間章 『怪物』
「……」
ナカムラたちとのやりとりを終えた、そのすぐ後、クロタコは夜更けにも関わらずテント村を出立した。
仲間たちとの別れもまともに済ませていない。伝えるべき人物に伝えるべきことだけを伝え、他の誰にも気づかれることなく、彼女はひっそりと旅立った。それがクロタコの流儀だった。
そんな彼女の姿勢は「立つ鳥跡を濁さず」といった風情も感じたが、一方で死期を悟った飼い猫のようでもあった。しかし、彼女にどこまでの考えがあったのかを知る術はない。
クロタコはコートを一枚だけ羽織り、迷いない足取りで雪道を進んでいく。靴はあろうことか革靴だ。一歩進むごとに靴の中へ雪が侵入してきたが、彼女にすればどうでもいいことだったらしい。
クロタコは悠々とタバコを吹かす。上品な紅茶の香りが漂った。
「いい香りですね」
クロタコのななめ後ろから、ふと、平坦な口調でそんな声がした。
「喫煙家の割にタバコ臭くないのが不思議でしたが、銘柄によるものですか」
「……ライプニッツか」
「ええ、ライプニッツですよ。みんなだいすき」
ライプニッツと呼ばれた少女は、口を三日月のように吊り上げて彼女なりの笑みを作る。
臭くないのは本数を抑えているからで、何を吸おうとタバコ臭くはなる……という喫煙家なりの反論は、ひとまず置いておくことにした。クロタコは久々に会う自由国側の仲間、ライプニッツと、ちょっとした世間話から会話を始める。
「元気してたか?」
「ご覧のとおり、元気ですよ。ついさっき死にましたけど」
「……ああ、そういうこと。相変わらず大変みたいやな」
「あなたほどではありません。ひとまずお疲れ様でした、クロタコ」
ライプニッツは表情を変えずにクロタコを労う。
サラリと「ついさっき死んだ」などと口にするので困惑したが、すぐにライプニッツの能力を思い出したクロタコは、それについて彼女に詳しく尋ねてみることにした。
「どのライプニッツがやられたん?」
「聖教会に潜入していた『私』です。お恥ずかしながら、一瞬でバレてしまいました」
「あちゃあ。顔まで変えたのに、あかんかったか」
ライプニッツは「うまく入りこめたと思ったんですけどね」と首を振る。
その表情はやはり変化がなかったが、どことなく残念そうにも見えた。
「崇務のトリスタンは手強いですね。あなおそろし」
「未来予知に、シンプルな先読みと頭脳戦だけで対抗してくるバケモンやからな」
クロタコは「仕方ないわ」と励ます。
普段は冷徹なクロタコがいつになく優しいので、ライプニッツは彼女に何かあったのだろうかと気になった。しかし聞いても答えてくれないのが分かりきっていたため、別の話題を切り出す。
「しかし、予想以上にまずい事態になりましたね」
クロタコは深く頷いた。
あまりに敵の動きが早すぎる。この展開が全くの予想外だったわけではないが、予想していた中で最も悪い展開なのもまた事実。
世の中には二種類の怪物が存在する。
一つは、トリスタンのような「未来予知を見越してその裏を突いてくる怪物」。
そしてもう一つは、「なんの目的もなく、ほんの気まぐれだけで行動する知性のない怪物」だ。
これらの動きを予知することはできない。行動の因果関係が複雑すぎるからだ。
言わば怪物たちは、未来予知に現れた甚大な雑音だった。
「……未来予知は?」
「議長ですか?」
クロタコは「まあ、それでもええわ」と頷く。
「彼女は紅龍王様の元へ向かっているので、おそらくそれどころではないでしょうね」
「紅龍王……? 起きたんか?」
「起こしに行くんですよ。蒼龍王に対抗できるのは彼女だけです」
確かに紅龍王の力は大きい。だが蒼龍王と直に対峙したクロタコにとって、それはあまり楽観できない話だった。
「キエリは怒るかもな。生贄を捧げたと思われても言い返せへん」
「使える物は全て使わないとですから」
「急いては事を仕損じるで」
「鉄は熱いうちに打て、とも言いますね。ここだけの話、何人かの転生者と連絡がとれなくなっています」
「……」
「……私個人としては、魔王が味方になると心強いんですけど」
「言ったはずやで。それは絶対に許さへんって」
口を滑らせるライプニッツを、クロタコはらしくないほど感情的に睨んだ。
「おやや、怖いお顔。ふと思っただけですよ」
慌てて取り繕う彼女を、なおも睨む。
万策尽きた人間がどれほど簡単に手段を選ばなくなってしまうか。クロタコは前世の経験から、それをうんざりするほど理解していた。
「うちは蛮族の味方をするつもりはない」
「わかっていますよ。あくまで私個人の思いつきです。聖教会には彼もいることですし……ひとまず私たちは災厄を止めましょう」
その「彼」とやらが誰だったかを思い出そうとする前に、クロタコの足が止まる。
「災厄……?」
聞いていた話と違う。クロタコは聖教会か蒼龍の対処をするものだと思っていたので、ライプニッツの唐突な話に目を丸くした。
「初耳やねんけど」
「でしょうね。私はそれを伝えにきたわけなので」
「他はどうするつもりや?」
「捨て置いてでも災厄を潰します。アレの動きは予知できませんし……」
ライプニッツはクロタコの顔を覗きこむ。
「度し難いほど、悪質ですから」
――――
「キゃハハハハ!」
布を引き裂くような悲鳴や断末魔に混じって、猿轡をはめた異形の怪物達の笑い声が、無惨に破壊された村内にけたたましく響き渡った。
「や、やめて……! だれかたすけ
――ガッ!
バキッ!
グシャッ
怪物たちは折れた足をひきずる村民を一通り地面に這わせた後、やがて飽きてしまったのか、おもむろに髪を掴んで地面に叩きつけた。
「フヒッ!ヒヒッ!」
砂利まみれになった脳片をぐりと踏みつける。猿轡の隙間から興奮の歓声を漏らしながら。
そして、また次を探しにいく。
逃げ惑う人々。それらを夥しい数の怪物たちが追いたて、種々の暴力で破壊、あるいは陵辱していた。
ある者は見た物全てを破壊し、ある者は家族を順番に殺して反応の差を楽しみ、ある者は死体の山の上で奇声をあげ、そしてある者は形容し難い冒涜を行った。
怪物たちは暴徒だった。
怒りに震える彼らは鬱憤を晴らしていた。苦痛に喘ぎ笑い声をあげた。同じような苦痛や怒りをばら撒いて、彼らは仲間を増やしていく。
教会などは怪物たちにとって絶好の「遊び場」で、中からは耳を覆いたくなるほどの金切り声やうめき声が聞こえてきた。
怪物の「お気に入り」に選ばれた村民たちが次々とそこへ引き摺られていく。機関車の石炭のように、それらは中へと投げ込まれ、さらなる冒涜の燃料になる。
そして、そんな現世の地獄を呈した村の真向かい。開けた遠くの丘の上。
ブカブカのスーツを着た、桃髪の少女が一人。
「……ふひっ」
眼下の災厄を他人事みたく眺めて、下卑た笑い声をあげた。
「何が、面白いんです?」
「……?」
ふと背後から聞こえた声に、少女は怪訝そうに振り返った。
なんで怒ってんの?
そんな含み笑いを浮かべていた。
「罪深い……ですね」
少年は釘を抜き、聖典のページをめくる。
そこに書かれた悪逆の何よりも、目の前の少女の方がずっと罪深い。
この悪逆を裁ける罰は、「崇伐」の二文字以外に存在しない。
「災厄の転生者、レッテル……」
動く限り戦う。動く限り崇伐する。
「あなたを、崇伐します」




