第7話 ギャルの経済効果舐めんなし
目の前に広げられた数字を、カイルは何度もこすって見直した。
だが、現実は変わらなかった。
そこには確かに、王国経済の〝飛躍〟が記されていた。
「……ど、どういうことだ……?」
彼の困惑しきった声にキュウリが答える。
「理由は明白です。王都中央部、あの改造商業区です。……ミラ様が命名された、その名も〝渋谷二号店〟!!」
「なんという陳腐なネーミングセンスだ……! いや、しかし、それはいい! なぜあんな色ボケた街にそこまで経済効果が……!」
「それは、ファッション、飲食、映えスポットなどの複合施設が開かれ、王都民の購買意欲が一気に刺激されたからです。主に、衣服類――特にミラ様デザインの〝あげあげワンピ〟や〝キラ盛りローブ〟の売れ行きが顕著です。また、露店型カフェ〝映え屋〟では、〝レインボードリンク〟や〝ネオンわたあめ〟が大ヒットし……若年層の城下町回遊率が、爆発的に上昇しています」
「バ……バカな……」
カイルはぶるぶると震えながら、再び帳簿をめくる。
だが、そこに記されていたのは――
「〝厚底靴の販売件数、先月比3200%増〟……!? 〝ルーズソックスの売上、先月比5800%増〟……!? 〝推し活通りの露店売上、先月比30000%増!?〟」
目玉が飛び出そうになった。
額に汗をにじませながら、ゆっくりと顔を上げる。
「おい、キュウリ……」
「はい」
「……〝推し活〟とは、なんだ……? 何を〝推し〟て、〝活〟動するのだ……?」
キュウリは、資料をめくりながら淡々と答える。
「〝推し活〟とは、対象への愛情や忠誠心を可視化し、表現する行動のことです。人、物、時には概念に対して行われますが、王都では主に〝ミラ様〟を推す活動が主流となっています」
「ミラ……を……〝推す〟? 活動?」
「はい。たとえば、推しカラーであるピンクを基調にした衣服、ネイル、雑貨の購入。〝推し〟の言動を真似し、街角に設置された〝プリクラ記念碑〟で定期的に記念撮影を行うこと。また、〝推し活通り〟には〝KPカフェ〟や〝ギャル神社〟といった複合施設も建設され、連日行列を記録しています。流石はジャパーンでも、カリスマ店員だったミラ様です」
「ギャル神社……? おい、神社ってジャパーンの祭祀施設じゃなかったか……? なんとバチ当たりな……」
それでも、キュウリの説明はまだ終わらない。
「加えて、〝推し〟の概念が王国の芸能文化にも波及しております。現在、〝ギャルユニット〟や〝地下アイドル〟、〝ビジュアル歌姫〟、〝ショー型パフォーマー〟といった分野が急成長中です」
「なに……?」
キュウリは淡々と続ける。
カイルは目を見開いたまま、再びバルコニーから街を見下ろした。
ここに広がっていたのは、経済破綻の予兆などではない。
光――とにかく光。
きらびやかな商店街、列をなす若者たち、次々と売れていくネイルチップや、クレープなるものの屋台から――人々の熱気が街を包んでいた。
「そ、そうか……!」
カイルはふと口元を押さえた。
「……この国にはなかった……〝ファッション〟や〝歌〟や〝芸能〟という文化……そして〝映える〟や〝推し〟という感性……それが新たな購買意欲を生み……それに応じて商人たちは新たな商品を作り、生産が生まれ……人が動き、雇用が生まれる……!」
彼は天を仰いだ。
「農業や、鉱業に頼りきりで、近年停滞していた我が王国の経済の血流が……このギャル文化によって……再び、動き出したというのか……!!」
すると、「やっほ〜☆」という明るい声とともに、ミラが現れた。
その周囲にはキャーキャーと黄色い声を上げる女の子たちが群がり、ネイルチップと蓄光性の「光晶石」を内蔵した細長い杖……ペンライトを振りながら、全力のギャルピースを決めている。
「いや〜ん、マジ熱いんだけどぉ〜! ミラたんファンの子たち、ほんと沸きすぎてアゲ〜☆ フーッ!」
ミラはバチバチに盛れた笑顔でピースを決めていた。
その近く――ややクネクネした動きで日傘を差していたのは、バリカンことゴルド・ヘルマン。
「すごい人気ね〜ミラたん♡」
……やはり、信頼なる腹心の変貌にまだカイルには受け入れ難い光景だった。
だが、次の瞬間、バリカンが呟いた言葉に、彼の表情が一変する。
「それよりも、聞きました? 陛下。今この国に、人類諸国圏のあちこちから人々が、続々と訪れているらしいのよ〜ん」
「な、なに……!?」
カイルの眉が跳ね上がる。
「セフィリア帝国、リズノーラ連邦、――あの辺境嫌いのアウストゥラ王国ですら観光大使を派遣したそうですわよ~」
「次々と……我がランツバルト王国に……!? おのれ、魔界領からバルゼル=ノクス連邦が侵攻した危機の時には一国たりとも手を差し伸べなかったくせにッ!!」
怒りが込み上げるカイル。
しかし、バリカンは目元をキラキラさせながらクネッと腰を振って言った。
「まぁまぁ。でも、これ……立派な経済効果ですし? 外交アピールにもなりますわよ~ん♡」
「……!」
カイルはハッとした。
そうだ。
かつてこの王国は、魔界領に隣接するという理由だけで――人類諸国圏の大国たちから、〝渡航危険区域〟と烙印を押されていた。
安全保障上の懸念を口実に、商人は引き上げ、観光客は途絶え、外交関係は名ばかりの紙の上だけになっていた。
それが今、どうだ――
「……改造商業区〝渋谷二号店〟の誕生により、王都は文化的安全都市として注目され、各国からの渡航者が戻り、貴重な外貨を我が王国に落としてくれている……つまりこれは……ギャル文化輸出による、インバウンド効果……っ!」
彼はゆっくりとミラに向き直る。
唇をかすかに震わせながら、問うた。
「ミラ殿……まさか、この経済効果を狙っての……ギャル文明開化だったというのか……?」
ミラは親指を立てて、ドヤ顔でにっこりと笑った。
「ギャルの経済効果、舐めんなしっ☆ ミラの元いた世界じゃ、ギャルの経済効果は……〝100億円〟だったんだからねっ!♡」
するとキュウリが、真顔で補足する。
「ちなみに……その〝100億円〟という数値は、我がランツバルト王国に換算すると――昨年度の〝国家予算全体〟の10%の税収に相当します」
「…………なっ!?」
カイルは凍りついたように目を見開いた。
「……一概には言えないが……これくらいの経済成長があれば……軍備費も捻出できる。そうすれば我が王国の治安を脅かす――バルゼル=ノクス連邦にも楔を打ち込むことすら可能だ……! いや、それだけじゃない! 辺境と笑われ続けたこの国。大国の陰に隠れ、地図の端で細々と耐え続けたランツバルト王国が――人類諸国圏の国際会議の場で……大きな力を持てるかもしれない……!」
しかし、彼の心にはどうしても認めるのが難しい気持ちがあるのも事実だ。
「だが……しかし、ギャル文化だけはどうしても受け入れがたい……! 特に乾杯を『K~P~☆』などふざけた音頭を取る……この慣習だけはッ!!」
それでも……唇を噛み、拳を握る。
「しかし、……! 改革とは……痛みを伴うものだ……!……ならば、俺は――魂を売ろう……!! この力を得るためにッ!」
カイルは歯ぎしりをし、空を仰ぎ、両手を天へ突き上げた。
「おお、英霊たちよ……! この国の礎を築きし先人たちよ……! 我を愚かと呼びたければ、呼ぶがいい! 信頼した配下たちは既に、俺の知る〝男〟ではなくなった……! 妹も、乱れた渡世に染まった! だが! 俺はこの〝力〟を受け入れる!! 我が王国に……〝ギャル〟という力を……ッ!!!」
そして――
拳を天に突き上げた。
「アゲアゲだぁぁ!! やりやりふぃーだァァ!!! K・P~~~~~~~~~~~!!!!!!! ふはははははは……! はっはははははははははあああああ!!!!!!」
――そのすぐ横のテラス席では。
「ねえねえ♡ 二人ってさ~、男の人が好きなんでしょ? じゃあさ、ずっと一緒にいるカイきゅんのことって……どー思うのぉ~?♡」
ミラがストローをくるくるしながら、頬に指を当てて笑った。
「んまぁもうっ! ないないっ! あんな男のヒステリー、私のタイプじゃないわぁ~。本当にもう、人との接し方が下手なのよ、あの王様」
バリカンは、首をクネッと振る。
「顔はいいんだけど、性格があんな感じだから、全然モテないのよ~。もう私がセッティングした政略結婚とか全部失敗してるし! あの歳で、まだチェリーなのよ、チュェエェリィ~♡」
「えぇ~~!? カイきゅん、童貞なんだ~~~♡ むふふふ、カッワイイ~♡」
そのころ――叫び続ける王は、まだ知らなかった。
自分が童貞であると、噂が早いギャルの耳に広がっていることを……。