8.面子はそろった
数分後、私とツキさんは飲食店の立ち並ぶ道を歩いていた。
なんだかんだついて行ってしまってる時点で、多分私はどうかしている。好奇心の方向を間違えてしまったようだ。どうせ変なことされる、そうに違いないけど、ごくごく少ない別の可能性を信じて、とにかく気になってしまうのだ。ツキさんの2歩後ろを歩く。
「ねえ、せんりってどう書くの?」
「泉に瑠璃の璃です。ツキさんは誰ですか」
「あれ、俺怪しまれてんね。あのお友達みたいに泉璃って呼んでもいい?」
「お好きにどうぞ、で誰ですか」
私の顔は今も眉間に皺が寄っているだろう。命の恩人とかそれ以前に、突然あんなこと言われたら誰だってそうなるでしょ。対してツキさんはヘラヘラ笑っている。思っているより軽薄そうな男だ。
「えええ、会ったことあるよね?」
振り返り足を止める。ツキさんは少し悲しそうにみえた。
「はいありますよ。けど今更何の用ですか。学校前で待ってしかもナンパみたいな誘い文句で」
冷静かつ端的に怒る。ナンパ、の部分でツキさんは驚いた顔を見せた。そして口を両手で隠す。
「まじか、それはごめん。嫌だったね」
ヘラヘラした態度から一転、彼は顔を赤くして謝ってきた。「そんなつもりなかったならいいですよ」と伝えると、「でもごめん」とまた謝ってくる。顔色が戻ったことを確認すると、ツキさんは手を離す。
「別にナンパしたかった訳じゃなくて、でもカフェに行きたかったのは本当。ちょっと話したいことあって、会わせたい人もいるし」
「会わせたい人?」
「うん。あと学校で待ってたのはそこしか知らなかったから。名前も、どこに住んでるとか分かんないし」
逆に最寄り駅で待ち伏せされる方が嫌でしょ、とツキさんはまた歩き出す。まあ確かに、と頷いてみせると彼は笑った。
学校を知られているのは事件と制服と、他にも要素はいろいろある。
「安心して、警察の人だから」
言われても安心できない。彼の何がどう繋がって警察まで辿ることができるのか。
「泉璃とすれ違った後さ、やっぱり家に警察の人来たわけよ、最初はびびっちゃったけど、感謝状玄関でもらって。あと不法侵入するなってさ」
「家特定されたんですか」
「うん。防犯カメラからばれちゃった。その後も俺の侵入に緊急性はあったのかって事情聴取されて。怖いよねえ」
怖がった振りをするツキさんに、何か親近感を抱く。怪しい人ではあるけど、悪い人では無いのかも。
いや、待って。
「ツキさん」
「ん?俺のあだ名知ってんの?どした?」
「あなたが誰なのかまだはっきりしてません」
風が吹いたような質問に、ツキさんは目をぱちくりさせる。そして「ああ」と納得、にこっとした。
「俺は佐野月緋。美容系の専門学校2年生。で、泉璃は?」
なるほど髪はそういう事か、それっぽい。そしてやはり年上。敬語使っててよかった。
「糸端泉璃、高2です」
月緋という名前はポテトとイントネーションが同じようだ。ふーん。
「月緋さんって呼んでもいいですか?」
「なんで急に」
「年上をあだ名で呼ぶのに抵抗があるのと、おあいこですかね」
横に並んで言ってみると、「好きにすればー」と月緋さんはぷいっとそっぽを向く。スマホをトトトっといじり、またポケットに入れた。
そして着いたのはカフェとかでもなく、普通のファミレス。
「カフェって言ったのはどこの誰ですか」
「ナンパ初心者のツキくんです」
月緋さんはそう目を逸らしながらも、店員の人数確認に対して後で1人来ると答える。ナンパというワードをもうネタにできるとは。陽の要素が強いなこの人。
「その警察の人は後で来るんですか?」
「まあね。俺泉璃に話したいことあったし」
4人席に案内され、向かい合うように座る。そして口を開いた。
「なんであの時振り返ったの?」
振り返った、というのはあの、初めてすれ違った時だろう。月緋さんの「2日前」という言葉を聞いて、たしかに私は月緋さんのことを見た。
「……月緋さんは、私の頭上に何か見えますか?」
質問に質問で返すなんてうざったいやつだと思うだろうけど、能力に関してはこちらも慎重になる。詩保にも、誰にも言ったことないんだから。
「見えるよ、2日前って。泉璃は?俺の頭になんか見える?」
わくわくを秘めて尋ねてくる月緋さんに、私は頷く。
「はい。2時間って見えます」
「負けたあーーー」
嘆き机につっ伏す月緋さん。何、どこで勝負してんの。
「というか、どんな時間を示すのか同じとは限らないじゃないですか、月緋さんのはなんですか」
そもそも月緋さんは能力を持っているのか。別の能力がこの世に存在するとしたら、もっと話さなきゃならない世界は広くなる。
「えー、なんて言えばいいんだろ。多分泉璃と同じだと思うんだけど」
私の話を聞き出して合わせようとしてる、とは見えない。本当に言葉に悩んでいるようだ。
「じゃあ、どうしてあの日学校に入っていったんですか」
「そりゃ女を止めるためだよ。あの人、人を殺そうとしてたからね」
やっぱり、それは能力で分かるしかない。知り合いとかじゃなければだけど。
「…私も分かってたんです。その、頭の上の時間で」
暴露してしまった。その後の反応次第で、私はこの人を判断することになる。
「それ、人を殺すまでの時間とかじゃないよね?」
まさか。私が笑うと、「なんで笑う」と困った顔をした。月緋さん、2時間だもんね、面白くて笑っちゃう。不謹慎なのは分かってる。けどそんな能力いらないでしょ。
「違いますよ、はははっ」
「あーそうなの、なら安心。てか笑うんじゃねえ」
月緋さんは気を取り直して、覚悟を決めたように真っ直ぐこちらを見てくる。
「願いが叶うまでの期間。泉璃もそれでしょ?」
100パーセント、全く同じそれを聞いてつい驚いてしまう。
同じだ。
驚いた時は本当に声が出ないらしい。月緋さんは「え、違う?」と慌てている。
「あ、い、いや、全く同じなので、驚いちゃって」
「なんだ、良かった。自分のだけ披露なんて、不公平だもんね」
「それは私も言えることです」
「ねえその能力どんな感じなの?俺あの女の時真っ黒だったんだけど、」
私は赤かった、そう言おうと思ったら、月緋さんは入口の方に目をやり、大きく手を振った。
「あーー!松さん!こっちこっち」
なんで自由奔放なんだ、ふう、とため息をついて後ろを振り返ると、想像していたよりもちゃんとした、刑事ドラマで観るような感じの男の人がこちらに走ってやってきた。
「もう月緋くんさあ、何あのメッセージ!『JKは慣れてる店の方が安心できるだろうからファミレス集合で』って、僕もうカフェ行ってたんですけどー」
「あ、え、ちょっと黙って松さん」
なんか軽い感じの人だな。そして月緋さんはあわあわしている。
背もたれのしっかりしたソファに隠れてて私に気づかなかったらしい。松さんと呼ばれる人は、私の方に顔を向けた。そして気まずそうに、「あーね、そういうことね」と頷く。
どうやら、私に配慮した場所替えだったらしい。
「私のためだったんですね、ありがとうございます」
私は月緋さんにお礼を言うと、彼は「どーも」とそっぽを向いた。そのまま、奥側に進み、松さんを座らせてあげる。
「2人共何も頼んでないの?とりあえずドリンクバー頼んじゃうよ。糸端さんのは俺が払うから、安心して」
「えー俺のは?」
「月緋くんは成人してるし、あとこれ非公式だから」
「ありがとうございます」
松さんはタッチパネルを手に取り、ドリンクバーを3つ頼む。そして思い出したかのようにポケットに手を入れた。何やらケースから名刺を取り出す。
「自己紹介がまだだったね。僕は西岡署の松って言います」
差し出された名刺をもらい、私も自己紹介をする。
「輝高の糸端泉璃です」
月緋さんは私と松さんを順番に見る。あの数字は見えるだろうか。私は松さんの上に2mの時間を見つける。しかもすごいきらきらしている。どれだけ嬉しい願望なんだろう。訊くのは変質者なので黙っておく。
そういえば、松さんの顔、見たことがあるような。
「……お会いしたことありますよね?警察署で」
話しかけてみると、松さんは目を見開き、「若いってすごいなー」とうんうん頷く。正直松さんも30歳いってないくらいのようだけど。
「あの事件の後の事情聴取ね。すれ違っただけなんだけどねー」
話に入れない月緋さんはここぞとばかりに「すごっ」と褒めてくれる。そして松さんを通路側に押し出した。
「飲み物取り行きません?」
それぞれグラスに飲み物を注いで持ってくる。
しかし、すぐにメインにうつる、という訳ではなかった。
「あの事件で聞きたいことあるんだけど、いいかな?トラウマになったりしてる?」
「大丈夫です」
「ちょっと松さん、それここでしちゃダメなやつじゃないですか?」
「いいの雑談雑談」
本当にゆるい人らしい。これもバレなきゃセーフみたいに思ってるんだろう。
「 じゃあ早速だけど。あの日、糸端さんが信号で止まっていたのが近くの防犯カメラに映っていました。後ろから犯人の女の人が追い越していったわけだけど。なんで止まってたのかな?」
いきなり鋭い質問をしてくる。女がやってきた道を辿るんだから防犯カメラに私が写っていても仕方がない。でもそこまで調べるなんて、警察ってやっぱりすごい。
けれども、能力を話す訳にも行かない。ふと月緋さんの方見ると、「分かるぜあの空気異常だったよな」と言わんばかりに眉毛を動かしてくる。どうやら彼には伝わっているようだ。それだけでも安心できる。
「……特に深い意味はないです。ぼけっと考えてたら渡るタイミング逃したっていうか、そんな感じです」
「そう。いや、僕も別に深い意味はないんだ。ただ映像を見返して気になっただけで」
思っているよりもあっさりした反応に拍子抜けする。本当にただの雑談のようだ。すると、「糸端さんには以上」と言って、松さんは横にいる月緋さんの方を向いた。
「月緋くん。なんで校舎に入ったのかな?」
こちらもまた鋭い質問。能力を使わないとできない行動だ。
「……悲鳴が聞こえて。ただ事じゃないなって感じで、いつの間にか動いてましたね」
何とか月緋さんも上手く誤魔化せたようだ。しかし、松さんが言いたいのはそういうことじゃないらしい。
「あのね、不法侵入になるからね」
まさか。人助けのためにした行動が逮捕案件になるかもしれないとは。私は焦るが、月緋さんはただ頷くだけだ。どうやら、聞いたことがある話らしい。
「聞きましたよ。逮捕はされないって。なんでもっかい言うんですか」
「糸端さんもいるから、改めて。緊急性や正当性があったから、今回は注意だけで済んだんだよ」
月緋さんは口を尖らせて「女の子の前で怒られるの恥ずかしーい」と、ぷいっとしてしまう。大丈夫気にしてないよ。
「ところで、月緋さんと松さんはどのような関係なんですか?」
ずっと気になっていたことを質問してみる。この馴れ馴れしい感じ、いとこでも有り得るからね。
「事情聴取の担当だった」
月緋さんがさらっと答える。え。本当に陽な人なんだな。そこまで仲良くなれるもんなのか。
「事情聴取だけじゃないよ。まあ、そこは本題に入っちゃうんだけどね……」
松さんは含みを持たせて補足する。「本題?」ときいてみると、月緋さんがうんうん頷き、松さんは人差し指を立てて話し始めた。
「一昨日のことです」