22. アメルン伯との邂逅(4)
時は数刻、遡る。
懐剣を掴んで走り出したクラウディアは、駆け付けたギルベルトに羽交い絞めにされていた。
「痛い痛い結構痛い、ギブギブ――」
「義姉さん、何をしているんです」
「お願いよ、放して。アンが――」
「アンとは……アンネマリー嬢のことですか」
ギルベルトは目を細めて廊下の先を見ると、言った。
「大丈夫です。今、フェリクスさんが行きました」
クラウディアがはっとして見ると、今まさにフェリクスが、アメルン伯爵からアンネマリーを引きはがしたところだった。
アメルン伯爵は不機嫌さを隠そうともせず、足音を立てて階段を下りて行く。
しばらくすると、ギルベルトが言った。
「彼が、義姉さんの『来世』の父親で、間違いないですか」
「え……ギル、何故、あなたがそれを」
「フェリクスさんから聞きました」
クラウディアはその言葉をしばらく咀嚼して、理解した。
フェリクスが言っていた「信頼のおける奴ら」というのは、ギルベルトのことだったのだ。
ギルベルトはクラウディアの手に自らの手を添わせると、慣れた手つきでクラウディアの指を懐剣からほどく。
懐剣が音を立てて床に落ちた。
「淑女には不釣り合いですね。何故、こんなものを」
「お父様とお母様が、自害用にと、くださったの」
「あの人たちは、実の娘にまでそんなことを……」
ギルベルトは吐き出すように言うと、懐剣を蹴り飛ばし、クラウディアの前に立った。
「教えてください。何故あんなことをしようとしたのですか」
そこで、クラウディアはぽつりぽつりと、しかし洗いざらい白状した。
クラウディアが未来から逆転生してきたこと。
来世の父親と会ったアンネマリーを見て、怪我をした母親を重ねて、パニックに陥ったこと。
――もちろん、殿方同士ラブについての情報は含まれない。
「……事情は分かりました。しかし、アメルン伯爵はアポロニア嬢に、怪我をさせるどころか、まだ結婚もしていない。『来世』のアメルン伯は確かに非道ですが、今の彼は罪を犯してすらいません」
クラウディアは俯く。
ギルベルトは続ける。
「アンネマリー嬢のことも、アメルン伯爵は確かに、無理に連れて行こうとしていたようですが……道に迷っていたところを、助けようとしていた、話の行き違いだと言われてしまえば、もう何もできません。今この段階で彼を刺したところで、義姉さんが処罰されるだけです」
クラウディアの全身が総毛立った。
当然、クラウディアがアメルン伯爵を刺せば、それは罪に当たる。
クラウディアが罪を犯せば、もちろん余波はギルベルトにも及ぶ。
大事になったら、ギルベルトは良くて学園退学。
悪くて、国外追放である。
「ほ、本当にごめんなさ――」
「だから、一緒に考えましょう」
ギルベルトがしゃがみ、クラウディアに目線を合わせながら言った。
「今ここでは駄目です。どんな形で、どんなふうに行動を起こせば、幸せになれるか、考えましょう……その上で、義姉さんがどうしても殺したいなら、俺は協力します」
ギルベルトの瞳はいたって真剣だ。
クラウディアは口をぱくぱくとさせた。
「な、なんで、そこまで」
「俺が、義姉さんの剣になりたいからです」
ギルベルトはクラウディアをまっすぐ見据えて言った。
クラウディアはすーっと息を吸うと、目を閉じて、天を仰いだ。
何て姉想いの良い子なんだろう。
なんて真面目な頑張り屋さんなんだらう。
ところが残念ながら、努力の方向性を間違えている。
クラウディアはギルベルトの上に立つ器でも無ければ、ギルベルトの努力に報いてあげる能力すら無い。
それどころか普段は文句垂れのつまらない人間だし、挙句の果てに先ほどは怒りで思考を忘れ、危うくギルベルトに取り返しのつかない迷惑をかけるところだった。
――さらに言えば、さっきの台詞、攻めに言ってほしいとか考えている。
あなたの剣になりたい。
いいなぁ。
真面目なギルにピッタリだわ。
これをネタにして、わたくしは小説五十本かける。
恐ろしい殺し台詞を本人に言わせてしまったことで、クラウディアの脳には大量のインスピレーションが怒涛のように押し寄せ、情報過多の混乱状態が起きている。
「……義姉さん?」
怪訝そうなギルベルトの声に、慌てて我に返った。
まっすぐな赤色の前髪の隙間から、曇りなき灰色の瞳がのぞく。
こんなにも澄んだ目をした弟が、こちらを見ている。
――殿方同士ラブ、やめよかな。
クラウディアは穏やかな顔で錯乱した。
だって、こんなにも真剣な《受け》が、心から尊敬してくれているのである。
クラウディアがすべきことは魔道を突き進むことではなく、ギルベルトにふさわしいような、綺麗でかっこいいお姉さまを目指して、努力することなのではなかろうか。
――無理無理、姉さんには無理だよ。
頭に警鐘が鳴る。
背後にネリが立っていた。
目に見えたわけではない。
ただ、感じ取った。
ネリだけど、ネリではない。
赤い髪に黒い瞳の、記憶の底に眠っていた、クラウディアにとっての「妹のネリ」だ。
――姉さん、生まれた時から腐りたる令嬢じゃない。
逆転生しても、記憶がなくても、殿方殿方ラブに引き寄せられる羽虫が、今更人並みになろうなんて無理なこと。
(うるさいわね。頑張れば、何とかなるかもしれないじゃない)
心の中で未練たらしく言えば、くすくすと、笑い声が脳裏に響く。
――諦めなさい、お姉さま。
自分を偽ったって、何も良いことなんて起こりませんよ。
背後で憎たらしく笑うのは、赤い髪に黄色の瞳の、記憶の中の「妹のアン」。
――そうそう、姉さんは身分差が好きでしょう。
――あと意外と、王道の展開も好きですよね。身長差とか。
――ふふ、私たち三人の他に、殿方殿方ラブの愛好者はいないのに、王道って妙だね。これ如何に。
――諦めて、こちら側へいらっしゃいな。
(ああもう、うるさい、うるさい、うるさいのよ)
「義姉さん、大丈夫ですか。体調が悪いなら、医務室へ行きましょう」
ギルベルトは言いながら、自らの顎に手を当てた。
「いや、ヒルデさんがいるんだから、彼に見せた方が早いかもしれません。彼は治癒魔法も得意なんです」
クラウディアは顔を上げる。
「ヒルデさん?」
「はい。ヒルデベルト・アードルング。アードルング公爵家の次男です」
「ああ、国一番の魔術師の――」
その時、今度こそクラウディアの脳裏に、別種の警鐘が鳴った。
本当の危険を知らせるものだ。
「国一番の魔術師、ヒルデベルト・アードルング……?」
「どうかしましたか?」
「いえ、何かあったような気がする……ヒルデ……?」
クラウディアは記憶を手繰り寄せるために、立っていたその場でぐるぐると歩き回り始める。
「魔術師の、ヒルデベルト……騎士団合同演習会……」
「……義姉さん?」
「魔物」
クラウディアは飛び上がった。
顔から血の気が引いていく。
「大丈夫ですか、義姉さん。さっきから様子が、顔色も」
「ギル!」
クラウディアはギルベルトの肩につかみかかると、真っ青な顔で言った。
「ヒルデベルト様、亡くなるわ。今日」




