第二章19 『赫たる意思』
「灼煉」
「di dus frezia!」
衝突。
熱と冷。動と静。炎と氷。紅蓮と蒼白。
相反する二つの衝突は莫大なエネルギー波を引き起こした。氷壁が割れ、間に挟まれた氷塊は水、蒸気、氷、また蒸気と忙しく形を変える。
龍の技の強さは文字数に対応する。「灼煉」は二文字。「di dus frezia」は三文字だ。
つまり、蒼龍は一つ格上の技を使用したことになる。
「ッ――⁉︎」
しかしキエリの豪炎は冷気で勢いを失うどころか、それを突破して蒼龍に牙を剥いた。
通常の灼煉とは火力がまるで違う。彼はそこで、相手が並の紅龍ではないことを悟った。
「is pilatus turi!」
三本の氷柱。触れれば即座に凍結するほどの凄まじい冷気に、灼煉の勢いがようやく止まる。
――バリィィン!
その直後、キエリが飛び蹴りで氷柱をへし折る。技名もないただの飛び蹴りで。
「凡弱とは、抗いもできず死ぬ者のことです」
空中の氷塊を器用にオーバーヘッドキック。蒼龍の顔面へと的中させる。
「例えば、あなたのような」
蒼龍はそれを侮辱と受け取った。しかしキエリにとっては復讐代行だった。
砕けた氷塊の中から出てきたのは、カティアの左腕。
「爆」
赤熱した腕が爆発する。蒼龍が吹き飛ぶ。
「赫」
続け様に炎をジェット噴射した。パァン! と音がして、紅蓮の彗星が悶える蒼龍に突撃する。
「ar bear!」
追撃を先読みしていた蒼龍は光線で迎え打つが、それすら読んでいたキエリは軌道を直角に曲げて回避した。
来ル――!
キエリが着地した氷壁からブワッと蒸気が上がったのを見て、蒼龍はすぐさま「is pilatus turi」を発動させる。
二回。
つまり、巨大な氷柱が六本。連なる壁のように塞がった。
「赫閃」
形容し難い轟音。
氷柱、空気、肉、骨。ありとあらゆる物が度を超した破壊力に砕け散った。音はおそらくそれらの悲鳴だった。
立ち塞がる六本の氷柱を、キエリは避けもせず真正面からぶち抜いたのだ。
氷柱がスナック菓子のように小気味良く弾け飛び、その次の瞬間には、壁面に直径10mほどの巨大な大穴があいていた。
「す、すご……」
溶けていく氷。キエリを中心に、あちこちから昇る蒸気煙。
もはや寒さは感じず、どころか暑いとすら思える始末。熱が戦場を支配していた。
あまりに圧倒的。ナカムラとリーフェンは、開いた口が塞がらなかった。
「あの蒼龍が、一方的に……」
「すごい! キエリって、本気を出したらこんなに強かったんだ!」
蒼龍は紅龍に勝利し、彼女たちを滅亡の危機にまで追い込んだ。だから蒼龍は紅龍よりも強いのだろう。
そんな漠然とした考えが二人の中には存在していた。
しかし、それは大きな間違いだ。
実力が同等の紅龍と蒼龍が一対一で戦った場合、紅龍の方が圧倒的に強い。
例外はなく、さながらジャンケンのグーとチョキのような必然性で、紅龍の勝利はやる前から確定していたのだ。
その理由は自然の摂理にある。
「絶対零度」というのは温度の下限値だ。物質がマイナス273℃以下になることは自然界だと絶対にありえない。だからこその絶対零度だ。
しかし、この世に絶対零度の逆、温度の上限値は存在しない。熱は1万℃だろうが100億℃だろうが無限に上昇する。
蒼龍の「di dus frezia」はマイナス200℃ほど。
対して、炎は最低でも1500℃はある。
熱と冷の勝敗は、もはや語るにも値しないだろう。
「ほんとにすごいよ! このまま行けば、キエリが圧勝して……」
「待てリーフェン。やめるんだ」
「え、なんで?」
「そういうのを口にすると、大抵ロクなことにならない」
リーフェンが立てたフラグを未然にへし折るナカムラ。
彼もキエリが勝つだろうとは思った。むしろどう転んだら負けるのか、と。
しかし一つ、疑問が残っていた。
蒼龍がこんな辺境の灼熱洞窟に居座っていたのは、おそらく紅晶石目当てにやってきた紅龍を狩るためだろう。それは察しがつく。
だが、紅龍と蒼龍の力量差は歴然だ。紅龍が弱っていることを加味しても、たった一匹で待ち伏せするのは、いささか不用心すぎやしないか。
「ただの思い込み……だよな」
頼むからそうであってくれ。ナカムラは祈るように、青白い輝きを放つ大空洞の向こう側を見つめた。
「teo raz ashe ek ――!」
第三龍態。
蒼龍はいよいよ最後の龍態を解き放った。
下限、摂氏マイナス273度。原子の運動が止まる。
「思い出しタ……其方、クィリェリだナ……!」
「ようやく気づきましたか、チェザワード。命乞いをする段階はとうに過ぎましたが、辞世の句ぐらいは詠めるかもしれませんよ」
「ッ……殺ス!」
迫り来る、正真正銘の絶対零度。
危険を察知したナカムラ達は洞窟の奥に避難するが、それでも震えるほどの寒さだった。
「辞世の句を詠むのは、其方ダ」
「その見せかけの第三龍態で、私を殺せると?」
キエリの挑発に、冷気が波動となって空を打つ。
蒼龍の紋様は宙に浮き上がり、翼のような形状で左右に広がっていた。背中ではもうもうと煙を放つ尻尾がゆらめき、皮膚の一部は鱗のような質感に変化していた。
その姿は、見る者全てに「龍」の印象を与える。とても人間が敵うような相手ではない。そんな絶望を。
「ar bea quie!」
三つの光球が蒼龍の指先に出現したかと思うと、それらは平たく伸び、複雑な円形の図式を形成した。
「魔法陣……⁉︎」
回路図のように秩序だったその図式に、ナカムラの前世の記憶が蘇る。
「巻き起こる絶望の大波ヲ、刮目して見るがいイ!」
三点の中央に凝縮される負のエネルギー。全てを無に帰す、対紅龍の究極奥義。蒼龍は魔法陣が割れるギリギリまで力を込めた。
キエリの平静が揺れる。
手数で攻める小技ではない。「この一発で決める」という、蒼龍らしからぬ意志を明確に感じた。
「赫!」
溶けた氷床を蹴り飛ばす。砕けた石片を音と共に置いていく。
蒼龍の目では追えぬ速度で一気に距離を縮め、その背後で切り返し、赤熱した足を振り上げる。
「爆――」
「抜かったナァッ!」
が、蒼龍は読んでいた。
紅龍は堅物が多い。クィリェリもその例に漏れず、自分が口にしたことを絶対に曲げない。
彼女は自分を「抗うこともできない凡弱」と呼んだ。それはつまり「お前を手も足も出ないほど打ち負かしてやる」という宣言でもあった。そう口にした以上、こちらの大技に対して防御や回避などの「逃げ」を選択することは絶対にない。必ず攻撃してくる。
それが龍のプライドというもの。
「誇りと共ニ、死ネ!」
くるりと向きを変えた蒼龍が、キエリを真正面から捉えた。
そして、光。
三対の魔法陣から放たれた圧倒的スケールの光線は、その壮大さに反して、極めて静かな一撃だった。
地を抉る破壊音の他には何もない。軌道上を蒼白に染めてホワイトアウトさせる。マイナスでプラスをゼロにする。
「所詮、死に損ないの枯葉……!」
炎は消えた。一度輝きを失った光が灯ることは永遠にない。
「あなたですよ、枯葉は」
しかし、爆炎。洞窟を破壊しすぎない程度に抑えた爆羅が、蒼龍の背中で炸裂した。
「避ケ……ッ⁉︎」
「ええ。それが何か?」
蒼龍の読みは実際当たっていた。キエリは自分の「回避」という選択が恥ずべき「逃げ」であると自覚していた。
その上で、キエリは初めから避けるつもりだった。
距離を詰めたのは、あの位置で光線を撃たせると後ろのナカムラ達を巻き込んでしまうから、というだけ。
「あなたの負けです」
キエリが消失する。パシンという衝撃音。
赫閃。いい加減聞き覚えたその音に、蒼龍の無意識、あるいは本能が反応した。三文字なら間に合わなくても、二文字の技なら間に合う。
「ar――」
紅蓮。上空へ巻き立つ炎の一閃は、既に蒼龍の元へ到達していた。
「はッ……ぁ⁉︎」
あまりの速度。衝撃。
キエリはさらに加速した。天井に激突する寸前で横に蹴り飛ばし、さらにさらに加速して壁面に激突する寸前で、
「赫天閃」
蹴り落とす。
赫赫たる隕星。その威力は洞窟内だけに留まらず、地震となって山をも揺らした。
熱を帯びた衝撃波、爆炎、最後に轟音。間髪入れずに押し寄せる。洞窟がミシミシと悲鳴をあげた。岩塊の涙を落とし、ぱっくり割れた岩盤の隙間から行き場を失った火炎が噴出する。
「ほら、枯葉はよく燃える」
キエリは髪をなびかせて火の粉を払いとり、巨大なクレーターの中央でメラメラしている残火に、そんな勝利宣言を告げた。
「ぐ、グッ……!」
「価値のないものほど、勢いよく燃えるんですよ」
キエリが手を鳴らすと、蒼龍からのぼっていた炎がゆらりと消失する。
瀕死の彼は、責めるような目をこちらに向けていた。
リベラルな蒼龍と対をなしてこその紅龍。誇りと伝統を重んじる、厳格なあり方こそが紅龍ではないのか。
恥知らずが。
そう、一心にキエリを責めていた。
「私はキエリ。紅龍ではあるが、紅龍そのものではない」
キエリは彼を冷やかに見下ろす。
そんな要素にこだわって何の意味があるというのか。肩書に居場所を求めることこそ、生きることから逃げている。
「紅と蒼はコインの裏表。表裏一体で世界の体を為す」
「……?」
「わからないでしょうね。ありふれた固定観念で脳髄が満たされた、空っぽのあなたには」
さて、そろそろ終わりにしよう。
キエリは蒼龍に近づいた。とどめを刺すために。
しかしその足が、あと一歩というところで止まる。
蒼龍は何もしていない。相変わらず責めるような目を向けていた。
「…………」
キエリはその目を食い入るように見つめ返す。やはり、見間違いではない。今までは暗さのせいだと思っていた。しかし、その目は……
「その目は、何です?」
「……目?」
終わりを覚悟した蒼龍も、彼女の唐突かつ謎の言動に不可解そうな表情を浮かべた。それがキエリの混乱をさらに増幅させた。
「気づいて、いない……?」
蒼龍の目。本来なら白目にあたる部分が、まるで魔物のように黒く染まっている。
そんな特徴は蒼龍に存在しない。
「ゔ……グッ⁉︎」
突如、蒼龍の様子が一変する。口から黒い泡を吹き出し、喉元を掻きむしって身悶えし始めた。
その首には、龍の紋様とはまた別の黒いタトゥー。首輪のようなデザインだ。先ほどはなかった。急に浮かび上がってきた。
「コレハ……! ゴれ、ハァァァァッ⁉︎」
蒼龍は怒り狂った咆哮をあげた。彼も理解した。首からボトボトとこぼれる、ヘドロのような血液を目にして。
「こノ吾ヲ、捨てルと申すカ⁉︎ 蒼龍王ッ!」
キエリはクロタコからの「警告」を思い出す。
龍すらも異形に変える悪魔の能力。こんな悪趣味なことができるのは、彼女をおいて他にいない。
――災厄の転生者
「クィリェリ! 吾を殺セ!」
「わかっています!」
立場や軋轢をも忘れ、対処に移る二匹の龍。極めて特異な光景。
彼女達だけが状況を理解していた。
「爆羅ァ――ッ!」
一切の手加減なし。たとえこの洞窟の天井をぶち抜こうが構わない。ここで殺す。
キエリは、どうか仲間が巻き込まれないようにと祈った。




