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21.秘密

 玄関に出ると、月緋さんは私服に戻っていた。


「返してきたんですね」


「着たまま帰るとこだった」


 外にはもう、松さんたちはいなかった。私が歩き出すと、月緋さんは「待って」と呼び止める。


「何ですか?」


 月緋さんは職員用玄関に目を向けた。白衣の目立つ、柚希先生が立っている。


「俺あいつに話したいことある」


 そう言うと、彼は先生の方へ向かった。ついて行こうか迷ったけど、このスッキリしない気分をどうにかしたいので月緋さんの後を追う。


 まさか、真っ黒な数字の原因を直接突き止めようとでもするのだろうか。


 柚希先生は向かってくる私たちに気づくと、穏やかに微笑んだ。数字はやはり、もうない。何が原因で消えたのだろうか。面と向かって立ち止まると、いつもの声で丁寧に話した。


「糸端さんに佐野くん。今日はありがとう。巻き込んじゃってごめんね」


「いえ、大丈夫ですよ」


 巻き込むことに応じたのは私だし、そもそも推察が当たっただけだ。大したことはしていないと私は謙遜するが、月緋さんは「ほんとだよ」と呆れたように言った。気に入らないからって、さすがにそれは良くないんじゃない?私が「ちょっと」と口を挟もうとすると、月緋さんはそれを遮った。


「あんたさ、わざと犯人分からないようにしてたっしょ」


「え?」


 耳を疑う。だって、警察に相談したのは先生の方で、今だって解決できてよかったって思ってるはず……。いや待って。


 数字が消えたのは、薊くんの犯罪を、完璧に証明してしまった時だ。棚の鍵の謎を、私の推測が、言い当ててしまったから。


「そんなことないと思うんだけどな。佐野くんは、どうしてそう思うの?」


 先生はやんわりと否定する。月緋さんは人差し指を立てて見せた。


「まず土曜日。あんたは薊の話に触れなかった」


「知らなかったからね」


 月緋さんは先生の返答に顔をしかめつつ、人差し指に加えて中指を立てる。


「二つ目、さっきの話。棚の鍵のこと泉璃にきいてたけど、薊を庇うためじゃねーの」


「気になっただけだよ」


 のらりくらりとかわす先生に、月緋さんはむすっとする。先生は続けて言った。


「そんな推測、糸端さんの前で話すとは思わなかったよ。僕だって疑われて嫌な気分はするけど、怪しく見えたなら気をつけるよ」


 いつもより強めの口調で先生は話す。「じゃあ、もういいかな」と、職員玄関まで戻って行った。


 確かに、月緋さんのは言いがかりに聞こえるかもしれない。けど、柚希先生は何か絶対隠してる。


 土曜日。薊くん。ともかく。見てない。


「あ」


 私は、悔しそうにする月緋さんを横に、「待ってください!」と先生へ叫ぶ。


 先生はいつもと同じ穏やかな顔で戻ってきた。


「どうしたの?」


「先生やっぱり。どうして薊くんを庇ったんですか?」


「糸端さんまでその話?庇ってないよ」


 困ったような顔をする先生。その「困った」は、「バレたら困る」、だ。


「土曜日、なんで薊くんが掃除当番だって言わなかったんですか。彼のことは置いといて、他の生徒の話だけしたのはなんでですか」


 柚希先生は黙る。


「先生は掃除終わりの薊くんを、準備室で見かけてしまったことがあるんじゃないですか?」


 私のも推測だ。けど、月緋さんと違うのは、嫌悪を表に出していないことだ。


 柚希先生は、案外子供っぽい性格だった。


「……意地の張り合いに勝ったつもりだったんだけどなあ」


 バレたならしょうがない、とにこにこ笑った。


()はただ、君たちが犯人見つけなきゃいいのにって、思っただけだよ」


 トゲも何もない、凶暴な言葉は何一つ使っていないのに、先生毒毒しく、穏やかに話した。


 月緋さんが「黒い」って言っていたあの時間。あれは「薊くんが完全犯罪を成し遂げられるように」という願いだったんだ。


「意地じゃないっす。真実を引きずり出してんだ」


 月緋さんは睨みつけた。


「あんたはずっと隠すつもりだっただろ」


「まあね」


「そしたら薊が復讐を終わらせてしまう」


「それを待ってたんだよ」


 何も悪くないと思っているように、先生は言った。童顔に、恐怖さえ感じる。


「誰が犯人かも分かってたってわけか。盗む理由も」


「もちろん。目撃、してたから」


 自白する先生は無敵に見えた。話せば不利であるはずなのに。


「……薊くんの告白に驚いていたのは、いつもとのギャップに、じゃなかったんですね」


 月緋さんは私を見る。私は、ぱっちりした目を細める先生を見て、つい眉間に皺を寄せる。


「『なんで本当のこと言っちゃうの?』、ってことだったんですね」


 ついさっきの、「糸端さんの前で話すとは思わなかった」も、あれは月緋さんが核心をついていたけど、生徒の前では隠す必要があった。だから否定した。


 先生の言葉には、裏の意図があるんだ。


 柚希先生は「はは」と笑った。そして強く頷く。


「ここまで糸端さんにバレたなら隠す必要ないか。そうだよ。俺はずっと彼を庇ってた。掃除の後は誰もいないようにしてたし、目撃しても見逃してた」


両手を広げ、珍しく晴れた夕空を白衣に映す。


「佐野くんごめんね、さっきは酷いこと言って」


 一歩近づき、月緋さんを見上げるように上目遣いをする。


「別にいいっすけど。それより、なんであいつを庇ってたんすか」


 本性を現したおかげか、月緋さんは先生にきつい態度をやめたようだ。それでも結構冷たいけど。


 先生はにやっと笑い、後ろで腕を組んだ。


「いじめられっ子には、やり返す機会を与えるべきじゃないかって思ったんだよ。どうせ嫌な思い出は消えないんだから、それなら復讐した方がスッキリするでしょ」


 「違う?」と訊いてくる先生の大きな目は、焦点が合っていない。笑顔は分かるのに、表情が読み取れないことが少し気持ち悪い。


「……通報を入れたのは、何でなんですか」


 願いとは真逆の行動だ。事件として起こしてしまえば、犯人が分かるのは時間の問題だ。


「うーん」


 人差し指を顎に当て、わざとらしく考えている。月緋さんも、「こんな奴だった?」と小声で言ってきたが、こんな感じじゃない。柚希先生を気に入らなかった琴子は気づいていたのだろうか。


「俺は一応教師だから。立場を考えれば知らなかったじゃ済まされない。大人として行動しましたよ、っていう証明?かな」


 薊くんの復讐を陰ながら支えつつも、立場が危なくならないように大人としても行動している。どちらかが上手く行きそうになったら、もう一方を切り捨てる。人狼の狂人みたいな性格をしてる。


「ちなみに糸端さんたちの捜査協力を受けたのは、ぶっちゃけ、所詮探偵ごっこだって高を括ってたとこもあるかな。それはうっかり。けど、実力があることには素直に感心しているよ」


 ペラペラと自分のことを話していく。もうすぐ退職するのかって勢いだ。


「そんなこと、俺たちに言っていいわけ?」


 月緋さんは素直な先生に疑問を呈する。


「だめだよ。通報でもされるかもしれないし。けど、疑われてたのは俺の落ち度だし、生徒にバレないでやっていくってのは不可能になったから。それに」


 先生はにこっと月緋さんの方を向く。


「佐野くんは疑い続けたでしょ?俺のこと」


「黒いから」


 月緋さんは答える。数字が、というのは言わずもがな。


「なら言った方がいいかと思って。どうせ捕まらないでしょ?」


 柚希先生は職の心配をしている。社会的信頼を微塵も気にしていないあたり、やっぱり狂人なのだ。


「自白はしてるけど、録音も何もしてないですね」


 私が小声で話すと、月緋さんも「ざんねん」と口を尖らせる。


「証拠不十分ってとこ」


 月緋さんは先生の方を見る。柚希先生はぱっちりした目を合わせた。


「通報しない?」


「めんどいし」


 月緋さんはそう言って首をかく。そこまでして先生を裁きたい、とかはないようだ。


「言わないでくれるなら、多少こき使ってもいいよ」


 突然何を言い出すんだ。私は先生を二度見する。


「どゆこと?」


 月緋さんも困惑しているが、先生は穏やかにほほえんだ。


「契約。佐野くんたちが言わない代わりに、俺は雑用でも何でもするよ。行列並んだり、情報教えたり。意外と頼りになると思うけど?」


 また恐ろしいことを言ってくれる。そんなの断ろう、と月緋さんの方を見ると、「悪くないな…」と顎に手を当てていた。いやどこが。月緋さんは私とじとじとした目線に気づくと、にやっと笑い、そして先生に向かって口を開いた。


「泉璃抜きでならいいっすよ」


 サイコパスみたいな先生と関わりすぎて気でも狂ったのだろうか。思っていたよりもいい返事に先生は喜ぶ。


「ありがとう。俺もビビりっぱなしで仕事するところだったから、助かるよ」


私は何も良くないが、仲間はずれにされているので何も言えない。


 先生はうきうきした足取りで玄関に向かう。他人の犯罪を隠し通せるほど頭がいい人なんだから、気を抜いていちゃいけないのに、なんで月緋さんはこんなことを……って。


 頭がいい?


 もしかして。


「先生!」


 数歩前に進み、先生を呼び止める。「なに?」といつもの顔で振り返る柚希先生。


「本当は、暗号わざと見せたんじゃ、」


 ないですか、まで言えなかったのは、固まった先生の笑顔だ。ぱっちりした片方の目に夕日が入る一方、もう片方は影ができてよく見えない。


「……また明日、泉璃さん」


 名前を呼ばれ、背筋に鳥肌が立つ。当ててしまった。


「けいやく!」


 後ろで月緋さんが叫ぶ。


「泉璃に何かしたら、俺何するか分かんないよ」


 釘を刺す月緋さんに、柚希先生はハハッと乾いた声で笑った。


「そうだったね、守るよ」


 そう言うと、先生は校舎の中へ入っていった。


 最後の最後で見た本当の悪意に、ただ驚く。


「泉璃大丈夫?」


 月緋さんは私の肩をさする。


「……当たってたんですね」


「そうっぽいな。分かってもあんまり言わない方がいいよ、自分のために」


 分かっていた。けど、どうしても、あともう少し、黒いはずだと思っていたことに、確証を得たかった。


 柚希先生は、薊くんパスワードをわざと、鈴木くんに見せるように打った。


 鈴木くんが言いふらすのも、薊くんがそれを聞くのも、利用するのも、全て分かってやった。


 薊くんを陰ながら支えていたんじゃなくて、描いた脚本通りに操っていただけだった。


 それが、柚希先生という人だ。


 私は気をとりなおし、気になったことを指摘した。


「っていうか、なんであんなこと承諾したんですか。先生のこと気に食わなかったんじゃ」


「ちゃんと話すと、意外と俺あいつのこと嫌いじゃないよ」


 私の中で疑問が増える。それに対して、月緋さんは帰るためか校門の方に歩き出す。私は小走りで横に並び、歩きながら質問する。


「なんでですか?」


 疑問を丁寧にぶつける。月緋さんはこちらを向いて口角を上げた。


「気持ち悪さがなくなったって感じかも。前は数字とのギャップがきもかったんだけど、ほんとはあんな性格してんだって分かったら、俺の中で合点が言ったっていうか」


 その点はそうかもしれない。正直、私もあの人格の方が人間らしくて嫌悪感が少ない。少ないというだけだ。


「あと、もうあんなことしなさそうだし」


「そうですか?」


「次同じことがあった時、俺らが最初に疑うのはあいつじゃね」


「……そうですね」


 もう裏で動くこともできないなら、危険を犯す必要もない。学校は、いじめについてもっと慎重になるだろうし、こういうことを企てることは無くなるだろう。


 柚希先生はもしかしたら、薊くんを救おうとしていたのかもしれない。復讐を叶えつつ、いじめを表面化して、防ぎたかった……なんて、考えすぎか。まだ先生の穏やかな性格を信じている自分がいる。


 私はもうひとつの疑問を月緋さんにぶつける。


「でも、契約みたいなことまでする必要なかったんじゃないですか?」


「あっちだけ話される不安があるの、モヤっとしない?平等でいたいじゃん」


 借りを作られたくない、ということらしい。月緋さんは一般的な善悪で人を判断しないんだな。隣で道端の石を蹴るチャラっとした見た目に、新しい印象がつけ加わる。「……そうですね」と相槌を打つ。


「とりあえず、よかったですね。解決できて」


「まあね」


 そういえば、柚希先生のことで忘れていたけど。


「人たらしってよく言われません?」

「どした突然」


 さっきの釘を刺した月緋さんの言葉は、なかなか恋愛関係でない人に対して使うものじゃないはずだ、多分。


「あんま覚えてないな」


 考える間もなく答える。他人からの評価など微塵も気にしていなさそうだもんね。


 思い出すように目線を上にするも、諦めたように地面に戻した。そしてバッと横を向いてくる。


「ハンバーガー食べに行かない?」


 なんだ突然。目を輝かせて月緋さんは「お腹空いてるでしょ?」とにこにこする。


「行きませんよ、勉強しなきゃですし」


「腹が減ってはとか言うじゃん」


 行こう行こうと催促する月緋さんに、つい折れてしまう。


「……化学教えてください」


「任せなさい」


 胸を拳でポンっと叩く月緋さんに、どこか頼りなさを感じた。



 ハンバーガー店にて。「俺化学取ってなかった」とか言いやがったとき、テーブルに着いてから言うことじゃないだろとさすがに言いたかった。言った。


「任せろって言いましたよね?電話でも塩酸の話してくれましたし」


「それは中学の時に雑巾に浸して怒られたことがあったからで」


 こんな時に破天荒エピソードを持ってくるな。てっきり化学できると思ってたじゃんか。


「事件頑張ったんだからお疲れ様会ってことで」


 ストローでジュースを飲む月緋さんを見て、さっきのことを思い出す。一人で帰りたくないとか、わがままだと思っていたけど。もしかしてこれが目的?


 お疲れ様会で、またいつもの日常に戻ろう、ということか。


「……アフターケアっていうことですか」


「話が早いじゃん」


 月緋さんはハンバーガーを一口ほおばる。今は勉強にふさわしくないな、と思い私もテキストを片付ける。月緋さんはもぐもぐとして飲み込む。


「前のよりショックは小さいと思うけど。お互いに心落ち着けないとね。テストも実力発揮できないでしょ」


「……ありがとうございます」


 泣くとか表立って感情は出てこないけど、傷ついてる前提でいることも悪くない。海外みたいな考え方をしている。「どーも」と適当に受け取るあたり、この人にとって当たり前なんだと感じる。


「月緋さんって日本人っぽくないですね。思考が」


 素直に言葉にすると、「分かる?」と驚かれた。


「俺母親の方がアメリカの人で。影響受けてる部分はあるかな」


 あまりハーフってイメージはなかったからびっくりする。父親似なのかな。しかも自然と答えてくれたことも新鮮だ。「にぎやかそう」とつぶやくと、「にぎやかだよ」と楽しそうに話した。


「家族の話とかするんですね」


 今日は思ったことがすぐ口に出る。月緋さんは私を見て、またハンバーガーに目線を戻した。


「ケア中だから。他愛ないこと話そうや、泉璃も教えて」


 いつもの自分を取り戻す、という意味では、薊くんも私たちも変わらないらしい。私も家族について話してみる。夕璃の話なんか、山ほどある。


 そっちもにぎやかじゃん、と終始にこにこ話を聞いていたけれど、この前夕璃が庭で野良猫と一緒に気球で飛ぼうとした話をした時はだはっと笑った。


「お姉さんいくつだっけ?年長?」


「美大3年です」


 美大生がみんな夕璃みたいじゃないとは分かっている。一応。


「私たち会う度食べてますね」


 ほとんど食べ終わる頃、私は言った。


「事件にはエネルギー使うってことじゃんね。二人で食べた方がおいしいし、バディだし」


 返事はしない。おいしいのついでに流れるようにくっつけられた言葉を否定もしない。それがどういう意味か、月緋さんは感じ取ったようだ。


「またよろしく、泉璃」


 この上なく輝かしい笑顔で言ってくる月緋さん。私は目線だけ彼に向ける。


「次はオムライスが食べたいです」


 事件後の小さな精神的苦痛を好んでいる訳じゃない。ケアと称して食べることとか、私たちのおかげで正しく戻れる人だとか、共有できる月緋さんの考え方とかが、良いと思っただけだ。


 ゴミを捨てて店を出る。月緋さんが駅まで送ると言うので、ありがたくそうさせてもらった。


 途中、塾へ向かう詩保と会い、どうなったかは言うまでもない。

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