2.私の家族
20分ほど歩けば、自分の家に着く。桃色の壁に黄緑色の屋根。おまけに好奇心旺盛なおばさまもついてくるので、目の前の通りを通学路にしている小学生からは「さくらもち」と呼ばれている。
「さくらもちのおねえさんこんにちは」
「こんにちは」
ちょうど玄関の扉を開けようとしたところ、庭の外からトイプードルを連れた近所の女の子に挨拶された。
そう、私は「さくらもちのおねえさん」。実は案外気に入っている。
手を振ってくれた女の子に振り返し、私は「さくらもち」の中に入った。
3m。たしかあの子は7月誕生日だったっけ。誕生日プレゼントを楽しみにしているのかも。
玄関で靴を脱ぐ。今日も白いキャンバスボードが靴箱に立て掛けてあった。
リビングに向かうと、好奇心旺盛な「さくらもちのおばさん」がソファーに座ってテレビを見ていた。そのあだ名とは裏腹に細身の体型、ツヤのある肌にかきあげるのは茶髪のロングヘア。ただ、私たちと相対的におばさんと呼ばれている。
「ただいま、ママ」
「おかえりぃ泉璃」
ママはこっちを見て、テーブルの上に置いてある何かに手を伸ばす。
「今日夕璃のえんぴつのついでに油絵の具買ったんだけど、夕璃使わないっていって〜」
「油とか筆とかあるけど、もう専門外だよ。ママが気になって買ってきちゃったんでしょ」
2階から降りてきた姉につっこまれ、ママは図星を突かれてむすっとし、「泉璃はつかう〜?」と12色入り油絵の具を見せてくる。
姉の夕璃は美大生で3年生になる。ママに似て思いついたらすぐ行動、ファッションデザインや彫刻など幅広いジャンルに手を出している。もちろん油絵もやったことあるんだろうけど、今は違うらしい。けっこうな変わり者で、家を「さくらもち化」させたのも夕璃だ。主犯だからか、この人のあだ名は「さくらもちさん」。家のあだ名と融合している。
「使う趣味ないよ、どうせ夕璃がいつか使うんだからとっといたら?」
「ママが使えばいいよ」
今度は玄関から。夕璃がキャンバスを取りに行ったようだ。娘2人からいらない宣言をされるが、しょぼくれたママも言い訳混じりに「今はヨガやってるから・・・」と使用しない意向を伝えてくる。
この好奇心の塊は、ひとつずつ極めるつもりだ。
「まあ持ってて損はないし、あたしの部屋に置いておくよ」
キャンバス片手に夕璃が言ったので、ママは嬉しそうに絵の具を渡した。
一件落着したので、私も手洗いうがいを済ませて2階に上がった。
夕璃の向かいの部屋が私の部屋。夕璃と違って壁は絵の具まみれじゃないし、粘土をぶちまけた跡もない。私は速攻で部屋着になり、ごろんとベッドに横になる。
夕璃の頭上の数字は、なかった。というか、あの人はいつもない。普通、願いが叶うまでの時間は、願望が生まれた瞬間に、生まれる。いつもは願いの有無に関わらず基本の時間がそれぞれに固定されているが、願望が生まれたら、その願望が叶うまでの時間に切り替わる。叶うまでの時間は、当日までカウントダウンをしない。だから、カフェの店員は今日何かしらいいことはあるんだけど、挨拶してくれた女の子は7月より前に願いが叶うかもしれないし、その子自身の基本の時間なのかもしれない。
夕璃は、長期的な願望を持たない。基本の時間もない。ただ、無気力であるのとは違う。叶う直前に、願うらしい。昔、家の壁を塗り終えたときだ。ふと夕璃の頭上を見るとら急に1が出てきて、膨らみ、シャボン玉のごとくはじけた。そして0になった。「秒」すら出てこない、ちょっとしたことだった。
姉にとって、そういうのは願望でもなんでもなくて、ただの思いつきに過ぎないんだろう。ただ、0になった瞬間の笑顔は、満足そうににこにこしていた。時間を表すなら、「1s」といったところか。
ちなみに、ママは数字が多すぎる。基本の時間など別の意味で存在しないようだ。あの人はやりたいことが多すぎるから。
こんな感じで、私の能力はけっこう複雑だ。説明するだけでもめんどくさい。活かす機会もないんだから、別に細かな設定じゃなくていいのに。
能力と言えば、小さい頃に周りに訊いたことがある。実は、私が知らないだけで、みんなが何かしら超能力を持っているのかもしれないと思ったからだ。予想は外れた。親も、親戚も、友達も。夕璃でさえ、「なんかそれおもしろいね」とリアクションした。みんなにとって、視界に人の心が映るのは架空の出来事らしい。
起き上がり、リュックから英語のテキストを取り出す。机に向かってさっきの続きだ。能力が自分にしかないという孤独感は受け入れるしかない。シャーペンを持って、長文を読む。
何分経ったか、ごはんができたというママの合図で、私は下に降りた。