13. ド変人とド変人の邂逅(1)
最初は目を白黒させるだけだったファーナー男爵だが、ヒルデベルトをコルネリアの住む尖塔に案内するころには、有頂天になっていた。
ヒルデベルト・アードルング、あの魔術の天才、あのアードルング公爵家の次男が、うちの娘に興味を持った!
今までは考えもしなかったことだが、上手くいけば婚約――あわよくば結婚まで、こぎつけるかもしれない。
そうなれば、ファーナー家はアードルング家とつながりを持ち、より素晴らしい繁栄を約束される!
そこまで考えて、ファーナー男爵は首を振った。
ないない、だってあのコルネリアである。
家庭教師ですら十五分で匙を投げたド変人、コルネリアである。
今、誰かに興味を持たれたことが、奇跡。
変な期待をもてば、あとで落胆するはめになることは、必然。
だが、男爵の浮き立つ胸は止められない。
せめて、茶飲み友達になってはくれまいか。
このままではコルネリアは、自分が死ねばひとりぼっちになってしまう。
コルネリアはそれでいいかもしれないが、自分は死後のことまで、心配しなければならないのだ――
だが、尖塔に案内して三時間が経過したあたりで、ファーナー男爵は完全な虚無の目になっていた。
コルネリアが、一切ヒルデベルトに興味を向けない。
というか、ヒルデベルトを部屋に入れた時から、こちらを一瞥もせずに、鼻歌交じりに壁に魔法陣を描き続けている。
何度も耳元で叫んだり、肩を揺らそうとしたが、他でもないヒルデベルト本人に止められた。
何とできた人であろう。
男爵は感動した。
巷では、ヒルデベルトの変人ぶりの噂を何度も耳にしたが、それも嘘だったと分かる。
実際のヒルデベルトは、こんなにも寛大な好青年だったのだ。
だが、それもいつまで続くのか――こうしている間にもヒルデベルトが帰ってしまう――男爵は目に涙をためて、嘆息した。
一方で、ヒルデベルトはコルネリアの尖塔を大いに満喫していた。
何故なら壁のいたるところに、素晴らしい魔法陣が描かれていたのである。
男爵の心労は、全くの杞憂だったと言えよう。
ヒルデベルトは興奮と畏怖をもって、ゆっくりと一つ一つの魔法陣を解読していった。
まったく、模造紙に描かれていたものに、遜色しないクオリティー……それどころか、さらに熟達とした、大規模な魔法陣ばかりだったのだ。
この部屋は、宝石箱や――!
ただ嘆くべくは、それらの全てに何の効力もないことである。
一つ一つ、どれを読み解いても、複雑な構成式は全部中和してしまうばかりだ。
ヒルデベルトは魔法陣を描き続ける、コルネリアの小さな背中を見た。
男爵には十七歳と聞いていたが、灰色の髪の少女は小さく、十三かそこらにしか見えない。
小柄な自分に言えたことではないが、こんなに子供らしい少女が、巨大で複雑な魔法陣をいくつも描き切るということに、ヒルデベルトはすこしたじろいだ。
そっと横から、コルネリアの表情をうかがう。
アメジストのような紫色の瞳は、それでもこちらを一瞥もせず、ただただ一心不乱に魔法陣に向けられている。
魔術師とはこうでなくては。
ヒルデベルトは満足した。
実際、何か構成式を作っている魔術師の集中を途切れさせることは、この世で最もあってはならないことの一つだと、ヒルデベルトは考えている。
だが、この少女はファーナー男爵が何度呼び掛けても、全く反応を見せなかった。
素晴らしい集中力である。
この少女が本気で、何か威力がある魔法陣を描いたら、一体どれだけものすごいものができるのか――考えるだけで恐ろしいほどだ。
だが、彼女はそれをしない。
描くのは無意味な魔法陣ばかり。
何故そんなことをするのか――どうしても聞いてみたかった。
――結論から言えば、コルネリアが魔法陣を描く手を止めたのは、三日後だった。
ヒルデベルトはずっと魔法陣を眺め続け、途中からインスピレーションを得て、自分でも計算式を書きだしたりして幸せだったので、気を揉んだのは男爵だけであった。
ようやくコルネリアが手を止めて息をついたので、男爵が少女を羽交い絞めにして、部屋のテーブルにつかせる。
コルネリアは状況も分からず、男爵とヒルデベルトの顔を見比べていたが、やがて口を開く。
「初めまして。どちら様ですか?」
「コルネリア、お行儀! すみません、三日貫徹していなければ、もう少しマシなんですが」
男爵の叫びを聞いて、コルネリアはしぶしぶといった様子で席を立つと、カーテシーをした。
「お初にお目にかかります。私はファーナー男爵が娘、コルネリアと申します」
「初めまして、僕の名前はヒルデベルト・アードルング。ねぇ、挨拶はこれでいいよね。僕、聞きたいことがあるんだけれど」
ヒルデベルトは勢いよく、四方の壁をぐるりと指さして言う。
「これ全部、君が描いたんだよね」
「はい」
「何で? どうして全部、何も起きない陣なの?」
コルネリアはきょとんとして言う。
「何か起きたら、困るでしょう」
「は?」
「だって、一度発動した魔法陣は、消えちゃうでしょう。そうなったらもう二度と、見れなじゃないですか」
確かにこの国の魔法陣は、封印などの持続の効果を持つ特殊な陣を除いて、一度使ってしまえば陣は掻き消え、残るのは「魔法陣の跡」と呼ばれる、魔法陣の痕跡だけである。
学者たちが研究したり、本に残したりするのも、必然的に「魔法陣の跡」となる。
「――いや、魔法陣って、そういうものじゃないか。そもそも、陣を描いたのに何も起きなかったら、困るだろう?」
「困りません。何か起こった方が困ります」
「え、なんで」
「だって、おうちが壊れちゃうじゃないですか。ね、お父様」
「そうだな、それは確かに困る」
コルネリアの隣に座っていた男爵は、大きく頷いた。
ヒルデベルトは額を押える。
何だか、話が全くかみ合わない。
「……いや、だからね。魔術って、何か特別なことを起こすためのものじゃないか」
「え、そうだったんですか」
「は?」
「私は、魔法陣を描くためのものだとばっかり」
ヒルデベルトは沈黙した。
しばらく俯いて考えた後、勢い良く顔を上げた。
「待って待って、魔法陣で何かすることが目的じゃなくって、魔法陣を描くこと自体が目的なの? 魔法陣描けた、はい満足、それで終わりってわけ?」
「それ以外に何が?」
ヒルデベルトは頭を抱えた。
ヒルデベルトにとって魔法とは、超自然的なことを起こすためのものである。
それをこの子は何か。
まるで絵か何かみたいに。
「――君にとって、魔法陣って何」
コルネリアは、間髪入れずに答えた。
「表現媒体です」
絵で大体合ってた。
いや、合っててたまるか。
これ魔法陣ぞ。
「あの、というか、コルネリアの『あれ』は、魔法陣なんですか? 本当に? 何かの間違いでは」
男爵は恐る恐る問いかける。
あまつさえこれである。
ヒルデベルトは腕を組んだ。
俯いて、考えた。
男爵がはらはらし始めるまで、考えた。
やがて、叫んだ。
「すごい!」




