27. 再会(3)
「すぐに救護班、回してください! ご令嬢が、アポロニア様が重症です!」
侍従の叫び声に、三人は硬直した。
すぐに声のした方を振り向いたはずなのに、アポロニアの姿を見るまで時間がかかった。
三人の脳裏に映っていたのは、同じ光景だった。
床の上に死んでいる母親。
青ざめた肌に、こけた頬、苦悶の表情。
差し伸べられた手は、誰かに助けを求めるかのように見えた。
あの日――母親が死ぬ日の朝のことだ。
父親から手紙が来た。
これまでの扱いを謝罪する旨。
愛人を全て追い出して、今度こそ母親を正妻として、三姉妹を正式な娘としてふさわしく扱うと。
母親に内緒で準備をするから、黙って屋敷に来てほしいと。
三姉妹は、手紙を口汚くののしった。
今更、母親の苦労に気づくなんて馬鹿じゃないのか。
こんな文章じゃ、反省だって深くないに違いない。
それでも、顔は笑っていた。
やっと母親が幸せに暮らせると思ったのだ。
父親が――自分たちのことを、ちゃんと見てくれたと思ったのだ。
あの一回だけ、三姉妹はうっかり父親のことを信じてしまった。
結果はこの通り、想像し得る限り一番悲惨なものである。
面白いほどあっけなく部屋に閉じ込められ、ようやく出してもらえたと思ったら、全部が終わった後だった!
母親は三姉妹を人質に取られて、毒を飲まされて死んでいた。
母親が死んだのは、どこからどう見ても、馬鹿で愚かな三姉妹のせいであった。
「……お母様は『令嬢の鑑』って、呼ばれていたんですって。誰より完璧だったって」
「来世」のディアが、死体を見ながら呟く。
そんなこと、言われなくても二人の妹は知っていた。
お母様は、誰よりも賢くて気高くて、優しい人だった。
鷹がとんびを産むって感じ!
こんな屋敷でやせ細りながら、死んでいい人じゃなかった。
あんな愛人たちに殺されていい人じゃなかった。
あんな男に殺されていい人じゃなかった。
こんな三姉妹に殺されていい人じゃなかった。
お母様は――
アポロニアは担架の上に横たわり、か細い呼吸をしている。
赤い髪はべっとりと血で張り付き、クリーム色のドレスにも、みるみる赤い色が広がりつつある。
「どういうことなんですか。アポロニア様は、とっくに避難してるのでは」
アンネマリーの言葉に、侍従が返す。
「ずっとここで、私たちに混ざって、避難誘導をしていたんです。火竜がここに突入してきた時、大量のがれきが落ちて来たでしょう。逃げ遅れた子供をかばって――」
クラウディアは目を見開いて瞬きも忘れ、やがて紫色になった唇で言う。
「わ、わたくしのせいだわ。わたくしがいるって聞いたから、普段は来ない騎士団合同演習会に来たって、言ってらしたもの。わたくしがいなければ……」
「今はそんなこと、言っている場合ですか!」
アンネマリーが言い返したが、眼鏡の奥の目は乾ききって、声も震えていた。
「私たちに、私たちにできることをしなければ。そうでないと、このままじゃ――」
「できることなんて、あるの」
コルネリアが真っ白な顔をして呟く。
「私達、医療の知識なんてない。何の経験もない。足手まといだよ。すぐにここをどかなきゃ」
口々にばらばらなことを言いながら、三人の心は一つだった。
――黒魔術なんて使わなければ、アポロニアは大怪我をしなかった。
三人はいつだって、アポロニアにとっての害悪だ。
こうしている間にも、瀕死の少女の呼吸は浅くなっていく。
「――アポロニア!」
その時、ヒルデベルトが叫びながら走り寄り、三人を押しのけると、魔法の杖をアポロニアにかざしながら、早口で詠唱を始めた。
やがて、アポロニアの体はヒルデベルトの魔力で包まれた。
傷口はみるみるうちにふさがり、か細い呼吸音はすうすうと柔らかな寝息に変わっていった。
「……ニア、ドレスの汚れは取ってられないけど、今はこれで勘弁してよね」
ヒルデベルトは口の中で呟く。
唖然としている三人組に向かって、ヒルデベルトは苦笑した。
「何? 僕、これでも宮廷魔術師だよ。治癒魔術くらい使えなくて、どうするの」
コルネリアは、ぽかんとして、すっかり穏やかな顔になったアポロニアを見る。
そして、ヒルデベルトの顔を見て、またアポロニアを見る。
やがて、叫んだ。
「ヒルデさん、魔術って、本当に役に立つものなんですね!」
「古代魔術語かじっていますが、何をやったのか、全っ然分かりませんでした。宮廷魔術師って、すごいんですね」
アンネマリーが呟くと、いつの間にか隣に立っていたフェリクスが言う。
「現時点、治癒魔術の専門家が、全魔力を使い果たしてぶっ倒れ、爪三枚生やしたのが最高の事例。ちなみにその専門家の魔力量は、ヒルデさんより上」
「あっさり飛び越しましたけど……」
「ヒルデさんはたくさん論文書いてるけど、教え下手なのと、文章力が無さ過ぎて、誰一人理解できない。『ヒルデさんが使える以上、理論は存在するはず』と、魔術師たちは泣きながら、ヒルデさんの論文解読に励んでいる。ヒルデさんは魔術学において、天才と言うより、バグ」
フェリクスが広間の端を指さした。
「そしてあれが、今、ヒルデさんが『治癒魔法くらい使えて当然』と言ったから、泣いている宮廷魔術師の方々」
広間の端には、キラキラの宮廷魔術師のローブを着た人間たちが蹲っていた。
***
アポロニアは大広間に敷かれたマットの上で、ずっと眠り続けている。
辺りはすでに夜を越し、空は白み始めていた。
窓からは、今にも消えそうなほど薄い月が見える。
マットの横に座ったクラウディアが、ぽつりと言う。
「ねえ、あなた達の両親って、どんななの」
隣で眼鏡を拭き直していたアンネマリーが答える。
「私の両親は、本当に厳しい人達ですね。私がこうやって自己主張控えてないと、多分私のこと、家から追い出すくらいはする人たちです。……別に悪い人たちでは、ないんですけれど」
そこで、少しアンネマリーは息をついた。
「ディアお姉さまは? ツァールマン家、あまり良い噂を聞きませんけど」
「ええ。そのまんま、噂通りの両親よ。ギルベルトは知らないけれど、宮廷が正式に監査に入れば、最悪お家とり潰しの話が出そうなくらいの悪事はやってるわ」
「まさか」
「嘘だと思う?」
クラウディアがおどけて聞いてみせると、アンネマリーは黙った。
「まぁ、その前にわたくしが、家を乗っ取るつもりだけど」
「結構、すごい話を聞いてしまいました」
「内緒よ、内緒。ネリは?」
そこでかくんかくんと舟をこぎかけていたコルネリアが、はっと目を覚ました。
「私は、今の母は早くに家を出てったらしいから、顔も知らない。今のお父様はめっちゃいい人。大好き」
「良かったですね」
「大事にしなさいよ」
「うへへ」
まだ眠り続けるアポロニアを見ながら、クラウディアは言う。
「わたくしたちはもう、姉妹じゃない。でも、戦友だった記憶と、同じ趣味がある限り、きっといつでも元の関係に戻れるわ」
「……そうですね」
アンネマリーがうなずく。
「でも、アポロニアさんは、もうどうあがいても、わたくしたちのお母様ではないわ」
クラウディアの言葉が、静かな大広間の空気に溶けて消えた。
アンネマリーが膝に顔をうずめて言う。
「お姉さま。私、お母様はアポロニア様がいいです」
コルネリアがそっとアポロニアの髪を撫でる。
「そんなの、私もだよ。私も……でも、もう」
「お母様はお母様じゃない」
***
数十分後、アポロニアは目を覚ました。
アポロニアは自らの体に傷がないのを確認して、ほっと息をつく。
まさかあんなところで怪我をするとは思わなかったが、傷跡一つない様子から見るに、ヒルデベルトが治療してくれたらしい。
――これは、運が良かっただけだ。
自分の後先考えないところは、一番に直すべき短所である。
そう考えつつ、痛む背中をさすりながら起き上がると、アポロニアはそばに座っている三人の人影に気付いた。
アンネマリーにクラウディア、コルネリアだった。
アポロニアが寝ていたマットの隣で、床の上に膝を抱えて座りながら、ずっとアポロニアが目覚めるのを待っていたらしい。
三人ともかくん、かくんと頭を揺らしながら、お互いにもたれかかって眠っていた。
アポロニアはぽかんとして、その様子を眺めた。
アポロニアは、アンネマリーとクラウディアには嫌味を言ったことしかない。
コルネリアに至っては、言葉を交わしたことすらない。
それなのに、何なんだ、この人たちは。
まるでアポロニアが起きるのを、待っていたかのような様子ではないか。
「何をやっているのよ、あなた達」
空が、白みつつある。
もうすぐ朝が来る。




