17.「あいつ」のこと
火曜日。化学の時間だ。平然と授業をする柚希先生。この人の授業では積極的に発言する必要はない。昼休みが終わってすぐの授業でもあり、私は後ろの方の席でボケっと黒板を見つめる。教科書と実験映像で授業が進む。
先生は松さんにちゃんと言われているだろうか。事件に関わっているとは思えないほど穏やかな声だ。
「じゃあ、ここまでいいかな?どこか分からないところある人いる?」
ぱちくりとした目がこちらを向く。話はよく聞いてなかったけど手を挙げるまでもない。後で琴子辺りから適当に教えてもらう。
「……じゃあ次のページ開いて。もうすぐテストだから、少し急ぐよ」
穏やかに微笑み、授業が続く。頭上は今もしゃぼん色だ。しかし、時間が止まることを示すマークがときより出現する。なんでだ?
土曜日の報告会でも見たけど、時間の速さを調節できるのは私たちだけだ。先生のその数字は、私たちがコントロールしうるものなのか。
新しい単元への導入が終わったところで、チャイムが鳴る。挨拶をして、5時間目の準備に取りかかる。たしか、移動教室だったような。
「泉璃、次視聴覚室だよ」
琴子に言われついて行く。私たちの教室がある教室棟から最も遠い特別教室棟にある。ちなみに、理科室もそこだ。
途中、体育終わりの2年3組とすれ違う。薊くんもいたが、ごちゃごちゃしていて数字はよく見えなかった。前に確認した時よりも、少なくなっているかだけでも見たかったのだけど。
「最近じめっとしてるよね」
琴子が言った。窓を見ているので天気のことのようだ。
「ね。前髪すぐうねるし」
「私はチャリでこれ無くなったから、それがちょっとだるい」
そういえば、琴子は学校から近いところに住んでいるらしい。
「チャリ4分だっけ」
「そう。歩くと自分が遅く感じる」
ちょっと分かる。相槌を打っていると、階段を見ながら琴子は言った。
「あれ、視聴覚室って3階だっけ」
「2階じゃなかった?」
同じクラスの人は半々に分かれている。覚えてなさすぎでしょ。すると、3階に上がっていたクラスメイトが下りてきた。2階らしい。
部室棟から帰ってくる3組の人ともすれ違う。その中に、鈴木くんもいたけど。
「鈴木首赤くね?」
私たちのクラスメイトが鈴木くんに絡みに行く。たしかサッカー部で、仲がいい方だった気がする。
「あー、なんかヒリヒリするかも」
鈴木くんが答える。ちらっと見たが、首にタオルを回していても、首の後ろは赤くなっているのが確認できた。
「汗かきすぎなんじゃねーの」
クラスメイトに言われ、「うっせー」と小突いていたが、どこか寂しげだった。
視聴覚室に着き、適当な場所に座る。隣に座った琴子が、ちらっと私を見た。
「あいつ、だんだんいじめられる側になってるらしいよ」
「誰に?」
琴子の言う「あいつ」は、鈴木だ。みんな、嫌いな人をあいつって言うのか。
「分かんない。仕返しされてるとしたら、元々いじめてた人なんじゃない?」
琴子が噂話をするなんて珍しい。
「それ誰情報?」
「部活の子」
どうやら吹部にはとんでもない情報屋がいるようだ。
「最近手も荒れだしたらしいし、この前は筆箱がずぶ濡れになってたって」
「あの人のが?」
あの鈴木くんが、そんな目に遭うだろうか。見当もつかない。それより、手荒れは最近なんだ。
「おーい始めるぞ、号令」
先生が入って来て、チャイムが鳴る。琴子に聞きたいのは山々だが授業が始まってしまった。体育科の先生だから、内職やコソコソしたことは許されない。仕方なく、授業に集中することにする。
1番性格的にありえるのは鈴木くんだったけど、いじめられているとなれば少し立場がおかしい。彼なら、誰かに嫌がらせするために薬品を盗むだろう。しかし、鈴木君の手は荒れていた。ゆいのちゃんとは違う荒れ方だったから、日常生活でできたものではないはずだ。薬品が関わっていると考えてもおかしくない。
仕返しの復讐のために薬品を使うとしたら?
その考えが頭をよぎったが、恐らくないだろう。私の中でどこまで意地汚いやつになっているんだ。単純に、鈴木くんが被害者だとしたら、加害者が盗難事件の犯人となる。
そもそも、琴子の話に信憑性はあるのか。疑いたくないけど、デマ情報から物事を判断するのも良くない。色々こんがらがって、推理が難しくなる。
私は脳内でしか事件に関われない。たまたま本人の様子を見かけたり、話を聞いたりして推理することはできるけど、柚希先生のように目撃の機会など与えられていない。
柚希先生が犯行を目撃しますように。そう思うが叶わなそうだった。
今日もまた報告会かな。
そう思う私は5限の授業など1ミリも頭に入らなかった。




