それは、あまやかでふわふわしてキラキラしたものか
純粋に、ただ気持ちを知りたかった。
あまりに物欲しそうに俺を見てくるから、帰り道に二人きりになった時、聞いてみた。
「勘違いだったら悪い。俺のこと好きなのか?」
と。
大きく目を見開いて、しばらく黙っていたが、春美は観念したように微かにこくんと頷いた。
「俺でよかったら、する?」
高二の男子なんて、さかりのついた猫だ。俺は考えもせずに言っていた。
すると、春美は先程と同じように大きく目を見開いて、しばらく黙っていたが、やはり微かにこくんと頷いた。
小学校から幼馴染みだった春美に、俺は恋愛感情などなかった。そんな目で見たこともなかった。もはや、幼馴染みや親友を越えて、家族に近い存在になっていた。
いつもなら通り過ぎる神社の鳥居をくぐり石段を登る。鬱蒼と生い茂った木々に守られるように、古ぼけた社があった。そこだけは空気が澄んで止まっていた。
社に二人でこっそり入り、身体を重ねた。五月の社は暑くもなく寒くもなかった。一度関係を持つと、堰を切ったように何度も身体を重ねた。
それでも相変わらず、俺は春美に恋愛感情はないままだった。
引っ越してきたのは、小学一年の時だった。郊外から峠で隔たりがあったため過疎化が止まらず、全校生徒は七十人をきっていた。
近所に住む子供たちはみんな顔馴染みで、なかでも、同学年の俺と宙と春美の三人は特に仲良しだった。男子二人と女子一人だが、性別なんか関係なしにいつも三人で遊んでは、帰りも田んぼの合間を縫って三人で帰っていた。
途中で宙だけ別れ、俺と春美の二人で帰る。そんな毎日が当たり前のように高二まで続き、そんな中でのあの質問だった。
いつものようにセックスを終え、社で服を着ながら春美が言った。
「宙は友哉のことが好きなんだと思う」
「あいつが? まさか」
「ほんと」
「そんなわけないだろ」
「恋してる同じ目だもん。分かるよ」
「……マジか?」
「マジ」
「…………」
「好きなのかって聞くの?」
「いや、これまで通り、気付かない振りしてる」
「こっちには聞いたのに、なんで宙には聞いてあげないの?」
「……まあ、なんとなく」
「……ふ~ん……」
気のない相槌を打ちつつも、春美が満更でもない顔をしているのがおかしかった。
そして、ふと思った。あの時、春美にあの質問をせずに気付かない振りをしていれば、どうなっていたのだろうかと。
思ったところでーーもう、どうにもならないけれど。
体育のハードルで、春美が転んでひざを擦りむいた。立ち上がるのも辛そうだったため俺が肩を貸すと、あいているもう片方の肩に宙もやってきた。
三人で仲良く保健室を目指していると、クラスメイトの声が飛んできた。
「いつも三人、仲いいよな。女子一人に男子二人でドラマみたいに取り合いになったりしないのか?」
「そんな三人じゃないよ」
すぐに宙は返した。俺たち三人の関係を信頼しきってるみたいな即答だった。もう、とっくにそんなんじゃないのに。
俺は宙のように純粋で綺麗な奴なんかじゃない。自分本位なズルい奴だ。
宙を見ていると、もって生まれた純粋さに羨ましくなる。
俺も、もう少し、マシな人間でありたいと思ってしまう。
六月になった。
見渡す限りに広がる田んぼに水が張られ、青空と山をくっきりと映していた。
いつものように宙と別れ、社の中で春美が服を着ながら言った。
「宙に告白されたらどうする?」
「しないだろ」
「分かんないよ。ゼロではないし」
「どうしてほしい?」
にまにまして聞く俺に、春美は言った。
「好きにしなよ。こっちは付き合ってるわけじゃないし」
「あっそ。好きにするぞ?」
「好きにしなよ」
「宙って綺麗な顔だしな~、ありだな~……」
「…………」
「本当に好きにするぞ?」
「本当は……断ってほしい」
吹き出した俺に、春美は唇を尖らせた。
セックスフレンドは契約だ。お互いに愛情を持たない契約。違反をすれば解除しなければならない。愛情を持つことで関係にヒビが入るなんて、一体どういう不思議なのか。
体を重ねる関係になってから半年が過ぎた。緑の絨毯だった田んぼが黄金色に変わっていた。
山間のこともあって、十月に入ると昼間も肌寒くなってきた。社もそろそろ辛くなってきた頃だった。
春美が深刻な顔つきで言った。いつもの帰り道、いつもの社の中でセックスをした後の事だった。
「こういうの、もうやめたい」
「なんで?」
「なんか嫌になってきた」
「なんで?」
「……付き合ってないとしんどくなってきた」
「じゃあ、付き合おう」
「……じゃあってなに?」
「…………」
「じゃあってなにっ!」
鋭く叫んで涙を流す春美に、俺は言葉が出なかった。春美は急いで服を着て、何も言わずに社を出ていった。
セックスをしたいからではなく、春美が好きなんだと言えばいいだけなのに。
俺は言葉が出なかった。言葉にできなかった。
俺は自分の気持ちを認めたくなかった。
認めることがーー怖かった。
「春美くん、今日はお休みみたいね」
教室を見渡して、担任が言った。
翌日、春美は休んでいた。
当然のように春美の保護者宛のプリント類を渡すよう担任に言付けられ、俺は迷った末に宙についてきてほしいと声をかけた。
いつもの別れ道でも別れずに、俺と宙は並んで田んぼの畦道を歩いた。辺り一面に広がる黄金色が風で波打っていた。宙のスカートも同じように揺れていた。
不意に宙が立ち止まった。
「友哉」
「なに?」
「もう、今しか言えないような気がするから言っちゃうよ」
「なにが?」
「友哉のことが好き」
不意打ちだった。心の準備も何もあったもんじゃなかった。こっちは春美が玄関先に出てきたら何て言おうか考えていたというのに。
「ずっと好きだった」
「…………」
「気付いてないから、気付いてほしくて言っちゃった」
「……返事」
「返事はいつでもいいから。私、突然言っちゃったし、ビックリしたと思うから」
「いや……今、返事する。していいか?」
「……うん」
「ありがとう。嬉しいよ」
「……うん」
「でも、ごめん」
「……うん」
「ごめん」
「うん……」
宙は静かに泣いていた。俺は何も言えなかった。
断りながら、なんで断ってるんだろうと思った。
今なら歩けるのに。
世間体という、よく分からない第三者の目を気にしなくて済む道を歩けるのに。
そればかり、思っていた。
もし、あの日の帰り道、あの時に戻ったとして、俺はあの質問をしなかっただろうか。
いや、俺はしていた。どうしても聞きたかった。好奇心なんかじゃない。
春美の気持ちを純粋に知りたかった。聞けば先の展開は読めていた。読めた上で質問をした。
宙には気付かない振りをして、春美にはあの質問をした。もう、その時点で答えは出ていた。俺は春美とセックスがしたかった。
こんな関係はやめようと言われて、じゃあ、付き合おうと口をついて出た。この関係を続けたかった。
ただ、セックスをしたいだけじゃない。セックスしたいだけなら、春美と付き合わずに宙に声をかければいいだけの話だ。なのに、俺は宙を選択しなかった。
もう、無理だ。初めから分かりきっていた。自分の中でいくら否定しようと、考えないようにしようと逃げたところで、世間の目はごまかせても自分自身をごまかすことなんてできはしない。
俺は自覚した。春美のことが好きなんだと。
それはなぜか、よく分からない何かを突きつけられたみたいな息苦しさがあった。
恋愛は楽しいものかと思っていた。あまやかでふわふわしてキラキラしたものかと思っていた。
全然、そんなんじゃなかった。
現実は、こんなにも重くて苦しくて鋭くて哀しいものだった。
思っていたのと、だいぶ違ったーー
翌日、春美は登校してきた。いつものように俺や宙と話し、他のみんなとも笑っていた。
あまりにも今まで通りに接する春美に、俺はあれは夢だったんだろうかと思ってしまうほどだった。宙と別れたいつもの帰り道、鳥居も通り過ぎるだけの日々になっていった。
だが、数日が経ったある日、クラスメイトが、新しい社を作るために今の社を取り壊すんだと話しているのを聞いて、二人して固まってしまった。思わず目が合った時に思った。やっぱり夢じゃなかった。
その日の帰り道、久しぶりに二人で鳥居をくぐることにした。
立ち入り禁止のラバコンが置かれた社の前で、春美は社を見ながら言った。
「後悔してる?」
セックスをしたことだろうか。俺はすぐに返した。
「春美は?」
「ハイ、困った時の質問返しー」
「うるせーな」
「してないよ。あの時の二人は綺麗な思い出にしよう」
「……思い出……」
「そ、思い出。ないよりも哀しくないよ。ある方が断然いいもん」
「…………」
「あの時の俺、幸せだったもん」
「…………」
「恋人と別れた後の思い出って美化するって言うじゃん? 大丈夫、綺麗な思い出になるよ」
黙ったままの俺に、春美は自分に言い聞かすように話していた。
「これで良かったんだよ。普通の親友に戻ろう。俺たちならできるよ。もうできてるし」
「…………」
「俺のこと、抱いてくれてありがとう」
淋しく笑った春美を見て、ぷつん、と俺の中で何かが切れた。
静かに。
一切の音もなく。
気付いた時には、俺は春美の顔を両手で掴んでキスをしていた。突然のことに驚きで僅かに仰け反る春美に、覆い被さるようにキスを続けた。
もう、止められなかった。春美の口に舌を入れ、逃げる舌を追い掛け、貪るように吸い上げる。やりたかったことをやれた嬉しさで、俺の背中にゾクッと寒気が走った。息切れする春美に、俺は容赦なくキスを続けた。
春美はその場でしゃがみこんだ。息切れして俺を見上げる春美を、俺は肩に抱えあげて、社に入った。
もう、止める術なんかなかった。突き進むだけだった。引き返すつもりもない。どんな未来が待ち受けようと、なにもかも全てを覚悟と一緒に背負って、俺は春美の服を脱がしていた。
俺は何に怖れていたのか。
春美を失うこと以上に恐ろしいことなんてあるものか。
俺の中で、もやもやしていたものがなくなった。苦しいけれど、どこか晴れやかな気持ちも混じっていた。素直になったら、後は気が楽だった。
自分のしたいように生きればいい。よく考えたら俺の人生だし。
世間体なんかどうだっていい。
言いたい奴らには言わせておけばいい。
そんな奴らは俺はいらない。いらない奴らのために、なぜ、俺は自分自身に嘘をつき続けて生きていかなければならないのか。
「友哉……っ」
俺の名を叫ぶ春美に、俺の身体中の血が滾った。心の底から幸せだと思えた。
あんなに何度もセックスをしていたのに、キスをしながらしたのは、今日が初めてだったーー
「俺を好きだと、やっと認めたね」
えっへんと胸を張る春美に、俺はがっくりとうなだれた。
「はい……好きです」
「認められて偉いね」
「はい……今まで傷つけてすいませんでした」
「謝れて偉いね」
「……もうちょっとマシな人間になります」
「まあ……そんな悪いところも好きだけどね」
俺の心臓がぎゅんとした。
「風邪ひくよ。上、着ないの?」
上半身だけ裸の俺に、春美はシャツを渡そうとした。
「いや、まだ暑いから、もうちょっとしてから着る」
「寒そうだし、かけるよ」
シャツを手に遠慮がちに俺のそばへやってきた春美を、俺は急にがばっと正面から抱き締めた。
「わっ!」
驚いてくれたことに、にまにましてしまう俺に、
「ビックリした!」
と、怒りながらも顔を赤くして、春美は俺の腕の中でじっとしている。
(なんだ、心配して損した)
と、俺は思った。
拍子抜けしてしまった。
俺はなにを悩んでいたんだろう。
春美を抱き締めていたら、胸の内からじわじわと湧いては溢れてくるものがあった。嬉しくて思わず笑ってしまいそうになる。
心配しなくても大丈夫だった。
それは、ちゃんと、あまやかでふわふわしてキラキラしたものだった。
読んでくださって、ありがとうございました。
現実恋愛と純文学で迷い、なんかシリアスで真面目なので純文学にしました。あっているのか分かりません。ジャンル分けって迷います。