06. 文句垂れのクラウディア(1)
宮廷学校とは、その名の通り宮廷が運営する学校である。
魔術科、政治科、騎士科、芸術科、新設された淑女科などからなる、国一番の研究機関であり、この国の英知の結晶である。
ギルベルト・ツァールマンも、この学校の騎士科の生徒だ。
ツァールマン伯爵家の長男であり、まっすぐな赤い髪と灰色の目を持つ、しなやかながらも精悍な青年である。
彼はその日の訓練を終えて、校門を出たところであった。
「よーう、ギル。明日から春休みだな。今日は訓練ないの?」
肩を叩かれた。
振り向くと、淡い金色の髪の青年が立っていた。
彼の名はフェリクス・バルツァー。
政治科の学生である。
ギルベルトの先輩であり、友人だ。
「こんにちは、フェリクスさん。訓練は休みです。今日は座学でもしようかと」
「真面目だねーぇ。遊べばいいのに」
「フェリクスさんが、遊びすぎなのでは……」
「えらいえらい。政治科の先輩である俺が、勉強みてやろうか?」
「いえ、義姉が参考書を選んでくれたので、それを……」
うっかり義姉を会話に出してしまい、ギルベルトはしまったと思った。
案の定、フェリクスは目を輝かせて食い付いてくる。
「相変わらず、お宅のクラウディアさんは、お前にやさしいよな。ちょっと、俺にも紹介してくれよ」
「義姉を褒めていただき、光栄です。機会があれば、連絡します」
「うわー、絶対会わせる気がない言い方」
「そんなことはないですよ。ただ、義姉さんは勉強しかしていないから。世間知らずなので、少し心配なだけです」
「相変わらず、過保護だねーぇ。そんなに俺は信用ないですか」
「女子生徒をとっかえひっかえしてるって、聞きましたよ」
「……少なくとも取り替えた覚えはない……成程ねぇ、そんな噂が」
フェリクスが一瞬死んだ目をしたので、ついギルベルトの頬も緩む。
「落ち着いた行動を心がけてください。仮にも次期宰相なら――」
言いかけて、口を止める。
フェリクスが顔を笑顔に固めたまま、自分の口元に人指し指を置いたからだ。
「……屋外で、軽率でした」
「まぁまぁ。せっかく今の宰相が目立ってくれている間に、他の貴族に警戒されずに、情報を集めたいからね」
これはあまり知られていないことだが、フェリクスは学生ながら既に宰相の補佐を務めている。
彼が次期宰相に選ばれる根回しも、すでに整っている。
フェリクスは笑って手を振った。
「じゃあ、俺は宰相殿の手伝いに行くから。お義姉さんによろしく」
ギルベルトにとって、フェリクスは尊敬する先輩であり、そして間違いなく良い友人である。
だが情報収集のためとはいえ、何かと軟派な態度をとるのは、いかがなものだろうか。
クラウディアの話題が出るたびに食い付くのも、少し困りものだ。
フェリクスと別れたギルベルトは、家路を歩きながら考えた。
ギルベルトは養子だ。
下級貴族の両親が死んだとき、男児がいない遠縁のツァールマン伯爵家に、引き取られたのだ。
だが、魔力があるという理由だけでギルベルトを跡継ぎにした、ツァールマン夫妻は厳しかった。
良く言えば厳格、悪く言えば冷徹。
親らしいあたたかな愛情とは程遠く、常にツァールマン家長男としての能力、それだけを求められた。
愛情を注いでくれたのは、ツァールマン夫妻の実子、クラウディアだけであった。
だが、ギルベルトはそれで満足している。
ツァールマン家の屋敷に入ると、ギルベルトは細い廊下に人影を見つけた。
さんさんと日光が降り注ぐ窓辺に、椅子を一脚置き、読書に励んでいる少女がいる。
すらりと背が高く、艶やかな黒髪を腰まで垂らしている。
肌は抜けるように白い。
「義姉さん」
ギルベルトが声をかけると、義姉――クラウディアは、柔らかく微笑んだ。
「どうしたの、ギル」
「えっと……ああ」
ギルベルトは少し困った。
話しかける内容を決めていなかったのだ。
さまよわせた目を、クラウディアの手に持っている本に止める。
「今日も熱心ですね……『世界の武器』ですか」
ギルベルトは苦笑した。
「淑女にはあまり似合わない本では」
クラウディアは、宮廷学校に新設された学部「淑女科」に通っている。
普通の令嬢にしてはそれだけでも十分すごいことなのに、あの有名なアポロニア嬢を二位に追い詰め、首席を取り続けている。
それでも全く奢らず、毎日図書室に通い詰め、勉学に励むさまは、いつしか「図書室の君」と噂されるほどになっていた。
ギルベルトは既に優秀な彼女が、一生触ることもないであろう、「世界の武器」にまで知識をため込む理由が分からない。
そんなギルベルトの問いに、クラウディアはふわりとほほ笑んで答えた。
「この世に役に立たない知識など、無いのよ」
「そうですか?」
「そうよ。例えばね、この前読んだ異国の戦記に、聞いたこともない武器が出てきたの。でも、この本で調べたら、槍の一種だということが分かったわ。何かの隠喩かもしれない。解釈のための、重要なファクターかもしれない。すべてのことは、つながっている」
クラウディアはいとおしそうに本を撫でる。
何がそこまで彼女を駆り立てるのだろう、とギルベルトは思う。
ギルベルトは宮廷学校の騎士科の中でも、秀才として知られている。
天性の素質とたゆまぬ努力に、期待の声も多く、すでに数々の騎士団からの勧誘もあるほどだ。
しかし、彼女の努力にはかなわない。
クラウディアは毎日欠かさずに、学者も驚くほどの量の勉強をこなす。
ギルベルトも絶えず努力をしてきた自負があるが、それでも時間、質、熱意のどれにおいてもかなわないと、ギルベルト本人だからこそわかる。
その上で、クラウディアはいつだって弱みを見せない。
過酷な努力、厳しい教育にも一切弱音を吐かず、ため息すらつかない。
幼い時、クラウディアに何故そんなに頑張れるのか、聞いたことがある。
すると、クラウディアは優しい笑顔を引きつらせて、言った。
「ギル、あなたは何も知らないままでいて。わたくしのかわいい弟だから、まだまだ穢れてほしくないの」
それ以上、彼女は何も言ってくれない。
ギルベルトに彼女が見ている困難の一つだって、教えてくれない。
だからこそギルベルトは、クラウディアの前でこそ一番頼りがいのある人間でいたい。
だが彼女にかかれば、ギルベルトはまだ弱くて幼い弟だ。
クラウディアは、ギルベルトが疲れや悲しみを取り繕っていても、すぐに気づいてしまう。
ギルベルトの知らないところで、両親にもっとギルベルトに優しくすべきだと、何度も抗議していたらしい。
クラウディアは、ギルベルトの弱音を許してくれる。
頑張りを認めてくれる。
クラウディア自身の弱みを見せるほど、ギルベルトに心を許していないくせに。
――ギルベルトは、クラウディアにかなわない。
「ギル、それ今日の朝刊よね。わたくしにも見せてくれるかしら?」
クラウディアはギルベルトの手元に目を止める。
「大して目立った記事はありませんよ。伯爵令嬢が新聞広告を出したとうのは、面白いと言えば面白いが」
「あら、どこの方かしら」
「アンネマリー・ブッケル嬢です。貞淑と有名な」
あら、と言ってクラウディアは唇に指をあてた。
「バフ家やヴルフ家のお嬢さんと、よく一緒にいらっしゃる方ね。新聞広告って、何事かしら」
クラウディアに新聞を手渡しながら、ギルベルトは思い返した。
アンネマリー・ブッケル。
栗色の髪に丸眼鏡で一見地味な少女だが、澄んだ緑色の大きな目と整った容貌、柔らかで控えめな態度、おまけに「貞淑」で有名なブッケル家の長女ということで、ひっそりと注目を集めている令嬢だ。
そんな彼女が、貴族令嬢とは縁遠い新聞に公告を出すとは、誰もが予想しなかった。
それも、あんな内容で。
「これは……!」
「ブッケル家長女」の広告のページを開き、クラウディアは目を見開いた。
みるみる頬を紅潮させ、目は興奮に潤んでくる。
「どうしました、義姉さん。もしかして、これが読めるんですか」
その広告に書かれていたのは、おそらく暗号文だ。
基本的に四音の、意味を持たない言葉が大量に羅列されている。
ギルベルトには何の規則性も見つけられない。
「まさか……でも、ああ、間違いない」
クラウディアは椅子を蹴飛ばしながら立ち上がると、口の中でつぶやいた。
「アン、あのお馬鹿!」




