独白-3
三題噺もどき―ろっぴゃくろくじゅう。
キッチンの片づけを軽く済ませ、机の上に置いてあった鞄を手に取る。
廊下へと続く扉を押し開き、電気は点けずに進んでいく。
呼びに行く時ならば電気をつけるのだけど、今はその時ではない。
「……」
部屋の中でかさかさと紙をいじるような音が聞こえる。
時折聞こえるカチという音は、マウスだろうか。今日はキーボードを使っていないのだろうか……使っていればカタカタと連続した音が聞こえるから、使っていないのだろう。
「……買い物に行ってきます」
「ん……」
ドア越しに仕事をしているご主人に声を掛ける。
気付くだろうかと思ったが、今日は余裕があるようでなによりだ。
ご主人は余裕がない時には返事が返ってこない。気づきもしていないからな……まぁ、それだけ安心してくれているということだろうけど、吸血鬼としてそれもどうかと思わなくはない。
たまに思うだけで、気づかない分には何も問題はない。気づかせるだけだし。
「……」
返ってきた小さな返事に、今のご主人の調子をなんとなく感じつつ、踵を返す。
案外わかりやすい人なので、ここで返事が返ってこなかったり、明らかに室内の空気がおかしかったりしたら、買い物には行かない。
昨日は仕事を詰めようとしていたので、止めた。詰めてもいいが詰めすぎはよくないと何度言えば学ぶんだろうか……。体調崩す癖に。
「……」
手に持った鞄の中身を確認しながら、廊下を進んでいく。
確認と言っても、必要最低限しか入っていない。
財布と、万が一の携帯と、エコバッグ。
「……」
このエコバッグはいつ買ったのか、はたまた貰ったのか分からないが。
必要になるだろうとご主人が渡してきたものだ。
なぜか知らないが、トランプ柄のやつで、袋全体にトランプが描かれている。個人的にはシンプルなものでよかったのだけど、あって損をするようなものではないので今もこうして使っている。他にもいくつかサイズ違いでエコバッグは持っているが(柄は違う)、今日はこれで良いだろう。そんなに大量に買い物するつもりもないし。
「……」
玄関に向かう前に一度リビングを経由する。
家を出る前に、姿を変えておかなくてはいけない。
……正直、この姿に成るのはあまり好きではないので買い物は極力ご主人に頼むか、通販というモノを使っているのだけど。
「……」
今日はどうしても、必要なものができたので、仕方なく買い物に行くことにしたのだ。
お菓子作りに必要な甘味料がなくなったのだ。いつもはこうならないようにストックをしておくのだけど、想像以上に使う頻度と量があったのだろう。……どれにどれくらい使ったとか記憶にないが、きっとあの辺だろう。
「……、」
少年の姿から、大人の姿に変わる。
身長はご主人よりは少し高い。昔はこれに少しヒールのある靴を履いたりしていたから、たまに妬ましそうに見られたことがある。好きに変えられるのだから身長も変えてしまえばいいのに。というと、それは何か違うと言う。何が違うのやら。
「……」
服は、ご主人が仕事に入る前に、棚から適当に取ってきたモノをリビングに置いておいた。
自分自身はあまりこちらにならないので、こっちに会うサイズを持っていない。だから大抵ご主人の服を借りる。
「……」
ピッタリ目のズボンに、パーカーを着るだけ。どちらも色は黒。
ズボンの腰回りについたウェスト調整用のボタンを留めて、落ちないことを確認する。
ご主人はウェスト周りがきつめで履くのを好まないので、このボタンを留めることはないようだ。留めていると凄い目で見られる。
「……」
ついで適当に取っておいた黒い上着を羽織り、玄関に向かう。
履きやすい上に動きやすい気に入りのスニーカーを靴棚から取り出し、履いていく。これも色は黒。ラインに白が入っているものがあったりするが、これはそのラインも黒。
「……」
人間であれば、これに反射板とかつけるんだろうけど。
目に付いたり、人に見つかったりすることは避けたいので、そういうモノはいらない。
夜に、闇に、溶けるための黒である。
必要最低限の認識阻害はつけるけれど、ご主人程うまくはないのだ。ブースターというモノがいる。それが、黒い服に黒い靴に黒い鞄というやつだ。
「……いってきます」
部屋まで聞こえているかどうかは分からないが。
それだけ告げて、夜の街に出る。
いつものスーパーに行くとしよう。
「おかえり」
「……ただいま戻りました」
「何を買って来たんだ?」
「ちょっと材料を……珍しいですねこの時間に部屋から出ているの」
「いやなに。キリがよかったのでちょっと飲み物をな」
「……そうですか」
「ついでにお前のその姿を見ておこうと思って」
「…………」
お題:ボタン・トランプ・甘味料