幕間 『鈴の音』
「酷いツラや」
真っ暗な地下牢の鉄格子。
その向こう側で、見ず知らずの誰かさんは、こちらを見るなりそんな言葉を吐き捨てた。
「まるで、鏡を見てるよう」
薄汚れた外見。顔や体に点々とある、無数の青あざ。服すらも着せられず、身にまとっているものと言えば、鎖で繋がれた革製の首輪だけ。
見ず知らずの誰かさんは、そんな少女の要素を一つ一つ確認していき、その度に苦しそうな顔をした。
少女は「すごく綺麗な人だ」と見惚れる一方で、少し不安にもなっていた。
「にゃ、にゃ……」
少女は必死で、覚えた「芸」をした。
二本足で立ち上がってみたり、ごろんと寝転がってみたり、にゃーにゃー鳴いてみせた。
それでも見ず知らずの誰かさんは、みるみる苦しそうな顔をするばかりだった。
少女もみるみる不安になっていった。
少女は、誰かさんの手を食い入るように見つめた。
それがどう動いて、何を掴みとって、どこにめがけて振り下ろされるのか。少女はひたすらそのことだけを考えた。
「金持ちの道楽として、飼われたんやな。にゃーにゃー言うように強制されて、猫餌を食わされて、尊厳を奪われた」
「にゃ……?」
しかし、誰かさんの手はピクリとも動かなかった。
少女は不思議になる。
誰かさんの言うことはしっかり理解できる。でも、何を言っているのかよくわからない。
自分は「猫」で、この牢屋と、その隅っこに置かれた「ごはん」や「トイレ」が全てだ。
教え込まれた「芸」が全てだ。
たまにくる「しつけ」が全てだ。
少女は不思議で不思議でならなかった。
この綺麗な人は誰なんだろう。自分に何を求めているんだろう。どうすれば苦しそうな顔をやめてくれるんだろう。
少女は難しいことがよくわからなかった。
「……!」
ふと、誰かさんの手がすすと動き、少女は思わず身を屈めた。
「ッ……クソ外道の、変態どもが」
誰かさんはそれを見て、もっともっと苦しそうな顔をした。しかし少女を殴りはしなかった。
懐から金属の何かを取り出して、シュボッと火をつけただけ。
「……コニー、か」
誰かさんは少女の首輪に書かれた文字を見て、そう口をこぼした。
少女は反射的に「にゃ」と鳴いた。
「コニー。ご主人様はな、死んだで」
「……?」
「神聖逆十字騎士団、七席騎士議会第二席。崇務騎士団団長」
「……?……⁇」
「アシュレイ・グレイ・ジャスティス。蒼龍王とのパイプ役で、うちの大切な人を奪った一人やった」
少女は混乱する。急に難しいことをペチャクチャ話されてもわからない。
とにかく、誰かさんの顔がすごく怖かった。
なんとなく残酷そうで、もう今にも自分へ手を出しそうで、それでもやっぱり少し優しそうにも見えて、不思議でわからない。わからないのが怖かった。
「うちが、憎い?」
「……」
少女は特に反応しなかった。こういう時の芸は教わってない。代わりに「にゃあ」と小声で鳴いてみた。
誰かさんはそれから、少し迷ったように、ゆっくり口を開けた。
「じゃあ……」
少女はそんな誰かさんを見て、暗がりに浮かぶその表情を見て、初めて自分以外の誰かも怖がることがあると知った。
「うちと、来る?」
「にゃ!」
それが、コニーとクロタコの初めての出会いだった。
何年前かも定かではないが、その時の光景と感情だけはハッキリ胸に残っている。
お互い何か大切なものを失っていた。
それを埋める何かを探していた。
コニーを牢屋から出したクロタコは、彼女にスーツのジャケットをふわりと羽織らせた。すごくいい香りがして、コニーはなんとなく気分が良くなった。
それから、クロタコはコニーの両手を、彼女が怯えない程度に優しく握った。
「うちは、クロタコ」
「……」
「ほら、呼んでみて?」
「にゃ、にゃ……」
「コニー……もう、『にゃ』って言わんでもええんやで」
クロタコの顔が崩れそうになったので、コニーはまた不安に襲われた。
「にゃ」と言わなくていいとして、それじゃあ何を言えばいいのか。それがわからなかった。
「にゃあ……にゃっ!」
「それは……」
コニーはモゾモゾと動き、たまたま手に当たった何かをクロタコに差し出した。
「あげる」という意味だ。元はクロタコのものだが、コニーにあげられるのはそれぐらいしかなかった。
「ふふ……くれるん?」
「にゃ、にゃあ?」
「それはな、鈴っていうんやで」
クロタコが笑顔になって少し安心したコニーは、そのチリチリと鳴る、鈴とやらに目を奪われた。差し出すはずだったが、その音が妙に気になってしまった。
「懐かしいなあ、うちのお守りやってん。『音でバレるから作戦中は外せ』って、上官に何度怒られたことか……」
「にゃあ……? にひひっ!」
振ると、やっぱりチリチリ音がする。
それが面白くて、コニーはついつい笑ってしまった。
「ふふっ! ふふふ! にゃひひっ!」
「お、気に入った?」
「あ……」
「大丈夫。それでいいよ」
コニーは怒られるかと思って咄嗟に身構えたが、クロタコは優しく抱きしめるだけだった。
「笑ってもいい。『にゃ』を言ってもいいし、言わんでもいい……」
「にゃ……にゃあ!」
「大丈夫、大丈夫……うちは、殴ったりせえへん」
「にゃあ! にゃあぁぁ!」
不安に駆られる。
コニーは立て続けに鳴いて、なんとかクロタコの機嫌が戻らないかと焦った。
「コニーは、コニーなんやから」
「に……にゃ……」
クロタコはコニーから離れると、指先で目元を拭った。
「その鈴は、あげる」
「にゃ……?」
「それはな、うちの一番『大切な時』に鳴る鈴やってん。鈴が鳴るたびに、うちは命の大切さを思い出してた。生きる尊厳を思い出してたんや」
それが、いつからだろう。付けなくなってしまった。
邪魔だし、うるさいからと、付けなくなってしまった。
本当はこんなに大事な意味があったのに、前世では最期まで思い出せなかった。
「うちには、もう必要ないんや」
「にゃ……にゃぁ」
「だからあげる。ほら、鳴らしてみて?」
コニーはまたクロタコが悲しそうになったので、喜ぶならと鈴を振った。
「きれいな音やろ?」
「にゃ! にゃっ!」
クロタコを喜ばせるはずが、コニーはまた、ついつい自分だけが楽しくなってしまった。
それでもクロタコは笑ってくれた。「にひひ」と変な笑い声を漏らすコニーを見て、満足そうな笑みを浮かべてくれた。
コニーは知らないうちに、そんなクロタコが大好きになっていた。
「コニーにも、いつかきっと、思い出せる日が来る」
「ふふふ……! にゃひっ!」
「その時になったら、うちにも聞かせてな。きれいな、きれいな、鈴の音を」
「にゃっ!」
こうして、一人の伝説的な箱庭魔導士が誕生した。




