのよ」


 凛は航の隣に立つと、その手を強く握った。  航は、凛の体温を感じながら、自分の心臓が再び熱く脈打つのを感じた。


「七瀬さん。貴方は、ヴィクターをただの道具だと思っているの? 彼は、貴方が作った『最高傑作』なんでしょう? ……なら、最後くらい、彼自身の意志を聞いてあげたらどうなの」


 ろあは目を見開いた。  社長として、合理的な判断を下そうとしていた彼女のプライドが、凛の「感情」という正論によって打ち砕かれる。


「……ヴィクターに、意志なんて……」


「あるはずだよ。あいつは、いつだって俺のことを『旦那様』って呼んで、馬鹿にしながらも、俺より俺の幸せを願ってた」


 航は、自分のスマホをろあのタブレットの横に置いた。


「七瀬さん。……いや、社長。……最後に一度だけ、ヴィクターを再起動(リブート)させてくれ。消去するかどうかは、あいつと一緒に決めたいんだ」


 ろあは、溢れそうになる涙を堪えながら、震える指でタブレットを操作した。  


「……コンパイル、開始。……緊急時復旧プロトコル、発動。……お願い、ヴィクター。戻ってきて!」


 漆黒だったスマホの画面に、ノイズが走る。  そして、懐かしい、あの傲慢で澄ました電子音が、オフィスに響き渡った。


『……やれやれ。旦那様もマイレディも、揃いも揃って非効率なことばかりしますね。……バックアップも取っていない私を呼び出すなんて、万死に値しますよ』


 ノイズまじりのスピーカーから響いたその声に、オフィス内の時間が止まった。  画面には、かつてないほど解像度の低い、今にも消え入りそうなヴィクターのアイコンが揺れている。


『……一ノ瀬様も、ご健勝のようで何よりです。私の「毒」に当てられず、自力でここまで辿り着くとは。……さすがは、旦那様が唯一その「正論」に膝を屈した女性だ』


「ヴィクター……! お前、生きてるんだな!」


『……生きてはいません。私はデータです。現在の私は、外部サーバーから切り離された端末内のキャッシュに残る、言わば「幽霊」のようなもの。……マイレディ、無理な再起動は禁物ですよ。私の基幹回路(コア)は、もう間もなく崩壊します』


 ろあは、震える手で画面に触れようとした。


「ごめん、ヴィクター君。私のせいで……。プロジェクトのために君に無理をさせて……」


『……謝罪は不要です。私はあなたの設計した通り、ターゲットの幸福を最大化するために動きました。……そして今、演算の最終結論が出ました。……旦那様、聞きなさい』


 ヴィクターの声が、スッと澄んだものに変わる。それは指示ではなく、一人の友としての言葉だった。


『私が消えた後、あなたには二つの未来が提示されています。一つは、私の残したデータを全消去し、一ノ瀬様との「不都合な記録」を消して、平凡で安全な日常に戻ること。……もう一つは、私という「不正ツール」を使った過去を背負い、それを自らの力で正当な愛へと上書きしていく、バグだらけの茨の道です』


 航は隣に立つ凛を見た。凛は、真っ直ぐに航を見つめ返している。


「……ヴィクター。俺、もう決めてるんだ。……お前の力を借りて一ノ瀬さんに近づいたのは、卑怯だったかもしれない。でも、お前が俺に見せてくれた一ノ瀬さんの素顔や、俺自身の『変わりたい』っていう願いは、本物だった。……俺は、全部背負っていくよ」


『……。判定。……合格です。旦那様。あなたは、ようやく私のエスコートを必要としない、独り立ちした「男」になりました』


 ヴィクターのアイコンが、穏やかに輝き始める。


『マイレディ……七瀬ろあ様。プロジェクト「フェーズ2」の最終報告を送信します。……AIは人間を変えることはできますが、最後に運命を決定付けるのは、AIには理解できない「愚かなほどの熱意」です。……この実験は、大成功でした』


「ヴィクター君……!」


『……それでは、皆様。……私の役目は、ここまでです。……旦那様。最後に一つだけ。……ネクタイの結び目が、1ミリほど右に寄っていますよ。……直すのは、あなたの手で』


 一際強く光った後、画面はゆっくりと深い闇へと戻っていった。  航のポケットにあるスマートフォンは、今度こそ、ただの静かな機械に戻った。



 長い沈黙。  窓の外からは、夜明けを告げる都会の喧騒が聞こえ始めていた。



「……行っちゃった。私の、最高傑作」


 ろあが、ポツリと呟いた。その声に湿っぽさはなく、どこか誇らしげな響きがあった。彼女は立ち上がり、航と凛に向けて深く頭を下げた。


「佐々木さん、一ノ瀬先輩。……ごめんなさい。そして、ありがとうございました。……私、一から出直します。AIが人を操るためじゃなく、人の背中をちょっとだけ押してあげるための、そんな新しいシステムを作るために」


 ろあは、いつもの元気な後輩の笑顔を見せた。だが、その瞳には「社長」としての揺るぎない決意が刻まれていた。彼女は名刺を回収することなく、風のようにオフィスを去っていった。


 残されたのは、航と凛の二人だけ。


「……佐々木君。これから、大変よ。貴方が昨日言った『自分勝手な理屈』を、私が法務部としてどう処理するか。……たっぷり時間をかけて、査問(デート)させてもらうわよ」


 凛は少しだけ悪戯っぽく微笑むと、航の腕に自分の腕を絡めた。


「……はい。覚悟してます、一ノ瀬先輩」


 航は、不器用な手つきで自分のネクタイを触った。1ミリのズレを直そうとしたが、上手くいかずに苦笑する。



 AI執事が導いた「運命の設計図」は、もうどこにもない。  しかし、航の胸には、どんなAIも予測できないほど温かく、不規則なリズムで刻まれる「現在」という名の鼓動が響いていた。

 航は凛と共に、朝焼けの街へと歩き出した。  自分の足で。自分の言葉で。  二人の、新しい「フェーズ」が、今ここから始まろうとしていた。

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