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09. ド変人のコルネリア

 ファーナー男爵家は金持ちだ。


 広く豊かな領地に、活気づいた商業、重ねてファーナー男爵の的確な運営によって、領地は繁栄を極めていた。

 その上、優秀なファーナー男爵は様々の功績も上げていて、王室では陞爵を検討されているという噂もある。


 今もっとも勢いのある家の一つと言っても、過言ではない。


 そんなファーナー男爵には、子供が一人いる。

 十六歳の少女だ。


 よほど階級が高くない限り、息子を彼女の婿にしようと画策しない貴族は、いないほどった――


***


 ファーナー男爵は、ある夜会に出ていた。


「親が言うのもなんですが、うちの娘は淑やかで、内気で、素直な子です。どうです、そちらの息子さんと会わせてみては」

「お待ちください、うちの娘はダンスの上手い、社交界でも評判の美人です。きっと、お役に立てるかと」

「これがうちの娘です。ほら、ご挨拶しなさい」

「うちの娘は、刺繍が上手くて……」


 親交のある家々は、こぞって自分の娘たちを、高位貴族の息子に売り出そうとする。

 そんな様子を、ファーナー男爵は微笑んで見守っていた。


 一拍後、同僚たちは目配せをしあうと、ファーナー男爵のもとに集まってきた。


「ファーナー男爵は、今日も娘さんを大事になさる」

「おや、そう見えますか?」

「おとぼけにならないでくださいよ。一人娘を社交の場に滅多に出さず、見合い話の一つも、作ろうとなさらないではないですか」

「内気な子でして、人前に出るのを恥ずかしがるのですよ。それに十七歳ですから、見合い話にはまだ早い」

「もう十七歳の、まちがいではないですか。結婚していても、おかしくない年でしょう」

「いやいや、ははは」


 ファーナー男爵は笑いながら、手元のワインをぐびぐびと飲み干す。

 貴族たちは噂しあった。


「ファーナー男爵は、相変わらずだ」

「あの優秀なファーナー男爵が、手元から放そうとしない一人娘」

「コルネリア嬢。ファーナー家の掌中の珠」

「一体、どんなに優れた娘なんだろう」


 噂話を小耳にはさみながら、ファーナー男爵はただひたすらに、好物のワインをグラスに注ぐのであった。


 ――数時間後。


 ファーナー男爵は、自分の屋敷の隅にある尖塔の、螺旋階段を上っていた。


 最上階に着くと、そこには開けた部屋がある。

 小さな天窓があり、薄い日光が流れ込んでくる。

 壁は武骨な石造りで、何もなければ罪人の部屋と間違われるほど、そっけなかっただろう。


 だが、その部屋はベッドに本棚、その他散乱する物で、例えようもない生活臭が漂っている。


 何故か。

 ファーナー家の一人娘、コルネリアが居座っているからだ。


 そしてコルネリアは梯子のてっぺんに乗って、小瓶の中の染料に筆を突っ込んでは、歌いながら壁に謎の文様を描いていた。


 ファーナー男爵は目頭を押さえる。

 あの染料は、その道三十年の掃除婦ですら匙を投げる、「絶対落ちない染料」である。

 もうこの部屋の復帰は不可能だ……


「……コルネリア」

「――ふっふふーん――」


 コルネリアは歌いながら謎の文様を描いている。


「コルネリア」

「――ふんふーん、腐ったミカンは、お腹を壊す――」

「何の歌だよ」


 こいつは聞かない。

 聞こうとすらしない。


 現実を見ていられなくなった男爵が、部屋の隅に目をそらすと、そこには大量のモニュメントがあった。

 また増えている――


「コルネリア」

「――らんらんら――」

「――せめて壁じゃなくて、紙に描きなさい!」


 ファーナー男爵が、部屋の中央に鎮座する模造紙の山を指さしながら叫ぶと、ようやくコルネリアは振り向いた。


 長い灰色の髪に、真っ白な肌。

 宝石のような紫色の瞳を持つ彼女は、低身長で幼く見えるものの、かなりの美少女だ。


「――だって、紙に描いたのがたまったら、お父様、捨てちゃうでしょう」

「ばれてたのか……」

「当たり前だよ」


 そう言うと、またコルネリアは鼻歌交じりに、壁に筆を引いた。


「あのな、コルネリア。せめて、謎の文様はやめないか。お前も女の子なら、ほかに趣味があるだろう。刺繍とか、絵画とか、楽器演奏とか――」

「全部やりました。そのうえで、私がたどり着いた境地がこれです。そしてこれは謎の文様じゃない、魔法陣です」


 ファーナー男爵は虚無の面持ちで、コルネリアが言うところの「魔法陣」を眺める。


 初めてコルネリアが「魔法陣」とやらを描きだした時は、男爵は彼女に魔術の才能があったのかと、小躍りした。


 古代魔術語を語ることが、魔術としてシンプルな威力を持つなら、魔法陣は細かく描きだし、図形化することによって、ますます威力を強くて複雑なものにする、高度な魔法技術だ。


 だが、その喜びは秒でついえた。


 描かれた魔法陣、そのすべてに何の効果もなかった――平たく言えば、何も起きなかった。

 つまりは、それは魔法陣を模したただの落書きであった。


 男爵が一人娘のコルネリアに、社交の場も、見合い話も用意しない理由は、二つ。


 一つは、コルネリアがそういったことへの興味を、微塵も示さないこと。


 もう一つは、コルネリアはどこに出しても恥ずかしい、立派なド変人だったことだ。


 男爵は部屋を見渡した。

 雑然とした部屋には、壁中に文様、文様、天井にまで文様――よく見れば模造紙にも、文様や何かの計算式が描いてあるし、部屋に散らばっている本の山には、学者ですら読むのが難しい、難解な本が混ざっている。


 決して無能な娘ではない――と思いたいのだが。


「何というか……お前には特殊な、そう、すごく特殊な感性が、備わっているんだろうな」



 男爵は諦念の笑みを浮かべて、呟いた。


「そうかな」

「いつか、きっと誰かが理解してくれるさ」


 コルネリアはその言葉に、少し考える。


「この世に……二人くらい、いると思う」

「それは、少ない――いやむしろ多い……」

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