第二章20 『飛車角壊盤』
やがて大気中の酸素が消失し、火炎の帷が晴れた。
洞窟の天井は存外にも頑丈で、ゴゴゴと揺れはしたものの、崩落はギリギリのところで耐えたようだ。ナカムラは全員の無事を確認してから、勝負の結末へと目を向けた。
「ァ……」
ガクリと崩れ落ちる、炭の塊。
キエリの勝利だ。ナカムラは走り出した。
室内は炎による熱、低酸素、煙などなど、有害な何某かで目白押しだったが、ナカムラは全てを「再生能力」で突破していった。煙を掻き分け、低酸素でふらつく足を気合いで踏み抜き、火傷を慣れたと一蹴する。
そして、ふらりと倒れゆく少女の影めがけて
「キエリッ!」
手を伸ばした。
「はぁ、はぁ……ギリギリ、セーフ」
あわや後頭部を激突、というところだった。
低酸素の影響か、過剰に力を使い過ぎたのか、キエリの体も少々ガタがきているらしい。ナカムラは焦点が合っていない彼女の目を見て、そんな診断結果を下す。
キエリはキョロキョロと周囲を見回したあと、やがてようやくナカムラの方に気付き、「見つけた」という感じの柔らかい笑みを浮かべた。
「あなたは、いつも絶好のタイミングで助けてくれますね」
「……狙ったわけじゃないぞ」
「わかっています」
それから、ナカムラはばつが悪そうに顔をしかめる。
「キエリ……俺は、その」
お前のおかげで、救われた。
その一言がなかなか出せなかった。
彼女は紅龍として蒼龍と戦ったのではなく、キエリとして仲間のために戦ってくれた。戦闘中に彼女が放ったメッセージは確かにナカムラへと届いていた。
しかし、ナカムラはそれをどう受け止めればいいのかわからなかった。
キエリがよくわからない。彼女の中では少しだけ自分らしく、素直になっただけのつもりだったが、それはナカムラにとって唐突な変化に見えた。
情緒不安定。少しクズで小物っぽい。時に幼稚。
感情的に見えて、判断を下す時は冷酷とも思えるほどロジカルになる。
それでもどこか芯の通った、まっすぐなやつ。
それが、ナカムラの知るキエリだ。彼はキエリの上辺しか知らなかった。
「ナカムラ」
口を開けたまま停止する彼に、キエリが落ち着いた口調で声をかける。
「事実だけを、教えてください。それがコツです」
「事実……」
ナカムラは俄かにハッとした。
今の俺は、上辺で話そうとしていた。彼女の人となりや顔色を分析して、「それっぽい」ことを言おうとしていた。だが、それは本当の自分じゃない。空っぽだ。
ナカムラはもう一度考える。
事実。事実。そこに模倣と空っぽからの脱却がある。そんな気がした。
キエリは、俺と仲間のために戦ってくれた。
キエリは戦いの全てで、俺の空っぽを埋めようとしてくれた。
それが事実。今、俺の胸の中にある全て。
「あんま……大したこと、言えないけどさ」
「はい。それでいいですよ」
「……ありがとう、キエリ」
彼女はニッコリと笑う。
「私も、ありがとうございます」
また、見たことない表情。
跳ね上がる胸が、出所不明の熱で満たされていく、そんな感覚がした。じんわりと熱い。あふれるような何か。それは涙によく似ていた。心からこぼれ落ちて、体内に同じような熱を与える。
熱い。
ナカムラは遠くの方へと視線を移動させる。そこではカティアがむくりと起き上がっていた。
ああ無事だったのか、よかった。
あれだけやってまだ意識があるのか、すごいな。
そんな他愛ないことを、一心不乱で考えた。彼はキエリほど素直にはなれなかった。
「僕も!」
リーフェンが後ろからガバッと飛びつく。首の骨が折れるかと思ったが、おかげで表情を隠すことができた。
彼は二人が会話を始めたのを好機と見て、冷静さが戻ってくるのをひっそりと待つことにした。
「みんな、お疲れ様! ありがとう!」
「リーフェンは大活躍でしたね」
「そうなの? よくわからないけど……僕はみんなが仲良しになれて、すっごく嬉しい!」
「……仲良し?」
「あれ……ち、違った?」
「よくわかりません。どうなんですか、ナカムラ」
「俺に聞くな」
キエリから急に話を振られたので、ナカムラは慌てて姿勢を整える。
「ナカムラ、ちょっとだけ声震えてない?」
「地震がすごくてさ」
「えっ、揺れてる? 僕は何も感じないけど」
「いやいや、揺れてるって。俺のとこすごい揺れてるもん。ほら」
「ナカムラが揺れてるだけじゃん……って、ぷふっ! なんで揺れながら変な顔してるの⁉︎ あはは!」
会話のバトンがナカムラに渡り、二人の気の抜けたやり取りが始まる。
「……」
そんな彼らをよそに、キエリはそれとなく周囲の様子を探っていた。
亀裂の走った岩壁。赫閃でできた大空洞。チェザワードの死体を何とも言えない表情で見つめるカティア。それをさらに見つめる、計四つの震える眼光。
暗闇で確認できたのはそれが全てだ。いるはずの人物は一向に見つからない。キエリは焦りを感じ始めていた。
チェザワードの、最後の姿。
ヘドロのような血液。首輪のようなタトゥー。あれはおそらく、災厄の転生者の「人を異形に変える能力」によるものだ。
『こノ吾ヲ、捨てルと申すカ⁉︎ 蒼龍王ッ!』
その言葉が何を意味するのか。真相に一人気づいたキエリは、今なお探し続けているその人物の名を、無意識に口にした。
「クロタコ……!」
早く、彼女に伝えなくては。
特付きが。
災厄の転生者が、蒼龍王の味方についたと。
「……?」
キエリの様子がおかしい。
それに気づいたナカムラは、彼女に声をかけようとした。
その時。
ふと、何者かが彼の肩をポンと叩く。
「ドラマティックな勝利じゃねぇか。おめでとう、魔王殿」
聞き覚えのない声。
そして、冷気。
「ッ――⁉︎」
パスっ
立ち上がったナカムラの景色が血色に染まる。
混乱と痛みで明滅する景色。一瞬見えた二つの人影。
「あなや!」
和服に日本刀。サラシを巻いた散切り髪の少女。
「あーあ。ヘンに動くから、ウチのボディーガードが反応しちまった」
その隣には、長身で細身の中年男。額には一本の、角。
「い、っ……!」
口中に鉄の味が広がる。
傷は浅い。刃先が鼻をかすめただけだ。それでも尻餅をついたのは、頭蓋を両断されたかと思うほどの「気」を感じたから。
「義に反する不意討ち、失礼つかまつった!」
「カカッ! 避けもできねぇ弱者が悪いんだよ」
彼らを直視した瞬間、心よりも頭よりも先に体が反応していた。
ナカムラだけではない。その場の全員が同じ状態に陥っていた。
この二人は、強い。今まで出会ってきた誰よりも、圧倒的に。
何者かはわからない。だが、本能で理解したその事実に全員がパニックしていた。
足がすくむ。汗が流れる。声が枯れる。じくじくと心臓を突く何か。濁流のような何か。押し寄せて、酸に浸かったような痛みを全身に与える。やがてサーッと引いていく。波打ち際に漫然とした恐怖を置き去りにして。
思考が「打開」と「死」の間をグルグルする。
硬直するナカムラ達。和服少女は静寂を楽しむようにそんな彼らを眺めていた。しかし「機」のような物を察知したのか、おもむろにカッと目を見開き、スラスラと名乗りを上げ始める。
「拙者、裂叱一釖総本山。名は宗右衛門。姓は八戸帝」
ヤエミカド……?
どこかで聞いた名前だった。しかし思い出せない。
「前世はしがない大剣豪、今世は稚い剣豪少女なれば、ひとつよしなにお願い申す」
和服少女は仁義を切り終えると、ボーッとしていた隣の男を鞘でつつく。
「あん?」
「お手前の番ぞ」
「あー……俺はフレミオレトロだ」
雑な自己紹介。キエリの体がビクッと跳ね上がる。
「またの名を蒼龍王。どうぞよろしく」
「第三龍態ッ――!」
ナカムラ、リーフェン。二人を掴んで凄まじい怪力で投げ飛ばす。
キエリからドッと火炎が昇った。翼、尻尾、致死量の熱気。
印を結ぶ。四角形。
「灼永……」
しかし、ヌッと伸びた腕がキエリの額を鷲掴んだ。
「まあまあ、そうサカんなって!」
宙吊りになるキエリ。極めて異様な光景だった。キエリの全身からはバーナーのように強烈な火炎が昇っているのに、その額ではパキパキと氷が張り始めていた。
熱い。熱い、はず。なのにナカムラの体は震えていた。初めは恐怖からくる震えだと思っていた。しかし白い息を見て、それが寒さからくる震えだと理解する。
「ぐ、ゔっ……!」
「どうどう。ほら、落ち着けって、紅龍のお嬢ちゃん?」
「蒼龍、王……ッ! 殺す!」
「カンベンしてくれよ。今日は様子見に来ただけなんだ。オッサンらが雁首揃えて、ちょっくらアバンチュールをさ」
そう言ってケラケラ笑い、いつの間にか避難していたヤエミカドに「なぁ?」と声をかける。彼女は「意味がわからん」と興味なさげに肩をすくめた。
「今日のショウは見応えがあった。だからもう腹パンパン。俺が顔を出したのは挨拶と……」
蒼龍王、フレミオレトロは、凄まじく性悪な笑みをぐにゃりと浮かべる。
「ま、ちょっとした後始末をさ」
ごろん、と、何かがナカムラの足元に転がった。
つま先にあたったそれを、ゆっくり、見る。
「ぁ……?」
それは、首だった。
「う、そ……」
いや頭。二つの頭。
見覚えがある二つ。
ブーカと、クロタコ。
「カカッ! それ、片付けといてくれよ」
「ゔ、オェ……ッ!」
内臓を雑巾絞りされた。
喉奥がギュッと締まり、熱くて痛くて苦い粘液が込み上げる。
「フレミオレトロ」
その光景を心底つまらなさそうに見ていたヤエミカドが、「早くしろ」と言わんばかりに声をあげた。
「わかってるって。フィナーレ、だろ?」
フレミオレトロはキエリを投げ飛ばし、パシィン! と指を鳴らす。
「あ、ガ……」
起き上がる、一つの黒い塊。
生き絶えた蒼龍、チェザワードが、その死体が、宙に浮かびあがり、膨張する。
「コレは災厄に作らせた特注品でな。いろんな仕掛けが施してある。おかげで目とか口調とかバグっちまったけど」
転生者風に言うなら、自爆機能付き監視カメラ。
フレミオレトロはかつて部下であったはずの死体を顎でしゃくり、まるで取り扱い説明書を読み上げるかのように、そう説明する。
「別に爆発させる必要はねえけど……ほら、やっぱフィナーレは、ド派手に大 爆 発! が定番だろ?」
「ッ……!」
「ま、せいぜい楽しんでくれよ! 俺はカメラ越しに見てっからさァ⁉︎」
――ブンッ!
パンチが空を切る。
「おいおい。普通、ここで攻撃するか?」
「よけんじゃねぇよ、性悪クソキザ角トカゲ」
彼はさらに体を捻り、もう一発を繰り出す。
ゴッ!
直撃。ナカムラのアッパーカットが蒼龍の顎を跳ね上げた。
たちまちに凍る腕。それでも構わず三発目を繰り出すため体を捻る。
「ふはっ! すげェよお前! イカれてる!」
「死体で、命で、遊ぶんじゃねェ――ッ!」
「お前、気に入ったぜ」
突如、ナカムラの視界がガクンとずれ落ちる。
振り返った先でかろうじて見えたのは、日本刀の柄頭。そしてそこにくくり付けられた玉型の鈴。
「貴殿に恨みはないが、その龍には恩がある。許せ」
「ヤエミカド……ッ⁉︎」
胴体を腰のあたりで一刀両断。
あまりに美しい太刀筋。痛みはほんのわずかで、その断面は色付きのCTスキャン画像のようにツルリとしていた。
しかし凄まじいパワー。腹筋や臓物がぎっしり詰まった腹部、分厚い背骨、それらを軽々と切断してしまう。
「剣豪様もお気に召したらしいな。じゃ、プラン変更だ」
フレミオレトロが白霧となって消失し、次の瞬間、両脇に何かを抱えて戻ってくる。
「え、え……?」
「ひ、や、やだぁ!」
カティアの顔が、ひくっと痙攣した。
「なんで……!」
もう動かないはずだった彼女の体が、地を踏み鳴らしてひとりでに立ち上がる。
「その子たちは、関係ないだろうが――ッ!」
ケイトとキティ。恐怖に染まる彼らを目にし、カティアは半狂乱になって叫び散らした。
「管理不足ってヤツだ。ここは戦場であって、ガキをほったらかせる遊び場じゃねぇんだぜ? まったく、とんでもねぇダメ親がいたもんだ」
背後でみるみる膨張していくチェザワードの死体。
フレミオレトロの狙いは説明されなくても理解できた。
ナカムラが彼らの軍門に降るか。
子供達が「大爆発」とやらに巻き込まれて死ぬか。
「さぁて、あと何秒残ってるかな?」
ナカムラは切断された下半身へ手を伸ばす。それをフレミオレトロが踏み抜く。
「カカッ! ほら、シンキングタイムだ」
(追記)
ヤエミカドはスピンオフの『剣豪少女 受肉受難』にも出てきます。
あらすじから飛べるので、よかったら読んでみてね。




