終. アポロニアは三姉妹のお母様なので
暗い話になります。
軽快なギャグをお求めの方はご注意ください。
違和感には、気づいていた。
見ないふりをしたのは、信じたくなかったからだ。
国を――亡きエアハルト王太子が守ろうとした国を、救った人に嫁いだのだと――自分は今こそ、国を支える一端を担っているのだと、信じたかったから。
「自分が何をしたか、分かっておるのか。お前は、アメルン家の秘術を――宝を、外部の人間達に、全部与えてしまうところだったのだぞ」
義父の声が聞こえる。
「ああ、秘術、宝。そうですね、僕はその宝とやらのために、人生の全てを捧げなければならなかった」
夫の声が聞こえる。
「当然だ。アメルン家は、この秘術を守るために存続している」
「狂ってる。もともと、人のための術なんだ。自分のために使ったって良いはずだ。アメルン家嫡男である僕なら、なおのこと」
「だからといって、お前――国を滅ぼしかけるなど」
アポロニアは廊下に立っていた。
目の前のドアの向こうから、激しい口論が聞こえてくる。
今にもドアノブを回して怒鳴り込みたいのに、手が震えて動かない。
また、それが得策でないことにも気付いていた。
アポロニアの視界一杯に、走馬灯のように、とある景色が映る。
薔薇園の小さなテラスで、安楽椅子に腰かけたエアハルト王太子が笑っている。
隣の地べたに座り込んで何かを書いているのは、アポロニアの兄、ヒルデベルト。
友人のギルベルトにフェリクス。
どろどろと視界が血の色に濁っていく。
殺された。
皆殺された。
目の端で、手ががたがたと震えている。
陰謀。
とんでもない人に嫁いでしまった。
大災害はアメルン家によるもの?
そう考えれば、あらゆる理解不能なピースが、物凄い勢いでつながっていく。
夫が、国を滅ぼしかけた元凶?
兄と、慕っていた方の仇?
ならば、裁きを受けさせねば。
すぐにでも真実を日のもとにして、国を救わねば。
何故なら、アポロニアはアポロニア・アードルングだからだ。
アードルング公爵家の娘として、ただそのために育てられた。
――でも、でも、でも。
できない。できない。
いえ、やらねば。
でも、だって。
お腹には、三人目の子が。
***
「でちゅから、おねえたま。おうじたまと、となりのくにのおうじたまは、あいしあっているんです」
「なにを言うのよ、アン。どう考えたって、あいしあっているのは――」
「ディア姉ちゃん、なに言ってるのさ。ぜえったいに、あいしあっているのは――」
ゆりかごの周りに、伝い歩きをしていった幼い娘たちが、なんか言ってる。
アポロニアは卒倒した。
***
資料を集めれば集めるほど、アメルン家の起こしたことが明らかになっていく。
自室の書き物机の前で、アポロニアは前髪を掻きむしった。
確信は持った。
だが、正式に訴えるには証拠が足りない。
実家に助けを求めるにも、嫁いだ時点で、全ての連絡に夫の目が通されると決められている。
――本来なら目を通すのは義母の予定だった。
しかしあの日、夫と義父の口論を聞いてから、義両親を一度も見ていない。
それらしい言い訳は聞いているが……
アポロニアは唇を嚙み締めた。
慎重にいかなければ。
気付かれてしまえば、いくらアードルング家の目があるとはいえ、自分の命も危ない。
その時、扉から軽やかなノックの音が聞こえた。
バッと机の上に積み重ねた資料を隠し、平然とした顔で「どうぞ」と言う。
扉が小さな音を立てて開き、顔を真っ赤に上気させた、三人の娘たちが入ってきた。
「お母様、お誕生日、おめでとうございます」
「ひどいわ、アン。みんなで言う予定だったでしょう!」
「お母様、これ誕生日プレゼント」
「ああ、ちょっと、ネリまで。ひどいわ。お母様、それわたくしも作ったのよ、本当よ」
顔いっぱいに笑顔を浮かべて駆け寄ってくるアンとネリに、きぃきぃと文句を言いながらディアも続く。
「誕生日……ああ、そうか、誕生日……」
アポロニアは目を見開いて、カレンダーを確認する。
確かに、その日はアポロニアの誕生日であった。
「お母様、あの、わたくしは詩を書いたの。お母様に感謝を伝えたくて」
ディアが照れ臭そうに俯いて言う。
「素敵ね。この似顔絵は?」
「私です、お母様」
アンが嬉しそうに言った。
「お母様を描いたんですよ」
「これも素敵だわ。……えっと、この、石と布で出来たものは……」
「ドレスだよ、お母様」
ネリが親指を立てた。
「お母様に着てもらいたいと思って」
「えっと、善処するわ……いえ、そうね。全部飾っておくわ。ディア、ネリ、アン。ありがとう」
アポロニアが言うと、三人はさらに顔を赤くしてにこにこ笑い、そして目を合わせて示し合わせると、一斉に叫ぶ。
「お母様、大好き!」
アポロニアは思わず頬を緩めると、三人の頭を撫でる。
「ありがとう。どのプレゼントも、とっても嬉しいわ」
三人はぱっと顔を輝かせると、アポロニアに抱き着く。
「お母様、この絵を飾ってくれたところが、見たいです」
「お母様、私もお母様がこのドレス着たところ、見たいよ」
「そ、それはちょっと……」
「お母様、わたくしも――あ。それ、新しいご本かしら?」
ディアがふと顔を上げると、アポロニアの机の前に駆け寄り、隠しておいた資料を引っ張り出す。
「駄目!」
思わず大きな声が出た。
びくりと、子供たちが肩を揺らす。
六つの丸い目が、きょどきょどとこちらを窺う。
怖がらせてしまった。
自分がもっと、慎重に隠さなければならなかっただけなのに。
悔いながらも、アポロニアは努めて平静を装って言う。
「ごめんなさい。お母様はね、疲れているの。今日はもう休ませて頂戴」
三人は顔を見合わせると、素直に引き下がる。
「わかったわ」
「お母様、おやすみなさい」
そして、三人が去ったあと扉が閉じるのを見届けて、アポロニアは床に膝をついた。
そう、知ったら殺される可能性がある。
三人の子供たちだって同じだ。
アポロニアはディアから取り上げた資料を机の上に並べ直し、作業を再開する。
子供たちを安全になった国へ、手をつないで連れて行くのだ。
***
三姉妹が覚えたての古代魔術語で、下町を恐怖の殿方同士ラブ地獄に染め上げたことをきっかけに、アポロニアは密かに下町に降りて、証人を集めた。
証拠集めは順調だ。
実家と連絡を取り合う方法だけが難点だが、上手くいけば当てができる。
――だが、ミスを犯したかもしれない。
アポロニアと娘たちは別宅に移された。
三姉妹は新しい愛人のせいだと、激怒していた。
しかし実際の理由は、おそらく――
アポロニアは、震える手で作業を続ける。
別宅に移されたのは、別の意味で捉えれば、自由が増えたということだ。
証拠集めも、連絡手段の確保もしやすくなる。
だが――
「お姉さま、ずるいです! 私も楽器欲しい!」
「おーっほっほっほ、長女特権よ。ピアノは一番簡単に音が出るから、わたくしのもの」
「じゃあ、フルートは私がもらっちゃおうかなー。響きにセクシーを感じる」
「ひどーい! ネリお姉さままで」
そして物凄い騒音が隣の壁から響き、アポロニアは思わず頭を抱える。
何と、この別邸において、アポロニアの寝室と音楽室は隣り合っているのである。
こんな設計に誰がした。
「楽譜って、どう読むのかしら」
「音の出し方、わかんないな」
「仕方ない、私は歌いますか」
そして、相変わらずひどい音色が流れ続ける。
アポロニアはくすりと笑った。
アポロニアはピアノもフルートも声楽も、かじる程度には学んでいる。
少し教えてあげようか。
――しかし、すぐにアポロニアは首を振り、作業を再開する。
すぐにでも、そう、すぐにでも、アメルン侯爵に罪を償わせねば。
三人の子供たちに、安全な居場所を与えねば。
楽器なんて、終わった後にいくらでも教えてあげられる。
……ああ、でも、そうだ。
全て終わったら。
国も何もかも放り出して、アポロニアと娘達、四人で静かに暮らそうか。
***
ようやく証拠が揃いつつある。
あとはアードルング領に逃亡する手立てを考えるだけである。
ようやく三人の娘たちに、これまでのことを説明する日が来たのだ。
彼女たちは父親がしたことについて、受け入れてくれるのだろうか。
アポロニアの味方になってくれるだろうか。
もし、拒絶されたら――
胸がきりきり痛むほど気をもみながら、アポロニアは朝のうちに出かけた三人の娘達を待っていた。
昼になった。
またどこかで悪さをしているのではないかと心配する。
夜になった。
怪我をしているのではないかと、ぐるぐる部屋の中を廻る。
深夜になって別邸に夫が訪ねてきた時、アポロニアはようやく理解した。
「娘たちはどこですか」
「本邸の部屋にいる。ぎゃあぎゃあ騒ぐわ、扉に体当たりをするわ、ひどくうるさい。どういう教育をしているのかね」
「あの子たちを出してください」
「もちろん出すさ。あんな出来損ないたちを、いつまでも家に置いておけない。すぐにでも出すさ、君がこれを飲めば」
そう言うと、アメルン侯爵は懐から赤色の小瓶を取り出して、机の上に置く。
「毒ですか」
「すぐに死ねるものを用意した。感謝して、僕がいるうちに飲みなさい」
「一人で死ぬことすら、許してもらえないのかしら」
「馬鹿な。お前に逃げ出されるわけにはいかない」
アメルン侯爵は古いソファーにどかりと座る。
本当に動く気はないらしい。
アポロニアは小瓶を手に取り、見つめる。
赤いガラスの表面が部屋の灯りを反射して、ちらちらと輝く。
これで本当に終わりだ。
国は亡びる。
おそらくアメルン家も、長くは続かないだろう。
「紙を頂いてもよろしいでしょうか。娘たちに手紙を遺したいので」
「冗談も休み休み言いたまえ。そんなもの、何を仕込まれるか分かったものじゃない」
「そうですか」
アポロニアはアメルン侯爵を見据えると、一息に言った。
「子供たちに……アンと、ネリと、ディアに、生きて――生きて幸せになってと、伝えてください」
そして小瓶の中身を、吐き出しそうになる喉を叱咤して、無理やり飲み込む。
症状はすぐに出た。
体中を引き裂かれるような痛み。
喉を何かがせりあがってくると思ったら、笑ってしまうほど真っ赤な血を吐いた。
アポロニアは椅子を倒しながら、仰向けに倒れる。
いや、仰向けに倒れたのかどうかすら、分からない。
最後に目に見えたのは、床に広がる血だけだ。
痛い。
苦しい。
目の前を誰かの顔が走る。
これが走馬灯というものか、と場違いに頭の一部が考える。
あれはエアハルト様。
あれはヒルデお兄様。
ギルベルト様にフェリクス様。
薔薇園のテラスで笑っている。
みんな死んだ。
みんな殺された。
頬に痛みを感じた記憶。
これは真っ赤な顔をした夫に、殴られた時だ。
床に倒れ込んだその時、アンが、小さなアンが、泣きながら父親めがけて走っていく。
待って、行かないで。
あなたたちは行っちゃ駄目。
抱き寄せたいのに、手が届かない。
どれだけ腕を伸ばしても、今にも蹴り飛ばされそうなアンに、手が、届かない。
痛い。
誰もわたくしのことを助けてくれなかった。
熱い。
あの子たちのことも、誰も助けてくれないの?
痛い。
そんなことは許さない。
誰だって、何を差し置いても、幸せにならなければいけないの。
あの子たちが幸せにならないなんて、絶対に許してはいけないことなの。
わたくしはちゃんとやれていたかしら。
ちょっと変わった趣味があっても、誰にも虐められずに、好きなことを大切にするやり方を、教えられていたかしら。
あんな父親を持っていても、三人で生き延びる方法を、教えられていたかしら。
どうやって幸せになるか、教えられていたかしら。
わたくしの分まで。
いいえ、いいえ、わたくしの事なんてどうでもいいの。
幸せになって。
ただ、あなたたちのままで、幸せになって。
見覚えのない巨大な魔法陣が、どこかの部屋の床に描かれている。
三人の同じ赤毛の娘たちは、一人一人鮮やかな血で名前を書き込んでいく。
駄目!
やめて!
「そんなことをしてほしかったわけじゃない!」
ただ、
しあわせになってほしかったのよ
ほんとうに
それだけだったのに
まって、いかないで
全ては遠ざかる。
視界には、最早光も闇も映らない。
視界という、確かに存在していたものすら、加速度的に曖昧になって行く。
――あれ?
わたくしは、まだあの子たちに、大好きって言ってない。
これにて本編の完結となります。
生きる権利を見失い、とうとう自力で消滅してしまった女の子達が、大好きなお母さんといられる未来を書きたくて書きました。
彼女たちの奮闘により、幸せになる人々は確かにいます。
しかし、存在を代償として時空を巻き戻す巨大な魔法陣は、必ず消えずにどこかで存在し続けることも、確かなのです。
この後、番外編を投稿いたしますので、そちらもご覧いただけたら幸いです。
オールギャグなので、ご安心頂けたらと思います。




