〈閑話〉 受験勉強、そして狂気(+おまけ)
「萌えが欲しいんですよ」
自室にアトリエから借りたイーゼルと石膏像をこっそり持ち込み、アンネマリーは目を血走らせながらデッサンを取る。
「萌えが欲しいのに、そこに萌えはない」
部屋の壁という壁には、生真面目なデッサンが掛けられている。
時々、風景画もある。
アンネマリーは、絶賛受験勉強中であった。
《……あのね》
何も知らずに遊びに来たクラウディアが、恐る恐る言った。
《暗号化した古代魔術語、使いましょう?》
「勉強しながら、んなもんが使えるかぁ!」
アンネマリーは雄たけびを上げた。
「ディア姉さん、仮にも小説書きでしょう。受験生の苦しみくらい、理解してあげられなくて、どうするの」
コルネリアがじろりとクラウディアを見ながら、あっさりと言葉を切り替える。
「一人だけ受験せずに入学した奴が、言ってくれるじゃない……分かったわよ。悪かったわね、可哀そうな受験生のアン。座学は大丈夫なの?」
「フェリクスさんが見てくれています」
「あら、なら、大丈夫そうね」
「どうでしょうね。『自分がアンネちゃんの状態から、一年後受験するなら』という仮定で、勉強計画を作ってくれましたが、一週間後に諦めた顔をして、かなり範囲を絞ってくれました」
「それならやれそう?」
「山カンも張らせる予定です」
「あなた、次期宰相に、なんてことを……」
「それよりモチベーションですよ!」
アンネマリーが絵筆を振り上げる。
「こちとら勉強もすっごく大変なのに、両親が宮廷学校の受験を許してくれなくて、アトリエに行くことすら良い顔しなくて、モチベーションがだださがりなんですよ!」
「……え? 宮廷学校に入学できたら、結構なステータスじゃない。何故、反対されているの」
「男を立ててこそ、女なんですって。女には学力も権力も、いらないんですって。ああ、ストレスストレスストレス――!」
アンネマリーは瞬きもしないで、カラカラと笑った。
「萌え、萌えが足りねえんだよ、私の生活には。ああ、脳天までずっきゅんと来る激しい萌えが欲しい……おい、てめえら持ってんだろ。ほら出せよ、出せっつってんだよ!」
「やだもう、この子狂ってる……」
クラウディアが青ざめて、両頬に手を当てた。
顎に指を添えて考えていたネリが言う。
「アン、萌えとは与えられるものじゃない、見つけるものだよ。私たちが萌えてるものを教えたって、アンは萌えないかもしれない」
「……じゃあ、どうすればいいんですか」
会話をしながらも、アンネマリーは一切手を止めずに、キャンバスに向かっている。
「そうだね……まず自分の好きなものを、分析するのはどうかな。そこから逆算して、萌える殿方同士ラブを探すんだ」
アンネマリーは一瞬手を止めた後、また描きだした。
「幼馴染」
「そういえば、アンは幼馴染が大好きだったよね……」
「はい。あらゆる幼馴染は、幼馴染となった段階で、結婚していると思っています。つまり、別の人と付き合ったら不倫です」
「過激派……」
クラウディアは、はっと気づいて言う。
「ちょっと、アン。つまり、あなたとフェリクスさんは」
「こんなのを、幼馴染と同じにしないでください。腐れ縁ですよ、腐れ縁」
「……哀れ、フェリクスさん」
クラウディアは目を閉じて合掌した。
コルネリアが言う。
「じゃあ、あとは簡単だ。幼馴染を探せばいいんだよ」
「いない」
アンネマリーは、木炭を絶えず動かしながら言う。
「どこにもいないんだ」
「どういうこと?」
「受験勉強の中に、幼馴染が存在しないんです」
クラウディアがあっと口に手を当てた。
「確かに、受験の時に学ぶ歴史には、人物の敵対関係はわかっても、幼馴染ってあんまりないわね」
「そうなんです」
アンネマリーはまた、乾いた笑いを上げた。
「座学の中に幼馴染はおらず、石膏像の中にも幼馴染はおらず……」
「きっとまだ、勉強が足りていないだけよ。あなたが知らないだけで、きっと――」
「嫌ですっ。私は、特に何もしていないのに、心臓を直撃される萌えが欲しいんですっ!」
とうとうアンネマリーが、涙をほろりとこぼした。
アポロニア様のビンタを食らってから、この三人娘は涙腺が緩くなっている。
泣きながら笑い、ひたすらデッサンを取るアンネマリーの姿に、思わず二人の魂の姉も、涙を禁じ得ない。
「……待って、アン」
コルネリアがはっとして言った。
「幼馴染って、どこから?」
ぴたりと、アンネマリーが手を止めた。
「小さい時から、仲が良かった?」
アンネマリーはあいまいに呟く。
「でも、仲良しの基準って、決まってないじゃない。それがどんな形でもよいなら、どこに住もうが、どうあろうが、関係し合わない人間なんて、いない。ならば、どこからが『仲良し』なの?」
言いながらコルネリアが考え込む。
「そもそも、幼馴染が全員結婚しているって発想が、妄想だわね」
クラウディアがそう言って、自嘲するような笑みを浮かべた時、アンネマリーが椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「そうです。そもそも全部、妄想なんです」
「ええ」
「ならば、幼馴染という関係自体も妄想です」
「……ええ?」
アンネマリーはくるりと、二人の魂の姉に向き直った。
その瞳はやたらと輝いていた。
「全部妄想なら、好きにしちゃって良いのです。だったら、私はすべてを幼馴染にします。あらゆる人を幼馴染にします。――そうです」
アンネマリーは両手を上げて、高らかに叫んだ。
「地球に生まれる限り、すべての人類は幼馴染なのです――!」
そう言って、アンネマリーは「くふふ、うふふ、あーっはっはっはっ」と、三段階の高笑いを披露した。
「アン……あなた、疲れているのよ」
クラウディアが青ざめた顔で言った。
***
扉の外にはフェリクスと、アンネマリーの両親が立っていた。
フェリクスが沈痛な面持ちで言う。
「お分かり頂けましたか……もう全てが、手遅れです」
母親は泣き崩れ、父親は額に手を当てて言う。
「仕方がない――受験を認める」
こうしてアンネマリーは受験した。
おまけ① 文句を垂れたいクラウディア
「ここだけの話なのだけれどね」
誰もいない早朝、宮廷学校の校門の前で、クラウディアがぽつりと呟いた。
「わたくしは実は、『淑女科ってバカじゃねーの』って思っている」
「何の話です?」
「『騎士科』は分かる。『芸術科』『魔術科』も、芸術家・魔術師になりたいのだと、これも分かる。『政治科』も、やや漠然としているものの、どういう進路を選びたいのか、何となく分かるわ。でも、『淑女科』ってなに?」
「そりゃあ、良妻賢母に……」
「分かっているわよ、そんなこと。良き妻、良き母になるために、幅広い学問をさせるのが、『淑女科』の特徴だものね。皆そう答えるわよ。でも、うまく言語化できないけれど、何かもやもやするわ。幅広い学問をさせるなら、別に女だって芸術科や魔術科に入っても、いいじゃない。何故、淑女科なんてものが要るの?」
アンネマリーが腰に手を当てる。
「ははあ、アレですね。貴族女性のあるある、『針箱ピアノ問題』。『女の子だから音楽を学びなさい』って渡される、針箱にくっついたピアノ。何故普通のピアノじゃないのかって聞いたら、『別にピアニストになるわけじゃないから、いいだろ。女の子だし』って言われる。突き詰めさせる気もないのに、何故学ばせるのか。実際は予算面の問題も大きいのだろうけど、それならそうと言ってくれた方が、むしろこちらはもやもやしなくて済むのに」
「懐かしいわね、針箱ピアノ。わたくしは今世では家の音楽室に忍び込んで、父のピアノを勝手に弾いたわ。あなたは?」
「気分が乗らなくて、半日でやめました」
「淑女科の成立について調べたところ、『優秀な女性に学問の機会を与え、優秀な子供たちの育成をすすめる』って書いてあったのよ。これはあくまで想像なのだけど、淑女科しかり、針箱ピアノしかり、こういうことを考える連中って、きっと『自分は女性にも機会を与えている! なんて素晴らしい! 先進的!』という面をしているのよ。そこに沈むでっかい矛盾は、特に気にしていないのよね」
クラウディアは校舎に向かって《淑女科ってバカじゃねーの!》と、暗号化した古代魔術語で怒鳴る。
「落ち着いてください。それなら、ディア姉さまだって、別の学科に入ればよかったじゃないですか」
「親に反抗するの、面倒くさいのよ。出資しているのもあっちだし。それに、わたくしは広く浅く学びたい性分だから、ああいう、ひとつのことを突き詰める学問って、どうにも」
「向いているんじゃないですか、淑女科。ディアお姉さまは多分、女性も一つのものを突き詰められるようになったところで、『何で突き詰めさせられるのよ! 生きづらいわ!』とか文句垂れてますよ」
「分かってないわね、アン」
クラウディアは振り向いて、ほほ笑んだ。
「人間というのは、文句垂れている時が一番楽しいのよ」
「個人差ありますって」
おまけ② 誰かこの男を幸せにしてやってくれ
アンネマリーが「前世」の記憶を取り戻す、数か月前のことである。
「そういえば俺、次期宰相になりそうなんだよね」
フェリクスがいつものように、餃子の皮に肉だねを載せながら言う。
「またご大層な職に……まぁ、フェリクスさんなら、請け負ったからにはやるんでしょうけど。いつ決まったんです?」
「たしか、ひと月くらい前かな」
「結構黙ってるじゃないですか。週三で居座っているくせに」
「情報集めづらくなるから、他の人に言わないでね」
「把握しました。私の両親にも言わない方が良いですか?」
「あ、アンネちゃんの両親には言ったよ」
「ほーん……ん? 待ってください」
しばらく餃子のひだを作りながら考えていたアンネマリーは、思わず椅子から腰を浮かした。
「え!? 私には報告していないのに、私の両親には報告しているんですか!?」
「まぁ……」
「いつからうちの両親と、そんなに仲良くなったんですか?」
「そういう訳じゃ、ないんだけど……」
アンネマリーは目を見開いたまま、首を振る。
――こいつだけは、謎だ。
(――とか何とか、考えているんだろうなぁ……)
フェリクスは餃子の皮を補充しながら、アンネマリーを観察する。
(仮にアンネちゃんと結婚した場合、俺は確実に婿入りだから、なるべくご両親との関係は、良好のまま保っておきたいんだけど……)
アンネマリーの両親は、アンネマリーの婿をフェリクスにすると、既にほとんど決めている。
現在婚約していないのは、フェリクスの両親が、未だフェリクスが都会で他の女性と結婚したくなる可能性があると、踏み切れずにいるからだ。
政略結婚に縁がない呑気な実家だから、親の都合で決めてしまわずに、フェリクスにのびのびとした人生を送ってほしいらしい。
ありがたい親である。
だがフェリクスの恋心には、一切気付いていないらしい。
(俺としては、結婚してもいいんだけど。好きな娘と、ずっと一緒に居られるし。ただ、一生片思い状態のままかと思うと、どうにも踏ん切りが……)
フェリクスがアンネマリーを好きになって、既に九年。
もう人生の半分以上を、一人の人間への片思いに費やしていることになる。
別に後悔はしていないが、いかんせんアホすぎる。
フェリクスは考える。
アンネマリーがこの結婚話を知ったとしても、「ふーん? 知ってる人だし、年も近いしラッキー」くらいのものだろう。(←合ってる)
別にフェリクスがアンネマリーと結婚し、恋心を墓まで持って行ったところで、誰もフェリクスを咎めやしないのだが。
(ちょっと疲れるかな)
なるべく早く玉砕してしまうのがお互いのためだろうと、フェリクスには分かっている。
(それこそ、このタイミングとか)
アンネマリーはまだ怪訝そうな顔で、餃子を包んでいる。
澄んだ緑色の大きな瞳が、こちらを見ている。
――今すぐ、振られるには。
「ちょっと楽しすぎるんだよな……」
「う、うちの両親と居るのが?」
「あー、ご両親? 扱いやすい方だよね。何をアンネちゃんは、そんなに苦戦してるの?」
「いつか誰かに嫌われますよ……」
呆れるアンネマリーを観察しつつ、フェリクスは考える。
以上をもちまして番外編の完結となります。
今作は次にどんな行動に出るか、秒で分かるキャラクターしか来なかったので、人生で一番悩まず書けました。
しかし、投稿することを見送った数々の長編含め、私の作品の主人公たちが皆変態なのは、どうしたことでしょう。
精魂込めて共に走り抜けた小説たちが、全員変態であることに気づいてしまった事実は私を苦しめますが、私は私のもとに来てくれたキャラクター達が、一番可愛くて綺麗な角度を描写することに努めたまでであり、決して変態を書こうとしたわけではない以上、きっと誰も悪くないのです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




