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05. 考えなしのアンネマリー(3)

 アンネマリーの決断から、話は少しさかのぼる。


「その新作の春画はですね、新訳クトリニ島探検記。隊長と副隊長の絆が大変かぐわしい、名著です」

「うわー、見てらんねえよ、この変態ー」


 堂々と言い放つアンネマリーに、フェリクスは指さして笑い転げていた。


 数刻後。


 木造りの本棚が並び、磨かれた窓の外には、これから盛りを迎える紫陽花が見える。

 フェリクスは自室で椅子に姿勢よく座っていた。


 艶やかな飴色のロールトップデスクの上には、「新訳クトリニ島探検記」。

 フェリクスは目を閉じて、深くため息をついた。


 ――買った。


 表紙を開いて、フェリクスは読書にふける。


 最後のページをめくり、改めて裏表紙をしげしげと見るころには、フェリクスの頬には涙が一筋、零れ落ちていた。


「……隊長と副隊長、付き合ってるよな」


 ――フェリクスも殿方同士の恋愛が大好きだった。


 本を表紙、裏表紙とくるくる回し、もう一度眺めてフェリクスは机に突っ伏す。


「やめてほしい……泣きながら本を閉じたら、装丁でもう一度崩れ落ちさせるの、やめてほしい……装丁家さんありがとう……というかこのデザイン、もうみんな、隊長と副隊長のラブラブを前提にして読んでない? 待て待て落ち着け俺……」


 しばらくぶつぶつ呟いた後、フェリクスはふと本棚を眺める。

 天井まで届く本棚は、アンネマリー――偉大なる先達の推薦図書で埋め尽くされている。


「言えない……趣味がえげつなく被っているなんて」


 事の発端は、アンネマリーの推測通り、幼いフェリクスが彼女の描いた春画を目にしてしまった時だった。


 わお、破廉恥! 信じられない!


 当初のフェリクスの反応は間違いなくそれだったが、次第に怖いもの見たさで、アンネマリーの引き出しを覗くようになり、推薦図書にも目を通し……あれよあれよという間に、フェリクスは泥沼に沈んでいった。


 一向に抜け出せる気配はない。


 フェリクスはごんと机に頭を打った。


 本当は、アンネマリーにこの趣味を告白したい。

 一晩、いやこの際永久にでも、我らが趣味について語り合いたい。


 だが……フェリクスは現時点、アンネマリーに殿方同士ラブの趣味を暴露するどころか、アンネマリーの趣味をけなしてさえいる。


 何故か。


 あれはフェリクス十一歳の時だった。

 いつものように、アンネマリーの私室で春画を盗み見た。


 描かれていたのが、自分だった。


 以上。


 身近な人間で殿方同士ラブの妄想をしてしまうなど、フェリクスにすらよくあることではある。


 だがしかし。

 描かれていたエッチでセクシーな当事者が、自分であるとなると、感情としては別である。


 より具体的に言えば、フェリクスは確かに殿方の一員ではあるが、殿方同士ラブの一員になることは地雷である。

 恋愛描写(特に猥褻)に混ざる自分、殿方の間に挟まる自分、全て断固拒否する。

 フェリクスとて理解したくなかったのだ、自分のこんな特性。


 しかも描いたのが、身近な人であるからこそ、精神的ダメージは悪化する。



 なにより、アンネマリー。

 フェリクスは、その生涯で色々な人を見てきた。

 だが、こいつだけは謎だ。


 フェリクスは今でこそ、甘いマスクが女性陣に好評ではあるが、幼少期は顔が愛らしすぎて、女子のような雰囲気の方が勝っていた。

 それが理由か、同世代の少年達からは「おんなおとこ」と、いじめの的だった。


 まだ幼かったので、フェリクスは本気でどうしたらいいのか分からない。

 恥ずかしくて、親にも相談できなかった。


 そんな時、フェリクスが相談相手に選んだのが、アンネマリーだ。


 趣味を把握する前から、アンネマリーはフェリクスの一番の友達だった。

 お互い打たれ弱い性格だったので、気が合ったのである。


 当時八歳のアンネマリーは頷いた。


「それは酷いですね。私にまかせてください」


 フェリクスが止める間もなく、アンネマリーの猛攻が始まった。


 ある昼、アンネマリーの屋敷で行われる茶会に、いじめっ子たち全員を招待。

 それとなく人のいない別邸へ誘導。

 屋敷の中は真っ暗で、窓や扉に鍵がかかっている。


 戸惑う彼らに、おっさん声の変声機で「かわいいねぇ、女の子みたいだねぇ」と叫びながら、夜になるまで追いかけまわす。


「半ズボン、似合うねぇ。すね毛生えてない、可愛いねぇ。ハァハァ」


 この語彙がどこから来たのか、フェリクスは知らない。

 考えたくもない。


 ようやく別邸から逃れ出た少年たちに、アンネマリーは近づいた。


「大丈夫?」

「あ、おい。ここバケモノがいるぞ。この屋敷、どうなってんだ」

「ああ、容姿のことでいじめられるのって、つらいですよね」

「いや、もうそういう次元じゃ……」

「つらいですね?」


 にっこり笑ったアンネマリーに、いじめっ子たちは口をつぐんだ。


 その日から、フェリクスが彼らから「女の子みたい」といじめられることは、無かった。


 これが八歳女児のすることか。


 フェリクスは、何がアンネマリーを怒らせたのか分からない。

 だが、これだけは言える。

 アンネマリーは、生まれた時から気弱で地味な少女である。

 だが、ここぞというときの決断力と行動力、そして考えなしっぷりが、尋常じゃない。


 彼女が何かをしようと思いついたなら、多分何も起こらないわけがないのである。


 フェリクスは正直、彼女を恐れている。

 彼女が自分を殿方同士ラブに巻き込もうとしたなら、どれだけ自分が対抗しても、少なくとも災厄に巻き込まれることは、間違いない。


 それこそが、フェリクスの殿方同士ラブという趣味を隠すゆえんであり、何なら、フェリクスが女性たちと交流を多く持つ理由の三分の一はこれである。


 では、これだけ恐れているのに、フェリクスがアンネマリーをかまう理由は、何か。


 ――哀れ、フェリクスは未だ初恋にとらわれていた。


 きっかけは、いじめっ子に堂々対峙する、気弱なはずの少女の姿であった。

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