18. 騎士団合同演習会(4)
舞踏会場は、変わらず気まずい空気のまま硬直していた。
(……騎士、恐ろしい火竜、善行の喜び、戦い、檻、そして……これは執着? え、執着ってなんで?)
ヒルデベルトはコルネリアの側にしゃがみこんだまま、描かれていく魔法陣を読み解く。
(コルネリアさんの得意分野は、古代魔術語……にしても、この文字は古すぎる……なんでだろ)
魔術はヒルデベルトにとって、実家より安心できる領域であり、一番自由でいられる分野である。
そのはずなのに、コルネリアの魔法陣を見ていると、なんだか魔術そのものが、ヒルデベルトの全く知らない何かであるように思えてくる。
周囲では、貴族たちがこちらを取り巻いて、やかましく陰口をたたいている。
というか、ヒルデベルトの地位を見て、直接文句が言える者などいないのだ。
だが、話の内容は聞こえてくる。
(ファーナー男爵家の令嬢ですわ。あんな方だったとは)
(見ろよ、手や服が墨だらけ。なんて下品なんだ)
時にはヒルデベルトすらむっとするような悪口が叩かれているが、本人は一向に気にしない。
相変わらず鼻歌を歌いながら、魔法陣に邁進している。
(集中するとき、瞳孔開くんだな。よく見ると)
ヒルデベルトは、コルネリアの顔を覗き込んで、観察する。
コルネリアは一向に気にせず、魔法陣を描いている。
悪口にも、何にも興味を示さない子だな、とヒルデベルトは思った。
彼女が興味を示すのは魔術だけであって、他の何も彼女の視界に入っていない。
あれ、とヒルデベルトは思う。
魔術にしか興味を示さない――それは当然のことではないか。
魔術だけが世界で一番面白いことであって、他のことを気にせず集中することこそが、ヒルデベルトの習慣である。
コルネリアの特性は、ヒルデベルトにとってはむしろ好ましいことである。
なのに、胸に不明瞭な何かがわだかまっている。
――コルネリアはヒルデベルトの方を見ない。
***
(何かしら、あのお砂糖菓子。きらきらしてる……!)
一方の舞踏会場。
アポロニアは隅にある軽食コーナーを、満喫していた。
テーブルの上には色とりどりの愛らしいお菓子が集い、アポロニアはどれを食べようか、目を輝かせながら悩む。
(あのケーキ美味しそう……でも、冷たいゼリーも捨てがたいわ)
クラウディアの言葉通り、アポロニアは一人だけ軽食をたくさん食べることを避けている。
軽食はみんなのものだからだ。
しかし、しょっちゅう食べ残しがキッチンに運ばれていく。
アポロニアは悲しい。
中央の人だかりは騒然としている。
何やら、ファーナー家の一人娘が騒動を起こしたようだ。
(見ろ、冷酷令嬢だ)
(彼女なら、コルネリア嬢にがつんと言ってくれるかもしれない)
噂話は耳に届くが、アポロニアは我関せずとしてお菓子を物色している。
コルネリアは、アポロニアも一度、見かけたことがある。
デビュタントの白いドレスを着た彼女は、幼げながら人々の視線をかっさらうほど美しかったが、アポロニア直感で感じ取っていた。
あの子、なんだか得体が知れない。
それ以来、アポロニアにとっての注目すべき令嬢たちは、三人に絞られた。
そして評価も定まった。
クラウディアには負けたくない。
アンネマリーには舐められたくない。
コルネリアには近づきたくない。
その時、キッチンからまたお菓子が運ばれてきた。
それは素晴らしく美しいチョコレートケーキであった。
表面はテンパリングでつやつやと輝き、上にはサクランボの洋酒漬けが愛らしく飾られている。
――あれにしよう!
アポロニアは決意した。
というのも、アポロニアはチョコレートに目がないのである。
初めてチョコレートを食べた時の、アポロニアの感動は著しかった。
あの芳醇な香り、口の上でとろける感触、官能的な味わい。
その日から、アポロニアはチョコレートのとりこである。
少し切り分けてもらおうとした時、アポロニアの耳に、令嬢たちの噂をする声が飛び込んできた。
「あの黒いローブを着た子供は、誰なの?」
「馬鹿ね。あなた、ヒルデベルト様も知らないの。ほら、魔術の天才の」
その時、文字通りアポロニアは飛び上がった。
優雅にかつ高速で、人込みを風のようにかき分けると、中央に躍り出て叫ぶ。
「ヒルデお兄様、一体、何をしていらっしゃいますの!」
「やべっ」
ヒルデベルトは口の中で呟いた。
「信じられませんわ。魔術研究をするなら部屋の中で、無理ならせめて人のいないところでって、あれほど申し上げたのに……あら?」
そこまで言って、アポロニアは首を傾げる。
「お兄様は、描いていませんのね……珍しいパターンですわ」
コルネリアは我関せずと、魔法陣を描き続けている。
「待ってくれアポロニア。魔法陣を描いている最中なんだ。それも、コルネリアさんのなんだ。この魔法陣、製作途中までしか見ていないけれど、おそらくコルネリアさんの最高傑作になるんじゃないかと、僕は予想するね」
「そんなこと、どうでもいいんですわ。ここを何処だと思っていますの」
アポロニアがコルネリアに近づこうとすると、ヒルデベルトは間に入って、コルネリアを背でかばう。
「駄目! 駄目だ、何にもいないったら!」
「何が、『何にもいない』です。速くどきなさい!」
「いやだ、やだやだ、コルネリアさんの魔法陣は売れない!」
「もう、いつの間に、そんなに仲良くなったんですの。諦めて、部屋で描きなさい!」
「分かった、分かったアポロニア。もしコルネリアさんの魔法陣作成を、邪魔するんなら――」
ヒルデベルトは据わった眼をして言った。
「僕がここで魔法を展開する」
各所で悲鳴が上がる。
「ちょっと、馬鹿なこと言わないでくださいまし! そういうのを、恐喝というんですのよ!」
しかし、ヒルデベルトは既に詠唱を始めていた。
魔法が展開された。
召還された炎の蝶、光の鳥が天井までひらひらと輝く。
ドレスが濡れない程度に調節されたミストからは、美しい虹が現れる。
観衆は「おおー」と声を上げながら、拍手をする。
「どうだい、アポロニア。これでひとまず――」
「駄目ですわ!」
舞踏会場はまた、硬直状態に突入した。
コルネリアは相変わらず、我関せずである。




