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19.偶然の重なり

 はっきり言う。水曜日は何もなかった。


 強いて言えば、薊くんの数字が1wになっていたことくらい。1週間後に何があるのか、考えただけでも恐ろしい。見かける度、宣戦布告されたような気分になる。


 止めてみろって。


 木曜日。今日は柚希先生がいるので特に何もする必要はない。捜査に全力でいて欲しい訳でもないけど、少し不自然に協力しているような気もする。


 そういう私も、テストが近いので捜査にがっつり協力はできない。大人しく、授業を聞いておく。


 今日の柚希先生はいつも通りだった。授業ペースを速くしながらも、範囲はちゃんと終わりそうだ。


 集中していると1日は早い。


 放課後、私は学校で居残り勉強をすることにした。


「あれ泉璃、帰んないのー?」


 清掃の時間。いつもと違い、帰る支度をしない私に、リュックを背負った希葵が言った。


「ちょっと勉強しようと思って。希葵は?」


「部活だよ。明日から休み」


 テスト1週間前だ。結構ハードだな。帰宅部の私は特に放課後の予定はないから、当たり前のように固定された用事がある感覚が新鮮だ。


「そうなんだ、頑張って」


「泉璃もねっ」


 ばいばーい、と希葵はリュックを背負い直して歩いていった。


 今回、正直、化学が心配だ。先生の授業だと月緋さんの言葉を思い出すから聞けてないし、先生が怖いから分からないところも聞いてない。


 けど、ぶっちゃけそれどころじゃない。先生の願望に踏み込むようなことをしなければ大丈夫なんだ。自分で自分を落ち着ける。


 分からないところは正直に先生に教えを乞うべきだ。事件は事件、学校は学校。


 そう思い理科準備室に向かう。さすがに学校では事件の話はしないだろう。生徒の誰かに聞かれたら、私だけじゃなく先生だって困る話だ。失いつつあった先生への信頼を拾い集め、化学のノートと筆箱を持って教室を出た。


 ごみ捨てのためにゴミ箱を持ち歩く生徒とすれ違う。最近、居残りするときはいつも琴子の班の教室掃除を手伝うのだけど、今日はしなくていいと言われてしまった。昼休みに私が化学について心配していたのを琴子が聞いていたからである。琴子の気遣いに感謝し、今こうして階段清掃の邪魔にならないように気をつけて歩いている。


 準備室に到着した。ノックをして扉を開ける。


「、2年2組糸端泉璃です。柚希先生に用があって来ました」


 動揺したけど、平然とした振りをする。準備室は、実験器具がのっている、理科室と同じようなテーブルが真ん中にあり、それがこの部屋にふたつのルートを作っている。そして、両側には薬品や器具が入った棚がある。奥のドアは、職員が仕事をするための部屋に繋がっている。私はそこに用があったんだけど。


「い、糸端さん?」


 左側の棚の側で、床にしゃがみこんでいるのは。


「薊くん?な」


 なんで、と聞こうとしてやめた。場所ではなく行動について言及していると思われてしまったら、言って被害に遭うのは私かもしれない。


 鍵穴には、鍵が刺さっていた。ちらっと確認したのを知られないように、私は目を逸らす。


「......柚希先生知らない?」


 一歩ずつ、準備室に入っていく。私は薊くんのいる方とは反対側、テーブルの右側にある通路をゆっくり進む。薊くんは私の死角に何かを隠した。手を置いていた棚は、中途半端に開いている。間違いない。


 私は今、()()している。月緋さんが先生に任せていたことを、私が今できてしまっている。ここでもし説き伏せることができたら、なんて妄想は無駄だ。


「せ、先生は会議だからいないよ」


 震えた声で薊くんは答える。私をどうするべきか、判断しようとしてるようにも見える。


「そうなんだ」


 彼の願いが叶うまで、あと1週間もあるはずだ。慎重な性格から来る、「実験」に時間を割くためだろうか。


 盗んだものは何だ?そもそも、一般生徒は鍵の場所など知らないはず。しかも、数字でロックされてるって。


「お遅くなると思うから、き今日は帰った方がいいいんじゃない?」


 つまり、今日はもうここにいるなってことだ。犯行の邪魔になるだろって。


「……けどテストのことだから急ぎたくて。置き手紙でも書いておくよ」


 何も返事がなかったのは、どうしようもないと思ったからだろう。理由の一つに、私が希葵と友達であり、希葵はこの学年の中心人物の一人でもあることが挙げられる。ヒエラルキーとかくだらないけど、私はそれによって、今ここにいることが許されているのかもしれない。


 今私がしなきゃいけないのは、気づいていない振りをすることだ。彼は、怯えながらも、私を牽制してきた。何をしてもおかしくない。けど、「目撃」まで持ち込むには、私が薊くんの動きを知っている必要がある。


 せめて、今の薊くんの行動について、会話しておくべきだ。そうしないと、後で月緋さんに報告した時、上手く言い逃れされてしまうかもしれない。


「……薊くんは、何してるの?」


「……」


 返事はない。ただ、こっちをじっと見てくる。彼の手が、死角にあるのだろう瓶に置かれる。私も、もう教員の部屋の前だ。柚希先生が会議なら、今はここには誰もいないだろう。大声で叫んだって、無傷で助かる見込みはない。なんて、何考えてるんだか。薊くんはそんな凶暴な人じゃない。


「……糸端さん」


 目が合う。長めの前髪のせいで、彼の瞳に光は入らない。そっと、両手を薬品に回す。何をしようとしてるのか、冗談でも笑えない。


 まずい。


「失礼しまっす」


 軽快な声と共に、ガラッと準備室の扉が開く。よかった。人が来たことに安堵し、そして聞き覚えのある声に気がつく。


「3ねん3くみ、じゅーご、ばん」


 自分の名簿であるはずなのに確信がないようにぎこちなく言う。ここの制服、3年生を示す上履きの紐の色。そして黒い髪、ん?あれ?


「佐野月緋です」


 同姓同名?そんなはずない。いじわるそうにこっちを見てくるその笑顔は、間違いなく私の知る月緋さんだ。


「柚希先生に用があってー、って」


 なんでここに?質問なんて今じゃない。生徒のフリを続けながら、月緋さんは薊くんと目が合う。


「……薊?」


 視線は動かさずに訊いてくる。もちろん薊くんは動かないので私が代わりに頷く。月緋さんだけに目がいってる薊くんなら、後ろにいる私が動いても分からないだろう。これで目撃者が二人になった。私がこれで薬品を回収出来れば、万事解決。そう思い、近づこうとした瞬間だった。


 月緋さんは鍵穴を確認するや否や、お構いなしにヅカヅカ入ってきた。向かった先は私じゃない。薊くんだ。そして彼の腕を掴み、引き上げた。しゃがみこんでいる薊くんも、思わず立ち上がる。瓶はそのまま、床に転がった。


「は、離してくださ」

「やだね」


 月緋さんは視線を落とし、薬品を手に取る。薊くんは「あ」と声を出したが、月緋さんが向けた表情に萎縮してしまった。


「これはやりすぎ。取り返しがつかなくなる」


 言葉こそ優しいものの、薊くん越しに見た月緋さんの表情は見たことのないものだった。鬼の形相、なんて表現は甘すぎる、そんなものだった。月緋さんはそのまま腕を離すと、へたっと薊くんは尻もちをついた。


 一瞬見えた。あの瓶には、「硫酸」と書かれていた。


「ちょっと月緋くん!だめだよ急に走り出しちゃ、ってあれ?」


 バタバタと松さん、そして遅れて校長先生がやってくる。


「ああ松さん」


 月緋さんは振り返る。ちらっと、薊くんを睨んで。


「ほら、解決ー」


 瓶を持っていない方の手でピースする月緋さん。松さんの表情からして、いつもの明るい笑顔をしているんだろう。松さんは部屋の奥に私を見つけると、驚いたように口をパクパクさせた。とりあえず会釈でもしておく。


「ほら、君も立って」


 松さんに促され、薊くんが立ち上がる。かろうじて歩けるような感じで、力ない表情をしていた。


 すぐに、元々松さんと来ていたのだろう警察の人が一人やってきて、薊くんを連れて行く。私と月緋さんは、何も主張しないその背中を、静かに見送った。

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