20. アメルン伯との邂逅(2)
宮廷学校には、演習会が行われる巨大な運動場があり、隣接して騎士科棟があり、さらにそれに並ぶように各学科の棟がある。
そして一番端にあるのは、新設された淑女科だ。
騎士団としての格が高い順から、運動場の近くの教室に待機できる。
必然的に、運動場から一番遠い淑女科には、騎士団の中でも弱いクラスの者たちが集っている。
フェリクスの狙い通りだった。
そのような騎士団には、得てして平和な田舎の、純朴な騎士たちが多い。
大きな騎士団の精鋭たちほど、体格が良すぎるわけでもなく、演習会で結果を残そうと気を張っているわけでもない。
どちらかと言えば、二年に一度の都会旅行といった雰囲気。
割となごやかで、和気あいあいとした空気が流れているのだ。
だから休憩時間、騎士たちはわちゃわちゃと戯れている。
やたら近い距離で話していたり、軽く取っ組み合いをして遊んでいたり、これはいちゃついていると言っても過言ではない。
毎年の習慣として、フェリクスは淑女科をこっそりと巡回する。
そしてそのような騎士たちの戯れを拝み、影から見守っている。
――今年もフェリクスはほっくほくで、淑女科巡回を達成した。
しかし、その時気づいた。
ギルベルトの試合の時間を忘れていた。
ギルベルトは自分の戦いを見られるのを好まない。
だが、フェリクスがそのことをからかうには、もってこいのネタなのである。
フェリクスは慌てて渡り廊下へ向かった。
近道だからだ。
そうしたら、彼女がいた。
アンネマリーとは、基本的にやたらと傷つきやすい人間である。
小言に傷つき、陰口に傷つき、嫌味に傷つく。
それはもう盛大に傷つく。
しかも一度傷ついたら、ダメージは治りにくい。
アンネマリーは一度心についた傷を、軽く一生持ち続けるような、ゴミレベルの治癒能力しか持っていない。
だから、彼女はいつも傷つかないよう、いつでも猛獣の横を歩き抜けるかのような慎重さでもって動く。
それが、「貞淑のブッケル伯爵家長女」と名高い理由だ。
一般的には、家の評判なんて「あのブッケル家の長女だというのに」というような、陰口で使われるためにある。
でも、彼女はどの面から見ても、完璧に貞淑である。
すべて、怖がりである由縁だ。
だがその反面、アンネマリーはここぞというときの決断力と行動力、そして考えなしっぷりが尋常じゃない。
彼女が何かをしようと思いついたなら、多分何も起こらないわけがないのである。
その過程で、傷つこうが、死のうが、彼女はおそらく気にしない。
まさに無謀である。
アンネマリーが、いじめっ子を変声機で追いかけまわした後のことだ。
アンネマリーはとどめを刺すべく、植木の陰で、屋敷から出て来るいじめっ子達を待ち構えている。
フェリクスは隣で、そこそこの恐怖をはらんだ眼で、アンネマリーを眺めていた。
(めちゃくちゃ、やばい奴だったじゃないか。俺と同じくらいの怖がりだと思ったから、仲良くなったのに)
変声機を握りしめて、アンネマリーは笑顔で屋敷の出口を見つめている。
(……違う。俺も相当な怖がりだけど、アンネちゃんはおそらく、俺以上の怖がりだ)
フェリクスは、笑顔のままずっと青ざめて、震えているアンネマリーに気づいた。
(馬鹿だなぁ。そんなに怖いなら、俺のことなんて放っておけばよかったのに)
アンネマリーはそんなに怖いにもかかわらず、「容姿のことでいじめられるのって、つらいですよね」と念押しするだけのために、いじめっ子たちのもとへ駆けていく。
うっかり「綺麗だな」とか、思ってしまったのが運の尽き。
彼女は多分、ずっと怖がり続けるし、ずっと傷つき続ける。
だがその上で、何かをしようと思うときがある。
そういう心を何と言うのか、幼い頃は知らなかった。
今なら「信念」と表現するだろう。
そんなアンネマリーが、動けなくなっていた。
フェリクスは基本的にただの怖がりだし、アンネマリーのように後先考えずには動けない。
だから、彼女が動けないときは、代わってフェリクスの出番というわけである。
***
アンネマリーの頭は、真っ白になったままだった。
腕にアメルン伯爵の指が食い込んで、離れないのだ。
アメルン伯爵はアンネマリーの反応などお構いなしに、どこかへ引きずって行こうとする。
逃げようと思う。
震えすぎて歯が鳴るほどの恐怖。
爆発してしまいそうなほどの嫌悪感。
なのに、体が全くいうことを聞かない。
掴まれている腕から胴体まで、すっかり冷え切ってしまっている。
――その時、両肩にどしっと温かい手が置かれた。
「アンネちゃーん、びっくりしたよ。気づいたら居ないんだもん。結構、探したんだよ」
振り向くと、フェリクスがにこにこ笑って立っていた。




