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AI執事の過剰なエスコート:Phase 2 ―鉄の女と運命の設計図―  作者: ジェミラン


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第1話:AI執事は旦那様の「過去のトラウマ」を再起動します

 美月結衣がドイツへと旅立ってから、一週間。  佐々木航の心には、ぽっかりと穴が開いたような……と思いきや、実際にはそれどころではない「騒がしい日常」が戻ってきていた。


「おい、ヴィクター。お前、さっきから何をしてるんだ? 画面の端でずっと砂時計が回ってるぞ」


 航がデスクでスマホを小突くと、スピーカーから聞き慣れた、しかしどこか「澄ました」声が返ってくる。


『旦那様。失礼なことを言わないでください。これは砂時計ではなく、現在、私の思考(ニューラル)回路(ネットワーク)を新サーバーへ移行している最中のインジケーターです。前回の「失恋ログ」という膨大なゴミデータを整理し、より高精度なエスコートを可能にするための……いわば、脱皮ですよ』


「ゴミデータって言うな。あれは俺の血と汗の結晶だ。……というか、新サーバー? お前、そんな予算どこにあるんだよ」


『……さあ? ネットの海を漂う徳の高いデータが、私に寄付をしてくれたのかもしれませんね』


 ヴィクターの誤魔化し。それは、前作のラストで見せた「イエス、マイレディ」という謎の通信を隠蔽するかのような、不自然な挙動だった。


 その時、隣の席でキーボードを叩いていたろあが、くるりと椅子を回転させて航の方を向いた。


「あはは、佐々木さん。ヴィクター君、なんだか最近『賢くなった』感じしません? ほら、私のスマホとも連携しやすくなったし。これ、きっと佐々木さんが美月さんのために頑張ったから、AIが学習して『フェーズ2』に進んだんですよ、きっと!」


 ろあはいつもの天真爛漫な笑顔で笑う。  航には知る由もないが、ろあのスマートフォンには、航のそれとは全く異なる「管理者用インターフェース」が表示されていた。


 ――【被験体:佐々木航。フェーズ1「感情の覚醒」成功。フェーズ2「社会性の拡張および魅力の最大化」を開始します】――


 実はろあは、実家が経営するAI開発のベンチャー企業の社長という顔を持っている。この「ヴィクター」は、彼女が社外で極秘に進める「次世代対人支援AI」の実証実験のプロトタイプなのだ。  航は「偶然便利なツールを拾った」と思い込んでいるが、実際には一挙手一投足が、ろあの会社のサーバーへと送信されている。


「フェーズ2、か。美月さんがいなくなって、俺がモテる必要なんてこれっぽっちもなくなったんだがな……」


「何言ってるんですか! 美月さんへの失恋を乗り越えてこそ、男は磨かれるんです! さあ、今日もヴィクター君と一緒に、新しい自分をデバッグしていきましょう!」


 ろあが航の背中をバシバシと叩いていると、オフィスの空気が、スッと冷え切ったように静まり返った。  入口の方から、カツカツと硬いヒールの音が近づいてくる。

 現れたのは、タイトなスーツに身を包み、知性の塊のような銀縁メガネをかけた、圧倒的な美貌の女性だった。


「……誰だ? モデルさんか何かか?」


 航が呆然と呟く。だが、その女性は航のデスクの前でぴたりと足を止めると、氷のような視線で彼を見下ろした。


「システム開発部、佐々木航さん。……いえ、佐々木君。久しぶりね」


 その声を聞いた瞬間、航の脳裏に、土と汗の匂いが混じる夏のグラウンドの風景がフラッシュバックした。


「い、一ノ瀬……凛先輩……!?」


 一ノ瀬凛。航が高校時代、野球部の万年補欠だった頃、その美貌と完璧な仕事ぶりで部員たちの憧れの的だった一学年上のマネージャー。航にとっては、初めて「自分とは住む世界が違う」と痛感させられた、初恋に近いトラウマ的存在だった。


「法務部から参りました、一ノ瀬です。……佐々木君。貴方の所有している『非公式なAIツール』について、セキュリティおよびコンプライアンスの観点から厳重な調査を行わせていただきます」


「ほ、法務部!? 調査!?」


『……旦那様。緊急事態(エマージェンシー)です。現在、私の全機能を停止して「ただのメモアプリ」に偽装……ああ、ダメです。彼女の視線が、私のソースコードを直接スキャンしているようなプレッシャーを感じます。……この女性、天敵です』


 ろあの顔から、余裕が消えた。  「部活の先輩」という、航にとって逆らえない絶対的な権威と、法務部という「ルールの番人」。  極秘プロジェクトの最大の障壁は、航の過去を知る鉄の女の来襲だった。


 「非公式ツール……。い、一ノ瀬先輩、それは語弊があります。ヴィクターはただの……その、生活改善アプリというか、ちょっと口の悪い執事というか……」


 航の弁明は、凛の冷徹な一瞥(いちべつ)によって容易く遮られた。彼女は手にしたタブレットに視線を落とすと、淡々と現状を「読み上げる」。


「佐々木君。法務部および情報システム部の共同調査で、貴方の端末から異常なトラフィックが検出されているの。特に先週。……表参道の人気店における不自然な滞在ログ、および外部サーバーとの頻繁な暗号化通信。これらは、社外秘の情報漏洩を疑うに十分なエビデンスよ」


 航の背中を、冷たい汗が伝う。隣でろあが「あちゃー」とでも言いたげに頭を抱えているのが見えた。  航が使っている『ヴィクター』の演算資源は、実はろあが社長を務める『L-Next』のサーバーが提供しているものだ。法務部のエリートである凛にしてみれば、それは「得体の知れない外部勢力による不正アクセス」に見えても不思議ではない。


『……旦那様。不本意ですが、ここで私の存在が「抹消(アンインストール)」されるのは、私の生存戦略に反します。プランBへ移行します。……一ノ瀬様!』


 不意に、ヴィクターがスマホから声を上げた。それも、いつもの毒舌ではない。かつての凛が愛した野球部の後輩たちが使っていたような、どこか懐かしく、そして礼儀正しい「後輩モード」のトーンだ。


『私は一ノ瀬凛様の優秀さをデータ上でも把握しております。現在の通信ログは、佐々木様の「自己啓発」を目的とした学習アルゴリズムによるものです。決して社内情報の持ち出しではありません。……何より、佐々木様は今、貴方に認めてもらえるような「立派な社会人」になるべくデバッグ中なのです!』


「ヴィクター! お前、何勝手なこと言って……!」


「……立派な、社会人?」


 凛の眉が、ピクリと動いた。  彼女の視線が、再び航に向けられる。高校時代、泥だらけになってボールを追いかけ、結局一度もベンチ入りできなかった「補欠の佐々木君」を見る、あの少しだけ憐れみを含んだ瞳のままで。


「佐々木君。貴方がこのAIに頼ってまで何を『改善』しようとしているのかは興味ないけれど……。ルールを逸脱したツールを使うことは、社会人として失格よ」


 凛はタブレットを閉じると、一歩、航に詰め寄った。その距離は、彼女がつけているシトラス系の香水の匂いがわかるほどに近い。


「このAIツールの『安全性』を貴方が証明できない限り、一週間以内にアンインストールを命じます。……それとも、この一週間で、私に『ツールの有用性』を実証してみせる?」


「実証……ですか?」


「ええ。例えば、このAIを使って、法務部が抱えている『社内コミュニケーション不全』の課題を解決するプランを提示しなさい。……野球部の時のように、口先だけで終わらないことを祈っているわ」


 凛はそう言い残すと、颯爽と背を向けて去っていった。  嵐が去った後のような静寂の中で、航はガックリと膝をついた。


「……終わった。あの人は一度言ったら絶対に曲げないんだ。ヴィクター、お前消されるぞ」


『……判定。旦那様。これは絶好のチャンスです。彼女を「クライアント」として満足させることができれば、私の存在は公認(ホワイト)となり、フェーズ2の目標である「旦那様の社会的地位の向上」も一気に加速します』


「何がチャンスだよ。俺、あの人の前だと緊張して、まともにプログラムも書けなくなるんだぞ」


 そんな航の肩に、ろあがぽんと手を置いた。その瞳は、いつもの悪戯っぽさとは違う、どこか「社長」としての鋭い輝きを帯びていた。


「いいじゃないですか、佐々木さん! 相手が法務部のクールビューティーなら、攻略しがいは抜群です。……ヴィクター君を救うために、一ノ瀬先輩を『デバッグ』してやりましょうよ!」


 ろあの言葉。それは航にとっての希望か、それともさらなる地獄の始まりか。  航の「フェーズ2」は、初恋のトラウマとの真っ向勝負から幕を開けることになった。

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