28. 紅茶、音楽、絶望
三日後、アンネマリーとクラウディアは、ファーナー男爵邸の塔の上、コルネリアの居室を訪れていた。
汚かったコルネリアの部屋は比較的片付けられ、今は優雅な音楽と紅茶の香りで満たされている。
クラウディアは、何故か部屋に置いてあったアップライトピアノを陣取り、難曲とされる楽譜を見事に奏でている。
隣に立つコルネリアの楽器は、フルートだ。
クラウディアのピアノにそん色ない、鳥の声のように軽やかな音色を吹き上げる。
アンネマリーは鈴を転がすような美しい声で、二人の伴奏に合わせて高らかに歌う。
ファーナー男爵はメイドの淹れた紅茶を飲みながら、思わずこぼれた涙を指でぬぐった。
三人の演奏が見事であるのも理由の一つだが、それだけではない。
「図書室の君」と呼ばれる、秀才のクラウディア。
「貞淑のブッケル家長女」の名で知られる、人格者のアンネマリー。
こんなにも素晴らしい友人が二人もできて、しかもコルネリアの部屋で、共に演奏を楽しむほど仲良くなっている。
見よ、コルネリアの楽しそうな顔を。
お父さんなんて、コルネリアがフルートを吹けることも、知らなかったというのに。
「ネリ姉さま、ディア姉さま。次は何の曲にしましょう」
演奏を終えたアンネマリーが声を上げる。
ファーナー男爵は思わず、うっと目頭を手で覆った。
既にお互いに愛称をつけて、姉や妹と呼び合う仲らしい。
長年の心配事が一度に解決し、ファーナー男爵は非常に満ち足りた気分である。
「それより、一旦休憩にして、井戸水でも飲もうよ。話したかったこともあるし」
コルネリアの言葉に、クラウディアは微笑んで頷いた。
ファーナー男爵が口を開く。
「コルネリア。お客様に井戸水は駄目だ、井戸水は。メイドさんに温かいお茶を置いて行ってもらうから、それを飲みなさい。父さんは邪魔をしないように戻るよ。アンネマリーさん、クラウディアさん……コルネリア。素晴らしい演奏をありがとう」
「とんでもないことです」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう、お父様」
ファーナー男爵は照れ臭そうに、頭を軽く下げながら、メイドと共にそそくさと部屋を出ていった。
三人は部屋の中央に置いてあったテーブルに座ると、無言でティーセットを分け合った。
「さて……」
アンネマリーとコルネリアは、一瞬目を合わせると、わっとその場で泣き伏した。
《サラン号探検記の船長と一等航海士が尊い――》
《無理あまりにも切ない、最高ですこの曲――》
説明しよう。
この三人は、各々の殿方同士ラブで作り上げた妄想のカップルと、それに何ら関係のない楽曲を勝手に重ねて、物語と音楽の相乗効果で、さらに妄想をはかどらせているのである。
とにかく尊くて素晴らしいので、三人はこのような妄想に使用する曲のことを、「伽羅尊伽羅尊」と呼んでいる。
一通りぎゃんぎゃん泣いたアンネマリーは、鼻をすすりながら話し始めた。
「じゃあ、近況報告に移りますね。フェリクスさんから聞いた情報を、開示します」
ヒルデベルトを交えた宮廷魔術師たちの検討により、大広間の魔法陣には、火竜を半永久的に封印する効果があると分かった。
ただし、魔法陣のほんの一部でも破損すれば、何が起こるかわからない。
すぐに魔法陣は強力に保護されることとなった。
学園長のたっての希望により、それは魔術や科学技術によって強化されたガラスで、覆われることになった。
床の魔法陣が直に見えるようになったので、宮廷学校の魔術科の生徒たちは、こぞって大広間に集まり研究を進めた。
またこれは随分のちの話であるが、新入生のための学校案内では、必ずこの魔法陣と、聡明で機智に富んだ令嬢、コルネリア・ファーナーの説明が行われるという伝統が出来上がった。
これにより、女性の学習への参加率がちょびっと上がったとか、上がらなかったとか。
「じゃあ、それに合わせて私も近況を報告するよ」
コルネリアも話し出した。
コルネリアには、宮廷学校入学を促す推薦状が届いた。
ヒルデベルトに続き、アンネマリーとクラウディアという友達がコルネリアにできたうえに、名高い宮廷学校にまで通わせられるなんて、とファーナー男爵は狂喜乱舞した。
「お前には素晴らしい才能があったんだな、コルネリア! 火竜をも封印する力を持って、国中で活躍することになるかもしれないぞ」
「お父様、分かっているでしょう。私、萌え以外には全く頭が働かないよ」
「そうだった。お前はコルネリアだったな。そうだった、そうだった」
これはのちにわかる話だが、言葉通り、入学したコルネリアの学習態度は非常に残念であった。
インスピレーションが湧けば授業を欠席するし、基礎的な問題すら解けない。
かと思えば、一+一のような簡単な問題を、最新の論文や、まだ発見されていない理論すら使って、無駄に複雑にした答案が提出された。
ある意味で、コルネリアは教授たちの記憶に残る鬼才となることになる。
そこまで話した後、一息ついて、アンネマリーとコルネリアは紅茶を口にした。
そして恐る恐る、クラウディアを見た。
「あの……ディア姉さん、何かあった?」
ようやくコルネリアがそう聞いた。
「何かって? 何もなくってよ」
口の達者なクラウディアが、今日初めて口をきいた。
「いや、今日来た時から、様子が尋常じゃないですよ。何かあったんですよね」
アンネマリーの言葉に、クラウディアは「何もないわ」と微笑む。
そう、この部屋に来た時から、クラウディアは顔面に微笑みを貼り付けて、微動だにしない。
そして今も、クラウディアは微笑んだまま、何も入っていないストレートティーを、ひたすらティースプーンでかき混ぜている。
「……ギルベルト様関連でしょう」
アンネマリーの言葉に、ようやくクラウディアはすっと表情を消した。
そして、どろんとした闇を湛えたような眼で二人を見ると、語り出した。
――クラウディアの腐った趣味が、ギルベルトにばれた。
一日前、ギルベルトはクラウディアの部屋を訪れた。
ギルベルトは、クラウディアとフェリクスの関係を聞きたかったらしい。
「仲良くはない」とフェリクスは言ったようだが、来世の記憶とやらを共有したり、大事な通信機を渡してしまったり、クラウディアは最近よくフェリクスとつるんでいる。
ギルベルトは何故かそのことが、やたらと不安だったのだ。
「義姉さん、お話があるのですが」
そう言って、ギルベルトは部屋の扉をノックした。
返答はない。
ギルベルトは怪訝に思った。
確かに部屋の中から、人の気配がするのだ。
ギルベルトはもう一度ノックする。
だが、返事はない。
ギルベルトは急速に心配しだした。
まさか賊が忍び込んでいるのか。
いや、その割には物音はしない。
だが、どんなに本に熱中していても、クラウディアはノックの音を無視したりしない。
賊でなくても、体調が悪くて倒れているのかもしれない。
そもそも、先日あんなことがあったばかりである。
優しいクラウディアは、心を病んでしまっていたとしても、おかしくないのだ。
「義姉さん、入りますよ」
言いながら、ギルベルトは部屋に入った。
見ると、クラウディアが机に突っ伏している。
ギルベルトは青ざめて近寄り、クラウディアの肩をつかんだ。
「義姉さん、どうしたんです」
「えっ、ギル? 何故ここに、まさか原稿が具現化――いやいやいや見ちゃ駄目ええええ――――!」
クラウディアが机の上の原稿を隠す前に、動体視力の高いギルベルトは見てしまった。
――ざっくり言えば、どこかの国の王子と、ギルベルトをモデルにした登場人物の春書であった。
それは、想像し得る限り最悪のバレ方であった。




