〈閑話〉 魔術史科の研究者三名、解明する(ヒルデベルトの場合)
ここはヒルデベルト没後、数百年の世界。
とある巨大な研究機関の魔術史科の研究室の片隅。
「――大変だ、オレは大変なものを、見つけてしまった!」
一人の研究者が、本を読みながら夜食を食べている、もう二人の研究者に向かって怒鳴りながら、古い古い書物を机の上に置いた。
この三人は同期であり、あらゆる歴史を切り開くことを嘱望される、世界でも有数の研究者だ。
「お前たち、ヒルデベルトと言えば、分かるよな?」
二人の研究者は、口に入れた食べ物を飲み込んだ後、口々に語りだした。
「あまたの書物で言及される、国一――へたすりゃ、世界史上唯一の魔術師。だがその実態は謎に包まれており、彼の世ですら、とうとうヒルデベルトの魔術は、一般人に分かるよう理論化されることがなかった」
「ヒルデベルト研究というジャンルだけで、数多くの研究者達が食っていける現状。かなり前から、その膨大過ぎる研究量から、『ヒルデベルトとは個人でなく、一つの優れた団体である』という説が主流になっている。まぁ、ヒルデベルトを一人の人間と捉えるのは、あまりに前近代的で、ナンセンスだよな」
「ヒルデベルトが書いたと言われる論文は全て、魔術学用語の説明に乏しく、自身の造語の説明にも乏しく、引用の説明が雑で、主語が抜けていて、文法も子供レベルで、すべてを暗号文だと捉えたうえでも、めちゃくちゃ読みづらい」
「結局、何のための暗号だったのか――まだ断言はできないが、五十年前に世論をかっさらった、ヒルデベルトと宮廷学校が敵対していて、ヒルデベルトは宮廷学校から学問を守るために、論文を全て暗号化していたというのが、一番説得力がある」
一人目の研究者が、声を低くして言った。
「では、コルネリアは?」
「コルネリア……魔術団体ヒルデベルトが発生した時期から十九年後、突如『ヒルデベルトの想い人・恋人』あるいは『ヒルデベルトの妻』として、コルネリアなる人物が、記述に現れるようになった」
「論文に使用される暗号文は、ヒルデベルトとは明らかに毛色が違うものの、魔術学用語の説明に乏しく、造語の説明にも乏しく、引用の説明が雑で、主語が抜けていて、文法も子供レベルで、すべてを暗号文だと捉えたうえでも、めちゃくちゃ読みづらいなどの点において、共通項が見出せる」
「コルネリアに関する記録と、膨大な論文量から察するに、コルネリアもやはり、団体を指す言葉なのだ。そして、コルネリアとヒルデベルトの研究内容のうざったい程のリンクは、やはりコルネリアとヒルデベルトが、何らかの密接な関係にあったことを示唆する」
「しかしコルネリアの正体についての議論はとりとめがなく、『コルネリアはヒルデベルトの下位組織である』『逆にコルネリアはヒルデベルトの上位組織である』『コルネリアはヒルデベルトが発足する前に存在した組織で、言わば前任である』『いやいや、コルネリアはヒルデベルトの内部に存在した、先鋭組織である』などが有力……僕も、少なくともコルネリアという組織は、ヒルデベルトを母体として存在したのではないかと考えている」
語り終えたところで、二人は疑問を投じる。
「で、何を発見したんだ」
「いつも君は勿体ぶるなぁ」
「いや、実はオレも信じがたいんだ。君たちの話を聞いて、心を落ち着けている」
一人目の研究者は呼吸を整えると、古書を机の中央に置いた。
「君、何だ、これは」
「見ての通り、『ヒルデベルトとコルネリアの交換日記』だ」
二人の研究者は、勢いよく椅子から立ち上がった。
「まさか、君も昔の研究者みたく、『ヒルデベルトとコルネリアはどちらも一人の人間で、夫婦である』という論を信じているのか。大分無理があるぞ」
「つまり、これはヒルデベルトとコルネリアを、恋仲と仮定した文書なのか? 空想による物語作品の間違いじゃないのか?」
「まぁ、落ち着いてくれ。読めば分かる」
二人は恐る恐る古書に手を出すと、食い入るように読み出し、やがてうめき声をあげる。
「この、魔術学用語の説明の乏しさ、造語の説明の乏しさ、引用の雑すぎる説明、致命的な主語の欠如、子供レベルの文法……」
「おそらく……本物だ」
「まぁ、オレだってまさか、ヒルデベルトとコルネリアが単一の個人だなんて、そんな空想に基づいた議論をする気はないさ」
一人目の研究者は、小柄な背を伸ばして見せた。
「だが、ヒルデベルトの組員とコルネリアの組員が、交互に書いた文書なんて――おそらく史上初の発見だ。世界の常識を揺るがすことに、なるかもしれない」
「んで? もちろん、暗号文は解読したんだよな」
「早く内容を要約してくれ」
「それが全っ然、解読できていないのだ」
「何故その段階で持ってきた」
「実は多忙な君たちに、解読を手伝ってほしいと思って。後生だから」
そう言われた二人の研究者たちは、鼻で笑いながら、椅子の背にもたれかかる。
「おいおい、同期の友達だからってだけで、まさか俺たちを、世紀の大発見に関わらせてくれるとでも?」
「僕も、まさか同期の友達だからって、ちょっと依怙贔屓的すぎるんじゃないかと感じたよ」
一人目の研究者は指を組んで、ほほ笑んだ。
「まさか。オレは友達だという以上に、君たちを一人の研究者として、信頼しているのさ」
二人の研究者たちは、くっくっと笑って見せた。
「そんな言葉を聞いてしまえば……」
「やらざるを得ない~」
三ヶ月が経過した。
「死ぬかと思った……」
「さすがに全文理解はできなかったが」
「大筋はつかめたぞ」
「あと、これ第二巻なんだね。何冊あるっていうんだ」
三人は机の上に古書を置くと、しみじみと言う。
「しかし、交換日記と言う体を取っているからには、恋愛的描写が多くを占めるのかと思えば……」
「清々しいほど魔術の話しかしていないな」
「あと、暗号が複雑化されている。世に出されている論文より、更に更に読みづらい」
「本当に。交換日記だから、他人の読みやすさとか、一切考えずに執筆したのではないかとか、誰もが一瞬頭によぎるだろうが」
「あんな団体に属する天才たちが、こんな初歩的な文法ミスするわけが……」
「無いからなぁ……」
三人は古書を眺めつつ、唸りながら腕を組む。
「だが、この暗号の複雑さこそが、ヒントだ」
「ヒルデベルトとコルネリアが、より複雑な暗号でなければ、やり取りできない理由は、一つしか考えられない」
「――ヒルデベルトとコルネリアは、敵対組織だ」
「ヒルデベルトとコルネリアの暗号文は、少なくとも互いを強く意識して作られたもの。もしかしたら、互いに情報を抜き取られないために暗号を拵えたのが、そもそもの始まりなのかもしれない」
「宮廷学校、ヒルデベルト、コルネリアの三すくみ状態というわけだ」
「魔術研究の三国志……」
「怖すぎる」
三人の研究者たちは、机に突っ伏した。
すっかりオーバーヒートした額を、冷たい板面で冷やしている。
「さらに、この文書が残っているということは」
「ヒルデベルト内部とコルネリア内部に、おそらく交流による魔術研究の向上を、狙っていた人間がいるんだ」
「この文書にしか内容が残っていないものがある、ということは」
「おそらく内通者たちは殺されたが」
「それでも、少なくとも二冊以上の書物になるほどの情報を、やり取りしたんだ」
「すべては」
「魔術のために」
三人の研究者たちは、むくりと起き上がると、もう一度机に突っ伏した。
「なんて恐ろしい時代だ……今、かなり自由に学問ができて、しかも誰にも殺されない環境で研究ができる俺からは、もう想像すら絶するよ」
「もし、オレがそんな時代に生まれていたら、どうしたかな」
「僕だったら生き残れないよぉ」
「そして、命を懸けて研究していたというのに、ほとんどの文書は理解されず、保存すら危うく」
「残されたのが、この暗号で出来た論文だけだもんな……」
机の上には、古書が静かに鎮座している。
一人目の研究者が、表紙を中指で撫でた。
「でも、少なくともこの本は、残ったんだよな」
そして、三人は深く頷いた。
「オレも、もう少し頑張ってみるよ」
「――みたいなことが未来で起こったら、困るでしょうが! ヒルデさんは、まずその稚拙すぎる文法を、なんとかしてください。俺にまで、お叱りが来るようになったんですよ」
フェリクスがヒルデベルトの論文集をばんばんと叩く。
ヒルデベルトはだるそうに机の上に突っ伏したまま、答える。
「え~? 別にどうでもよくない?」
「よくないです! コルネリア嬢にも、ちゃんと伝えてくださいよ」
フェリクスは机に手をついたまま、一括した。
「後世の研究者たちが、可哀そうだと思わないんですか!」




