エピローグ3『伝わる』
「…………」
村の広場にある、黒いテントの裏手。
そこが待ち合わせの場所だった。リーフェンは適当な切り株を見つけてそこに座り、心ここにあらずな様子で白紙の手紙を見つめていた。
一月に一度、姉さんに手紙を書く。
すでに約束の一月は経っていた。
ナカムラは何度か書くように催促してきたが、最近は何も言ってこない。おそらくこちらの気を察して、遠慮してくれたのだろう。
「甘えてばっかりじゃ、ダメだよね……」
それは、誰かの優しさにつけこむと言うことだ。
自分の弱さを認めるということだ。
実際はそんなことなど決してない。リーフェンもそれに薄々気づいてはいたが、優しくされるだけの自分にむず痒さを感じているのも、また事実だった。
だから、彼は待っている。
「……」
不意に、小さな流れを感じた。
覚えた流れだ。リーフェンは待ち合わせの人物が来たことを察知し、白紙の手紙を肩かけのポーチにしまう。
「すいません、遅くなりました」
「おはよ、リーフェン」
ケイトとキティ。カティアの子供たちだ。
彼らは連れていたケイブボアーをテントの中に誘導し終えると、リーフェンの前に切り株を二つ持ってきて座る。
「話って、なぁに?」
キティがリーフェンに尋ねる。
その声色には、若干の気乗りしなさというか、ためらいの感情がこもっていた。リーフェンはそれを敏感に察知した。
「……カティアさんとは、話した?」
リーフェンは勇気を出す。二人の表情がかすかに引きつったが、なるべく気にしないようにした。
「少しだけ、ですが」
「ごはんの時とかね」
リーフェンは話し合ったかどうかを尋ねたのであって、口をきいたかどうかを尋ねたわけではない。
ということは、やっぱり話してないんだ。
ケイトたちとカティアのぎこちない会話を想像して、リーフェンは思わず胸が痛くなった。
この数日間、リーフェンはずっとそのことだけが気がかりだった。
他の仲間が気づいていなくても、リーフェンだけは、ケイトたちとカティアの間に巨大な溝があることに気づいていた。
「……カティアさんが、怖い?」
単刀直入。
リーフェンの言葉に、二人は喉奥で何かがつっかえたような表情を浮かべた。
「大丈夫……です」
「うん。最初はこわかったけど、ほんとに最初だけ」
嘘だ。それはリーフェンを騙そうとしてついた嘘ではなく、「もうほっといてくれ」と言外に伝えるための嘘だった。
リーフェンは少しだけ物怖じした。
これ以上は踏みこみ過ぎな気がしたし、きっとケイトたちには、自分とはまた違った事情があるのかもしれない。
だが、リーフェンは勇気を振り絞った。
こうしてる間にも、ナカムラは準備を進めてくれている。ここで引き下がるわけにはいかない。
「前に、僕がお父さんとお母さんの話したの、覚えてる?」
「……?」
リーフェンの唐突な質問に、二人はやや間があってからコクリと頷いた。
「リーフェンのお父さんとお母さんは……その、死んじゃったんだよね」
「うん。僕が小さかったころに、ね」
もう、顔もよく覚えていない。
とにかく兄さんと姉さんが苦しそうで、それを見ている自分も苦しかった。あの時期の記憶で残っているのは、そんな苦々しい感情がほとんどだった。
「だから……僕のお母さんは、姉さんだった」
「姉さん?」
「怒るとすっごく怖いんだ。いつもあれしろこれしろって小言ばっかりで、なのに、僕の話はちっとも聞いてくれなくて……苦手だった。
よくないってわかってたけど、どうしても姉さんのことが好きになれなかった」
いつからか、「愛情」ではなく「恐怖」で従うようになっていた。それが本当に嫌でたまらなかった。
しかし実際リーフェンが嫌だったのは「自分を恐怖させる姉」ではなく、「姉に怯えて従うしかない自分自身」だった。
そこにもっと早く気づけていたら、姉さんへの気持ちも変わったのかもな。リーフェンはふとそう考えてから、独白を続けた。
「それでも僕の家族だからさ、嫌いだけど、好きでもあったんだ」
「嫌いだけど、好き……」
ケイトが意味ありげに復唱する。
彼にはよくわかったのだろう。そのどうしようもなく悲しいジレンマが。
「だから、僕は姉さんを信じてた。根拠はないけど、きっと僕の味方ではあるんだって、思うようにしてた」
「…………」
「でも、裏切られた。姉さんは僕に嘘をついて、僕の大切な人を……その、酷い目にあわせようとしたんだ」
そこで、キティが硬く閉ざしていた口をふっと開いた。
「その時リーフェンは……どう思ったの?」
「……怒ったよ。すごく悲しくて、腹が立って、酷いことをたくさん言った。姉さんは謝ったけど『絶対に許さない』って振りほどいた」
「……」
なんとなく、キティの目が悲しそうになった。
リーフェンは深呼吸する。
「僕が……間違ってた」
長い沈黙のあとに、ぽつりとこぼれる。やがて堰を切ったようにあふれだす。
「大人は、子供が思ってるほど完璧じゃないんだ。姉さんも本当はすごく悩んでた。
僕のために一生懸命で、でも自分が大切にしたいこともあって、どうしたらどうしたらって、苦しかったんだ……きっと」
よく、わかる。
今はよくわかる。
僕はナカムラに苦しんで欲しくなかった。でも、ナカムラは僕を苦しめないために、自分が苦しむことを心から望んでいた。
それは、すごく悲しいことだ。
自分を大切にすることと、誰かを大切にすること。それが反対のことになってしまうのは、すごく悲しい。
「カティアさんも……きっと、苦しそうな顔をしてたんじゃないかな」
「……うん」
キティが泣き出しそうな声で頷いた。
「お母さん、私たちにごめんって……こんな親でごめんって、そんなことばっかり……!」
「僕たちは、それがすごく嫌だったんです」
ケイトは泣くまいと耐えている様子だったが、声はかすかに震えていた。
「あの時のお母さんは怖かったけど、強いお母さんが好きだったから……ちょっとの怖さなら大丈夫でした。
でもお母さんは、そんな自分が嫌になんです。僕たちといる時だけ、別人みたいに弱々しくなって……!」
「あんなお母さん、見たくないよ」
よくわかる。リーフェンの胸の痛みに、ほのかな熱が加わった。
子供は大人に対して「大人とはこうだ」という理想像に近いものを見出している。そんな理想に少しでも近づこうとする。おそらくそれを成長と呼ぶのだろう。
だから、親の知らない一面を見ると、すごくショックになる。自分の目指したい理想が崩れて、つい「裏切られた」と思ってしまう。
だが、リーフェンはもう知っている。
大人とは何か。どうすればいいのか。よく知っている。
「僕、姉さんに手紙を書くよ」
「……?」
唐突に話が変わり、二人がまた混乱する。リーフェンは構わず話を続けた。
「話すことが、いっぱい、浮かんだんだ。謝りたいことも、たくさん……」
なぜかリーフェンは涙が出そうになった。
「でも一番伝えたいのは、一つだけ……」
そのタイミングで、遠くの方から、ある話し声がリーフェンの耳に入ってきた。
「重心が左に寄ってる。それじゃ右足の筋肉が弱って歩きにくくなるぞ」
「……こうかい?」
「右に寄りすぎだ。それだと足を痛める。いい感じに左右の間をとるんだ」
「こう?」
「違うって。右すぎない程度に右を意識しつつ、でも左のことも忘れないようにちょうどいい塩梅をだな……」
「ややこしい! そのフワッとした説明やめな! わかりにくいんだよ!」
その怒鳴り声が聞こえたようで、ケイトたちも同時に顔を上げた。
やがて三人が見つめる方向から、ナカムラと、杖をついたカティアが現れる。
彼女はケイトとキティに気づくなりギクっとしたような顔になると、続けて忌々しげにナカムラを見上げた。
「あんたの企みか……」
「なにが?」
「急にリハビリとか変なこと言い出すから、おかしいと思ってたんだ」
「残念だったな。こいつは俺じゃなくて、リーフェンの案だ」
カティアは少し驚いたような顔で、リーフェンとナカムラを交互に見つめた。
しかし、またすぐに顔を曇らせる。
遠慮がちにカティアを見つめるだけで、何も言おうとしないケイトとキティ。そんな彼女たちの間にある深い溝を再認識したのだ。
「余計なことしたって、理解できてんのかい?」
「それはまだわからないだろ」
これからどうするのか何も聞いていないが、ナカムラはきっぱりとそう言い切る。
「もう、何も言えないよ。あたしには謝ることしかできない」
「どうだろうな。俺たち大人の思考回路は凝り固まってるから、時々、わかるはずの物がわからなくなる」
「……」
「だからきっと、あいつが教えてくれる。
そうだよな、リーフェン?」
カティアにゆっくりと近づいていたリーフェンは、深く頷いた。
そしてカティアの手をとると、耳元でゴニョゴニョと何かを伝える。
「……? は?」
混乱するカティア。ナカムラは「俺にも聞かせてくれ」と耳を近づける。
「ああ……なるほど。わかった」
「どうかな?」
「面白そうだし、やってみようぜ」
「本気かい? はっきり言って、意味がぜんぜんわからないんだけど」
「まあまあ、いいからやるぞ」
「じゃ、せーので行くよ?」
くるっと回転。配置につき、深呼吸。
準備が整ったのを確認し、リーフェンが口を開ける。
せーの……
「僕は木の魔導士、リーフェン!」
「俺は火の魔導士、フレイことナカムラ!」
「あ、あたしは……血の魔導士、カティア」
ぎこちないポーズ。ぎこちない笑顔。
「…………」
「…………」
きょとんとする、ケイトとキティ。
「どう、かな……?」
リーフェンはそんな二人に、やや不安げな口調で尋ねた。
「あんまり、かっこよくない?」
「……!」
ケイトが気づいた。眼を見開き、ぎゅっと手を握る。
「か、かっこいいです!」
「ほんと?」
「うん。うん! 魔導士さんたち、すごくかっこいい!」
キティも加わる。
「そんなに褒められたら、悪い気はしないよな?」
「ね。もっとやりたくなっちゃうね」
「もう一回! もう一回!」
息を切らしながら叫ぶ二人に、リーフェンとナカムラはポーズをとる。カティアも無言でそれに合わせた。
「木の魔導士ー!」
「火の魔導士ー!」
「血の、魔導士……」
わっと声が上がる。周囲には、いつの間にか人だかりができていた。
「いいぞー!」
「やっぱ魔導士はすげえな!」
拍手と歓声。獣人の村人たちは状況を知らないながらも、めいっぱい盛り上げようと手を叩いた。
「木の魔導士さんも、火の魔導士さんも、血の魔導士さんも……みんな、かっこいいです!」
「かっこいい……かっこいい……!」
歓声に負けないように声を張り上げた二人は、へとへとになって地面に座りこんでしまう。
それでも空気を吸いこめるだけ吸って、それを「かっこいい」という言葉に変換し続けた。
「僕たちも、いつか……魔法が使えるように……なりたいんです」
「魔導士さんは、憧れだから……っ!」
「ッ……!」
思いは、伝わる。
「大好きなお母さんが、魔導士だから!」
「僕たちの、自慢の……!」
「もう、いい」
カティアは転がるように二人へ抱きついた。
「わかった。もう、わかったから……!」
「お母さん……」
「僕たち、お店手伝うよ」
カティアが口を開く。そして、「ごめん」ではない、別の言葉を発した。
「……ナカムラ。僕、手紙書くことにしたんだ」
抱き合う三人。涙ぐむ獣人たち。
そんな幸福に満ちた光景を眺めながら、リーフェンは小さくそう呟いた。
「姉さんに、伝えたいことが、できたから」
「……なんて?」
「ありがとう、って」
時刻は正午を回り、じきに夜が訪れる。
出発は明日だな。
天を貫く山々。無限に続く雪原。見渡す限りの大空。
それらをぐるりと見渡して、ナカムラはそんなふうに考えた。




